君がくれた光を抱いて

三郎

第1話

 夜明よあけひかり。それが、俺の生まれた時の名前。

 生まれた時の戸籍の性別は女性だった。

 女の子だからこれをしなさい、これを着なさい、ランドセルはこの色にしなさい——それは別に良かった。けれどという部分がずっと引っかかっていた。ずっと、自分の身体に違和感を覚えていた。その違和感は、ブラジャーをつけるようになった頃から強くなり、初めて生理が来た時はショックで学校を休んだ。母が「めでたいことなのよ」と嬉しそうに炊いてくれた赤飯には一切手をつけなかった。俺の身体が女に近づくことを喜ぶ母に嫌悪感を覚えて、家を飛び出した。不貞腐れて公園で一人でブランコを漕いでると、その時たまたま俺を見つけてくれたのが、同級生の鈴木すずきみなとだった。


「あれ。光ちゃんだ。どうしたの?」


「……湊こそ、どうしたの」


「母さんが鍵忘れて行ったから職場に届けてたんだ。その帰り」


 隣のブランコに座り、彼は俺に問う。「どうしたの?」と。答えずにいると、彼はブランコを漕ぎ始めた。


「……帰らんの?」


「一人だと危ないでしょ」


「……女の子だから?」


「男でも危ないよ。だから僕、早く帰りたいんだけど」


「帰れば良いじゃん」


「言ったでしょ。一人だと危ないって。一緒に帰ろ。ほら、帰るよ」


 そう言って彼はブランコを降りると、俺の手を取って無理矢理引いて歩き始める。抵抗すると「じゃあとりあえず僕の家来る?」と誘ってくれた。


「外は危ないから。ね?」


「……うん」


 彼に手を引かれるままについて行く。家に着くと、彼の父親がすぐに家に電話をしてくれた。


「……うち、今日、赤飯なんだ」


「赤飯嫌いなの?」


「違う。……お祝いって。大人の女に一歩近づいたお祝い」


「それが嫌で家出したの?」


「……くだらない理由でしょ」


「分からないけど、君にとっては逃げたくなるくらい嫌だったってことでしょう?」


「……うん」


「じゃあ、くだらなくないよ」


 彼とは小学校から一緒だった。名前で呼び合う仲ではあるものの、ただの同級生に過ぎなかった。

 しかし、彼のこの一言をきっかけに、俺の中で彼の存在は一気に大きくなった。彼になら、誰にも言えない本当の自分を打ち明けても受け入れてくれるのではないかと思った。しかしその時は言えなかった。どう説明したら良いかわからなかったから。

 打ち明けるきっかけとなったのは、保健の授業でLGBTについて習ったことだった。それまで上手く語源化出来なかった俺という人間を、トランスジェンダーという言葉が説明してくれた。

 中二の夏、俺は彼を公園に呼び出して打ち明けた。自分はトランスジェンダーなのだと。

 彼の反応は意外なものだった。


「そっか。だからあの時、家出したんだね」


 彼はそう、一人で納得するように頷くだけで、それ以上は何も言わなかった。恐る恐る顔を上げると「話はそれだけかな」といつものように優しく笑う。


「……なんで」


「うん?」


「なんでそんな、あっさりしてんの。変とか、思わんの?」


「君のこと否定したらアイミさんのことも否定することになっちゃうから」


「アイミさん?」


「トランスジェンダーのお姉さん。君とは逆で、生まれた時は男性だったんだけど、今は女性として生きてる。あぁ、えっと、そのことはから会話の種にする許可を得てるから安心して。勝手に暴露してる訳じゃないから。君のことは他人に勝手に話したりしない。言わないでって言われたからね」


 彼なら受け入れてくれると信じていた。だけど、心のどこかで不安だった。そんな不安なんてあっけなく吹き飛んでいくほど、彼はいつも通りの優しい笑顔を浮かべていて、思わず笑ってしまう。

 最初に打ち明ける相手として彼を選んだのは間違いではなかったと確信した。


「……普通に居るんだな」


「そりゃ居るよ。居なかったらLGBTなんて言葉はきっとできてない」


「……そうだな」


「光ちゃん——あー……えっと……」


「なに?」


「いや、光ちゃんって呼ばれるの、嫌かなと思って」


「あー……まぁ、そうだな……」


 確かに、光という名前は好きではなかった。字はともかく、音の響きが女の子だから。


「……コウなんてどう?」


「コウ?」


「光って、コウとも読めるでしょ? あだ名としても自然かなって思って」


「……コウ……か……いいなそれ」


「気に入った?」


「うん」


「じゃあ今日から君のことは、コウくんって呼ぶね」


 その日から彼は、俺のことをコウくんと呼ぶようになった。あだ名は浸透し、同級生達も俺をコウと呼ぶようになったけれど、彼らの認識は変わらなかった。

 俺は彼以外に自分のことを打ち明ける勇気はなく、学校では普通の女の子として振る舞っていた。彼の前だけでは、本当の自分でいられた。

 彼が女だったら、好きになってただろうな。そんなことを思うようになっていた。

 好きになっていただろう。ではなく、好きになっていた。それに気づいたのは、とあるニュースがきっかけだった。

 それは、男性と付き合うトランスジェンダーの男性へのインタビューだった。

 その人は、生まれた時の性別は女、今の戸籍は男、そして恋愛対象は男性なのだという。望む性別で生きることを選べば、愛する人と結婚出来なくなる。そんなのおかしいと、テレビの中で訴える彼とその恋人を見て、心が男性だから必ずしも恋愛対象が女性ではないのだと気づく。

 考えてみれば当たり前のことだが、無意識に異性愛主義に囚われていたのだろう。


「……そっか。俺も男を好きになっても良いのか……」


 自室でニュースを見ながら呟いた瞬間、浮かんだのは湊の優しい笑顔だった。

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