心の寄り道へ


「いやぁ、ごめんごめん。彰君と会うのは久し振りで、つい嬉しなってしもうて⋯。彰君、ちょっと胸筋をピクピクできる?」


「お父さん、ええ加減にせんとしばくで」


 彰の胸筋を堪能した紗椰の父は、無邪気に笑った。紗椰は呆れながらも、なんだかんだで久し振りの親子の会話を楽しんでいるようだった。彰には、それがとても懐かしい光景に見えた。


 彰の転職が決まったとき、紗椰の父はまるで自分のことのように喜んでくれた。お祝いだと言って、高価な焼肉をご馳走してくれたのだ。それは一年近く前のことだった。紗椰の両親は今、その焼肉店であのときと同じように、彰に笑顔を見せてくれている。

 転職して以来、紗椰の両親とは暫く顔を合わせていなかった。彰が適応障害となって休職するまでの出来事は、紗椰が彰の知らないところで紗椰の両親に伝えていた。


 転職という大きな決断をして、僅か半年ほどでボロボロになった自分を、紗椰の父は責めなかった。それが嬉しくて、恥ずかしくて、申し訳なくて、彰はどのような態度をとればいいのか分からなかった。


「彰君、今は会社を休んでるんやろ? もしよかったら、今週の日曜日空けといてくれへんかな? 一緒に行きたいところがあんねんけど」


「もちろん無理しなくていいんやで。彰君の体調が良ければの話やからね」


 紗椰の母が気遣ってくれた。

 彰は少し迷った。休職中である以上、家で大人しくしておいた方がいいような気もした。だが、心の療養のため、今彰が実践しているような適度な運動やリフレッシュのための外出は、無理のない範囲では心療内科の先生からも推奨されていたので、彰はこれが心を癒すきっかけになればと思った。


「ありがとうございます。僕は大丈夫です。よろしくお願いします」


 そう言うと彰の父はニコッと笑い、スマートフォンの画面を彰に見せた。


「ここに行こう。可愛い動物の木彫りがいっぱいやろ。ここで、お願い事したらええで」


 紗椰の父が見せたのは大阪の北部にある、多宝寺の写真であった。

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