疑問


 紗椰から心療内科を受診するように勧められて、彰は最寄りのメンタルクリニックに電話し診察を予約した。一ヶ月以上先からしか予約できなかった。

 ストレス社会という言葉は知っているが、この予約状況を見るに、世の中には精神的に追い詰められている人が大勢居ることが分かる。彰のように自発的に受診しない、或いは出来ない人を含めると、その数は更に増えるのだろう。

 予約したはいいが、診察してもらったところで本当に意味があるのかと、彰は疑問に思った。彰としては、心よりも、否、心が原因であったとしても、体の不調の方が気になった。毎朝嘔吐するし、日中は目眩がする。夜は眠れない。

 彰は心療内科の予約と平行して、紗椰が通院している大学病院で精密検査を予約した。精密検査をすれば、何か他の原因が見つかるのではないかと考えた。


 そもそも、彰には分からないことがあった。今の職場は、彰にとっては確かに大きなストレスを感じる。しかし、転職前の会社が良い環境だったかと言えば、それも違う。

 転職前の会社は、俗に言う「ブラック企業」と呼ばれるような会社だった。事務所、現場共に怒鳴り声が聞こえるのは日常茶飯事で、給料も少なかった。世間の取り組みを真似した週に一度のノー残業デーは、残業をしない日ではなく残業代が出ない日になっていた。勤務中に飲酒する者もいたし、時には、誰かに暴力を振るう者もいた。

 そんな環境において、彰は確かにストレスを感じていた。それでも、今回のような心身の不調が現れることはなかった。

 睡眠不足で目眩が止まらない、機能が衰えた頭で彰は考えた。他に何か、原因があるのではないかと。自分を追い詰めている、悪魔の正体は何なのかと。






 診察日までの間、彰はいつも通りに働いていた。ある日の朝、駅のホームに立っていると、目の前を、快速の電車が走り抜けた。この後に到着する各駅停車の電車に乗って、会社へ行く。吐いてきた筈なのに、また気持ち悪くなってくる。目眩が強くなる。


 この目眩のままに、快速電車の方へ倒れ込んだら。そのまま、楽になれたかな。

 

 この終わりにしたいという感情がまだ自分の中にあることについては、何故か彰は疑問にすら思えなかった。

 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る