耐えるべき日々
人事総務部に配属された彰は、給与計算や社保手続き以外にも業務が山積していた。
転職先の会社は、中小企業という位置付けではあったものの、誰もが知る大企業の傘下にあり、グループ企業間での共同事業も数多くあった。その企業同士の合併にかかる業務や従業員の出向等の対応も重なり、彰は徐々に疲弊していった。
前職との企業文化の違いにも苦心した。案件ごとに情報共有すべき役職者が変わるのだが、それらは一貫したルールというよりも昔からの慣例で、現在の組織形態や諸々の状況を無視したものになっていた。中途採用された者から見ると、何故その案件が該当の役職者へ報告するものなのかが分からなかった。そして、そういった細かな疑問や矛盾点の指摘ができる環境ではなかった。部下が何かを提案したり、疑問を投げかけることを極端に嫌う雰囲気があった。
彰はそういった空気を感じ取り、疑問に思うことの確認は必要最小限に留め、上司を刺激しないようにした。それができない者は、定例会議で大人数の前で罵倒されたり、無視をされたりする。彰の前任者が、そういった被害を受けているのを目の当たりにしていた。
前任者と比較すると、彰は上手く立ち回っていた。決して高い評価を受けていた訳ではないが、所属部署内の人間を激昂させることなく、淡々と業務をこなしていた。
前任者は彰が入社して二ヶ月ほど経ったときに、会社に退職届を提出した。与えられていた業務を殆ど彰が引き継いでしまい、ただ席に着き、メールを眺めるだけの毎日を送っていたのだから、当たり前の結果だと彰は思った。
彰は前任者の人柄が嫌いではなかった。多少不器用ではあったが勤勉であったし、一つ一つの業務に対して誠実に対処しようとしていた。それは彰が彼から直接引き継ぎを受けているときにも感じたし、彼が去った後、残された書類やメールを見ても、真面目な性格が表れていた。
前任者は何かがきっかけで、所属部署の上司から罵倒されるようになったという。そのきっかけを彰は知らないが、どんな理由があったとしても、彼が受けていた仕打ちは何の正当性も見当たらなかった。
そのきっかけが、いつか自分にも訪れることを彰は恐れていた。
そんな毎日で心身共に疲弊していた彰であったが、仕事を終えて夜遅くに家に帰ると、紗椰が笑顔で迎えてくれた。
それだけで、毎日を頑張れる気がした。頑張らないといけないと思った。
愛する妻がいる。収入のいい会社にも入れた。少しばかり仕事が大変で、人間関係が難しい程度。紗椰を守るためには、これくらい耐えなければならない。
彰は玄関の扉を開ける前に、ひと呼吸置いてからドアノブを握るようにしていた。
疲れた顔を、紗椰に見せないために。
「ただいま」
彰は、笑顔が上手になっていった。
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