欠けた部分を君に恋う。

甲池 幸

第1話 私は醜い化け物を巧妙にウソの間に隠している。

「わたしら、ちょっと用事があってさー、掃除お任せしてもいーい?」

 くすくすと笑いながら、ちかちゃんがくすのきさんに箒を押し付ける。ほら、楠さんっていつも暇そうだし、と続いた言葉に隣からもくすくすと笑い声があがる。

 私は声をあげるだけの勇気も、笑わない勇気も持てないまま、曖昧に口角だけを上げていた。楠さんは俯いて、なにも言わずに箒を受け取る。ちかちゃんはわざとらしく、ありがとうほんとに嬉しい、と告げて、楠さんに背を向けた。

 私も隣の子もそれに倣って、楠さんを見捨てる。私だけ、なんでもないフリが下手くそで一瞬だけ振り返ったら、楠さんと目が合った。眼鏡ごしの視線に滲んでいる感情が何なのか、私にはよく分からなかった。

「あ、矢崎やざき、居た居た」

 教室を出た所で、担任の芹沢先生に私だけ呼び止められる。ちかちゃんは一瞬だけ振り返って、そのまま前へと進んだ。ちかちゃんの隣にいた菜穂ちゃんが先行ってるよーと振り返らずに告げる。

 私は一人、廊下に取り残された。

 ちかちゃんが振り返ってくれなかったことが気がかりで、つい、縋るようにその背中を見つめた。

「矢崎さ、写真とか興味、ない?」

 その言葉で、そう言えば先生は写真部の顧問をしているのだったか、と思い出す。

「ええと」

 この場合、どちらと答えるのが正解なのだろう。先生に求められている答えが分からないから、言葉に詰まった。芹沢先生の問いかけは、いつも、正解が濁されている。

「興味ない方が、嬉しいんだけど」

 私の思考を先回りするみたいに、先生は笑ってそう言う。こういう時、この先生には、私の狡さとか醜さが全部バレているんじゃないかって気持ちになる。その想像は、とても怖い。

「あー、じゃあ、興味ないです」

 あはは、とまるで冗談みたいな口調で言った。背中を伝った冷や汗から必死に意識を逸らす。

「お、マジで? 良かったわ」

 芹沢先生は、私に正解を示したことなんか綺麗さっぱり忘れ去ってしまったような顔で笑った。

「じゃあさ、写真部、入ってくんない?」

 何がどうじゃあさ、と繋がるのか分からなくて、やっぱり今度も言葉に詰まった。普通、部活の勧誘をしたいのだったら、興味のある生徒を集めたいものじゃないのだろうか。

「俺、写真部の顧問なんだけどさ、今年はひとりも新入生が入んなかったから、部の存続が危うくてなー。俺も部室使えなくなんのは面倒だし、かと言って写真好きなやつの熱量についていくだけの気力はねえし」

 だからさ、と先生は続ける。

「写真にはあんまし興味なくて、そこそこ真面目な生徒が欲しいわけよ」

 先生は、笑ったままで言葉を続ける。貼り付けられた笑みが少し怖い。

「てなわけでさ、矢崎、写真部、入ってくんない?」

 今度の問いかけは、正解が見え透いていた。だからなんの躊躇いもなく私は頷く。誰かの正解に従っているうちは、心が楽だ。視界の隅で、楠さんが一人で机を運んでいるのが見えた。

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