五、レイガー②

 しかし翌日も、その翌日も、ゼールはシェルに対して素っ気ない態度を取っていった。言葉尻が冷たく、四日目を迎える頃にはもう、シェルの方を見てもくれなくなってしまった。


(どうして? 私、何か気に障るようなことしたのかしら……?)


 あからさまに変わっていくゼールの態度に、シェルはどうしたら良いのか分からない。シェルも段々と、ゼールに言葉をかけなくなってきた頃だった。

 一日の執務を終えたあと、シェルは自室に戻る途中でフォイに呼び止められた。


「シェル様、お時間をいただいても?」

「あ、はい」


 シェルはすぐに足を止め声のした方を振り返った。そうして見たフォイの表情に驚いた。

 フォイの表情は深刻で、いつもほほんでいるその顔に今は笑顔が見られない。笑顔で細められていた目元が真剣で、シェルはただ事ではない事態が発生しているのだと気付く。

 思わず駆け足でフォイに近付くと、フォイは、ついてきてください、と言って先を歩いて行くのだった。


 フォイに連れられてやって来たのは、手入れされて美しい、中庭の噴水そばだった。そこにはベンチが置いてあり、フォイはそこへと座るように促した。


「シェル姫様はお気付きでしょうか? 今、ゼール様のご様子が変化なさっていることに」

「変化、ですか?」


 様子がおかしいと言われればおかしい気もする。しかしシェルにとってはその『違和感』がどこから来るものなのか全く分からなかった。対してゼールとの付き合いが長いフォイにはこのわずかな『違和感』を覚えることができたようで、


「シェル様、そろそろ本格的にゼール様のレイガーが始まります。おそばから離れませぬよう」


 そう警告してきた。

 シェルは最近のゼールの様子を思い出しとっに、


「あの!」


 話が終わったと、ベンチから立ち上がり背を向けたフォイを呼び止めていた。フォイは後ろを振り返ると、


「なんでしょう?」


 そう言って身体ごとシェルへと向かい合う。フォイの表情はまだまだ険しいものだった。


「ゼール様のレイガーって、そもそもどういったものなのですか?」

「それは……」


 シェルの問いかけにフォイは言葉を選ぶようにゆっくりと話し出した。


「王族のレイガーは、ただただ苦しいものですよ。生殖本能、とでも言いましょうか。この国の一夫一妻制が崩壊しかねないほど、異性を見ると自らの子孫をはらませたい、そう思ってしまうものです」  


 愛した女性だけを愛したいのに、レイガーになるとそれもかなわず、ただただ目先の異性にだけ欲情してしまう。そんな自分が愚かで、惨めに思えてくる。

 だからこそ今までゼールは自らがレイガーを発症しても、自力で抑えてきたのだ。自分を嫌いにならないために。そしていつか、愛する人が現れたとき、胸を張れるように。


「ですが、それももう限界ではございます。人間国からのいけにえは、元来、王族の慰み者になるために送られているのです。あなたも、その覚悟がおありでしょう?」


 フォイの言葉にシェルは衝撃を受ける。レイガーが苦しいものだとは漠然と思っていたが、具体的な内容を聞くと生々しく、そして自分にも降りかかっているものなのだと思うと少し恐ろしくなるのだった。


「大丈夫です、少し、乱暴にはなってしまうかもしれませんが、あなたなら大丈夫ですよ」


 どこから来る言葉なのか分からないがフォイはそう言うと、ぼうぜんと立ち尽くすシェルを置いてその場を立ち去ってしまった。

 シェルはしばらくそのまま、与えられた衝撃に動けずにいたのだが、


(と、とりあえず、部屋に戻りましょう……)


 そう気を取り直して、フラフラと自室に戻っていった。

 自室に戻ったシェルは頭を抱えていた。具体的なレイガーの内容とそれにあらがうゼールの気持ちに触れ、自分が取るべき行動に悩んでいたのだ。


(ゼール様のお気持ちは尊重したい。だけど……)


 苦しんでいるゼールを放っておくこともできない。

 だからといって、自分がレイガーの餌食になる覚悟もできていない。

 ずっと箱入りだったのだから、もちろん男性経験などシェルにはなかった。それをこんな形で経験するのも不本意ではある。


(私、どうしたらいいのかしら……)


 ただ一つ確かなものは、帰れと言われて帰れるほどゼールをおもう気持ちは弱くはないということだった。

 始めは確かにフワフワした感情から、ゼールのそばにやってきた。しかしゼールの人柄や国民への思い、王子としての自覚に触れるにつれ、フワフワした感情はやがて尊敬へと変わっていった。

 尊敬するゼールのそばを簡単に離れられるほど、シェルのおもいも弱くはないのだ。


(私は……)


 シェルは目を閉じると自分の心の中をのぞいていく。自分がこれからどうしたいのか、ゼールとの関係と自国民との関係。そしてその優先順位とその先の獣人国と人間国の未来について。


(考えることが多いな……)


 シェルはそう思いながらも必死に睡魔と闘いながら考える。しかしその思考は徐々に力を失い、やがて深い眠りへと落ちてしまうのだった。

 それからの日々も、シェルは自分にできることを考えながら、ゼールのそばにいることをやめなかった。


「お前さ……、いい加減、国に帰れ」

「イヤです」

「はぁ……」


 二人は今日で何度目になるか分からない掛け合いをする。このやり取りをいちばん傍で見ているフォイは、深いため息を吐き出した。


「ゼール様、いい加減、諦めたらどうですか?」

「諦める? 俺が?」

「さようでございます」

「バカを言うな」


 思いのほか頑固なゼールの言葉に、フォイのため息はますます深くなっていく。

 毎日をこうして過ごしていたが、シェルの目から見ても日に日にゼールが弱っていくのは分かった。言葉は強いが、それを言う語気には力が感じられなくなっている。

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