輪舞曲第1章「刃」
命懸けご飯
#1 誕生花
痛い。
苦しい。
辛い。
動けない。
身体が冷たい。
そんな感情に支配されながら重い瞼を上げる。
そこには冷たくも紅く染まった風景が広がっていた。
湿った地面に転がる、もう誰のものかもわからない傷だらけの手足。
背中に大きな傷を負いながらも子供を強く抱え逃げ回る母親。
その澄んだ桃色の瞳からは赫の混じった涙が零れようとしている。
俺はきっと、これから終わるんだろうな。
見守ることしかできない自分に劣等感を抱きながら、瞳は再び重い瞼を被った。
_____ロスト・セレーネ
今から丁度12年前、この国で3つ目に大きな都市「セレーネ市」で起きた大規模な爆発事故である。無慈悲な劫炎は高く聳えていた建造物の数々を焼き尽くし、この国の人口の約19%もの人々が犠牲になった。俺もその犠牲者の1人で、この事故により6歳より前の記憶、家族、帰るべき家を失った。
___い。」___きろ!」__い!起きろ!」
ぼやけた声が耳を伝って脳の裏から響いてくる。
「ッ……!」
「起きたか。おはよう、また魘されてたぞ。誕生日の朝から大変だな。大丈夫か?」
目を覚まし起き上がると頭頂部の髪が薄い金髪のおっさんが深刻そうな顔をして立っていた。
彼の名前はチグリナ・レガリス。
かつて自分が勤めていた会社が倒産し、身寄りがないのにも関わらず何を考えてるのか倒れていた俺を拾い、ここまで育ててくれた義父である。
そして、彼がまたと言ってるように、なぜか俺は何度もこの事故の夢を見ては魘されるのだ。
「おい、なにボーっとしてんだ、大丈夫か?まさかまた記憶を無くしたんじゃないだろうな!?自分の名前言えるか!?フルネームで!!」
無駄にうるさい声で茶化してるのか心配してるのかわからないような台詞を吐いてくる。
俺はすかさず「そんなんで記憶失ってたまるか!カゼドラ・レガリス!!言えただろ!まだピチピチの18歳を認知症みたいに扱うな!」と食い気味で返した。
「お、そうか。今日はお前の誕生日か。もう18歳になったのかぁ…時の流れって速いもんだなぁ。ほれ、朝飯できてっからさっさと食うぞ。」
気だるげに部屋を出て食卓の席につくと、朝から無駄にうるさい声で「いただきます!」と手を合わせ、端の少し焦げたパンに食らいついた。
「そういや仕事探しは順調か?」
「いや、全然やってない。まあそんなに焦るものでもないし大丈夫だろ。」
口に含んでいたパンを飲み込みながらそう返すと、おっちゃんは苦笑いしながら答えた。
「いやー、お前みたいな高卒も怪しいようなのはだいぶ厳しいだろうからもっと危機感を持った方がいいと思うぞ?あと早く俺に楽な生活をさせてくれ。」
「せめて高校を卒業しないといけないのは解ってるよ…。なんならもういっそおっちゃんのとこにコネで働かせてくれよ。」と言うと、「ダメだ。」と冗談半分のつもりだったが今までにない真剣な表情で即答された。
「お前が本気でやりたいのなら無理に止めはしないが、半端な覚悟でできる仕事じゃない。現に油断して敵に挑んで死んでいった仲間も大勢見てきた。お前にはあいつらのためにも二の舞になって欲しくない。」
「……でもおっちゃんの方こそ最近ボロボロになって帰ってくるじゃねえか。大丈夫なのかよ。」
「最近敵の数こそは少なくなってるものの段々と強くなってきてな……。マグニさんの力なしじゃなかなか太刀打ちできなくなったんだよ。……もっとちゃんと鍛えないとな!」
そのセリフを放つ顔は俺を不安にさせないためにか笑顔を被っているようだった。
俺は話を逸らすべく新聞紙をわざとらしくピシャッと大きな音を立てて開いたが、
おっちゃんは飲んでいた珈琲を飲み干し、わざとらしく腕時計を眺めながら
「……おっと、そろそろ時間だ。んじゃ、帰りにいい感じのケーキでも買ってくっから。ちゃんと学校行くか仕事探しでもしろよ?」
と放ち、「行ってきます!」といつも通りの無駄にうるさい声と共に動きの悪い玄関のドアを閉じた。
朝から元気だなぁ…
俺はそれに対して「あーい。」と気力のない声を上げると、再びパンを齧り出した。
朝の支度をし終えると、俺は言われた通り仕事探しに出向くことにした。
学校にはこれまでほとんど行っていないしこれからも行くつもりはない。
どうして俺がそこまで学校を毛嫌いしているかと言うと、その理由は人間関係にある。
俺だって人と仲良くしたいのだが、話そうとしてもまるで別の種類の生き物と会話してるような、そんな気がするほど人が疎遠に感じ、そして同時に寂しく、恐ろしく感じた。
まあ相手からしてみたら話の通じないこっちが一方的におかしいだけだろうが。
そんなことを考えながら不安になる程軋む音を立てるアパートの階段を降り、久しぶりに外の空気で息をした。
その早春の澄んだ空気は温まった肺臓を心地よい程度に軽く小突き、俺の行動力を掻き立ててくれた。
街を歩くと、ロスト・セレーネから12年の日であるためか多くの場所が追悼ムードになっている。
公園では大勢の人々が噴水や記念碑に向かって手を合わせ目を瞑っている。
中には涙を流す人すらもいた。
家を出て数時間が経った頃だろうか。
丁度時計は昼頃を指し、腹も減ったのでコンビニで弁当を買うことにした。
気だるげにありがとうございやしたーと放つ店員を背にビルに埋まった店を出ると、隣にあるやけにうるさい子供達が常に屯する長閑な公園のベンチに腰掛けた。
日陰のベンチであったため想像を絶する程の冷たさが尻を襲ったが、なんとか堪えつつも弁当の蓋を開けようとした。
その時である。
俺は大変なことに気づいてしまった。
弁当を温めてもらってねえじゃねぇか!
この極寒の中コンビニの冷蔵スペースで冷やされていた弁当を食おうなど実質死に値する。我ながら何たる失態…!
…まあ、腹はめちゃくちゃ減っていたので仕方がなく妙に固まったコンビニ弁当特有の米を口にした。
そんなときである。何かこれまでにないような違和感を覚えた。
本能的というのだろうか、はたまた第六感と言うべきなのだろうか。そんな心の底から「悪い予感がする」と思えるような感覚が背骨に沿って体の内側からどんどん伝わってくる。
その刹那、劈くような爆発音と悲鳴が鼓膜に衝突した。
反射的にその音の鳴った方を振り向くと、そこにはさっきまで俺がいたコンビニのあるビルだったものがあった。
更にそのビルの瓦礫は道路を跨いだ先にある俺のいる公園にまで飛来し、さっきまで仲良くボールを転がしあっていた子供達も今ではコンクリートに頭を潰されボールと共に転がっている。
さっきのコンビニの店員も潰れてしまっただろうか。
幸い俺はなにも怪我はなかったが、そのあまりの光景に胃に通していた物を全て吐ききってしまった。そしてそれだけでは「悪い予感」は留まることを知らず、心臓の脈動は更に大きくなっていく。
爆弾だ。
誰もが爆弾と言われて納得するが、それと同様に異様な見た目をした人型の動くものが瓦礫の山の上に立っていた。
「嫌な予感」の正体はこいつだと一瞬でわかった。関わってはいけない。そんなオーラが辺り一帯を覆っている。
絶対にヤバい。直ぐに逃げないと俺までさっきの人達みたいに殺される。
逃げようとしたその瞬間、瓦礫の下に微かに動くあるものが目に映った。
…女の人だ。
淡い紫色の髪をした整った顔立ちの女の人が腹や脚に大きな傷口を開いて倒れている。
[…ねぇ。]
[また、何もせずに終わるの?]
掻き回されて混濁とした心の中に1つの誰かの言葉が響き渡った。
「…っ!」
俺は思わず逃げるために伸ばした脚を止めた。
途端に脈動を大きくする心臓。
脈動と共鳴するようにぼやける視界。
あの時のことを思い出した。
12年前、目の前に広がっていた光景。
朝に見た夢。
悪夢になってまで魘してくる劣等感。
[俺は、何かを守ろうとしていた?]
頭の中の何かと何かが繋がったような気がした。しかし、今はそれが何かなんて考えている暇なんてない。
このまま逃げてばかりの自分では、あの時みたいに誰も救えない。何も守れない。ここで何もできなかったら、きっとまた後悔する。
俺は行きたくないと竦む足に無理矢理力を入れ、割れたコンクリートの地面を踏みしめて走り出した。
爆風で飛んできたビルの破片に身を隠しながら、少しずつ相手の様子を見て着実に距離を縮めていく。
見つかったら俺も殺される。
そう思うと冷たい汗が体を流れ、焦りと不安と緊張で気分が悪くなり、膝も震えてくる。
動いてくれ…俺の足…!
あと20m…
15m…
10…
9…
8…
7…!
「うぐっぐあああああっ…おえっ…うっ…あ″あ″あ″あ″あ″あ″っ!」
カウントが6に差し掛かったときである。
人型のそれは女の人の頭を掴み、身体から管や触手のようなものを伸ばし、勢いをつけてから女性の傷口にそれを捻じ込んでいた。
それに対して女性は透き通る翠の目の縁からゆっくりと綺麗な雫を零しながら嗚咽し、痛哭を響かせた。
一瞬、時が止まったような感覚に陥った。
さっきまで救えたはずの人の腹から本来見えてはいけないはずの臓物が見え隠れしている、そんな惨い光景を目の前に、何もかもが終わったと思った。
やっぱり自分には何もできないんだとも思った。
しかし、そんな諦めかけた俺の心を、知らないはずの懐かしい温もりと冷たさを持った誰かが突き動かした。
その刹那、俺の視界は紅に染まり、さっきまで女の人を襲っていた怪物だったものが辺り一面に飛び散った。
管や触手は足元に細切れになって散らばり、人型だったものはまるで鋭利な刃物でズタズタに切り裂かれたように綺麗にバラバラになり崩れ落ちている。
俺が…やったのか…?
生温かな赤黒い液体に濡れた小刻みに震える自分の手のひらを眺めながら、俺はその一瞬の出来事に戸惑いを隠しきれなかった。
……!そうだ…!女の人は!無事なのか!?
本来の目的を思い出し、震えて動かない自分の手を視線から退かすと、そこには口から血混じりの涎を垂らしながら横たわる女の人がいた。
意識はないが息はある!
安堵して深く空気を肺に巡らせ膝から崩れると、もう何もいないはずの視界の外からぐちゃぐちゃと音が鳴り始めた。
「嫌な予感」は止まっていなかった。
なんだよ…もうなんなんだよ…!やられたんじゃねえのかよ…!
バラバラになった怪物は円盤のような形をしたものを核として、ぐちゃぐちゃと不快な音を立てながらさっきまでの外見と寸分違わぬ姿に再生した。
それは人間で言う掌にあたる部分を俺たちに翳し、その中心を淡い橙色に輝かせ始めた。
俺はもう簡単に動くことなんてできず、今度こそ「俺はここで終わるんだな」と思い、そっと目を閉じた。
時限爆弾のカウントダウンのような小さな音がピッ…ピッ…ピッ…と脳の中を這いずり回る。
深く薄い酸素を流し込み、悔しさなのか、悲しさなのか、抵抗したいのかもうわからない、そんな感情の雫を頬に伝えながら「やっぱり、何もできなくてごめん。」と小さく零しそうになったとその時。
「良くやってくれた少年。君のお陰で救うことができる。」
深くて暗い底へ沈み、死を受け入れたはずの俺の心に強い光が差し込んだ。
その光は、受け入れたはずの死を拒ませる程俺を照らしてくれた。
服の左胸に白くETTと刻まれた男は強くも優しい声で放った。
「走れ少年!その子を抱えて。後のことは私に任せろ!」
沢山の感情が喉に詰まり、声を出して返事をすることもできずただ何度も何度も激しく頷きながら震える手で女の人を抱きかかえて最寄りの病院へ一直線に走り出した。
何回転んだかなんてわからない。
背中のもっと後ろで鳴り響く爆発音について何かを考える余裕なんてない程全力で走った。
とにかく生き延びるんだ、この女の人を生かすんだ…!
一体何時間走り続けるのだろうとすら思わせるほど最寄りの病院は遠く感じた。
しかし、それでも俺は走り続けた。
そして、病院に掲げられた赤十字を目の前にした瞬間、俺の意識はそこで途絶えた。
ピッピッピッと俺の心臓の鼓動に合わせて鳴る小さな音が静かな部屋を巡る。
白い天井と淡い青のカーテンに囲まれながら目を覚ます。
ぼーっとしながらその白い天井を眺めていると、
「お目覚めですか?」
突然の声に驚き思いっきりビクッと跳ねてしまった。
いつの間にかベッドの隣に立っていた看護師は少し笑いながら「すみません、驚かせちゃいましたね。」と言うと、モニターから俺の心拍数などをチェックしだした。
「あ、あの、すみません…俺、どうしてここに…?」
俺は先程起きた出来事に少し赤面しながら質問すると、看護師は驚いた俺に驚いてズレたマスクを直し微笑みながら、
「病院のドアの前でボロボロになって女の人を抱えながら倒れていたんですよ。」と優しく言った。
女の人…?
俺は一瞬頭の上にクエスチョンマークを浮かべたが、次の瞬間全てを思い出し、食いかかるように「あの人は大丈夫ですか!?」と聞いた。すると、「命に別状はないみたいですよ。ただ、1歩遅れてたら間に合わなかったかもしれないとのことでしたが。」と返された。
「良かったー…。」俺はその言葉に安心し、深く息を吐きながら自分の胸を撫で下ろした。
「それよりも凄いですね。治療をしてから3時間程度しか経っていないのにこんなにも傷が治ってるなんて…。」
「俺、生まれつき治りが早いんですよ。子供の頃転んでも次の日にはもう治ってるなんてこともありましたし。」
「そんなに早いんですか!?凄いですね…!…あっ、一応検査の結果傷は外傷のみらしいので先生からも今すぐにでも退院できるとのことですよ。いたければもっとここにいてもいいですけど。」と放った。
「あ、じゃあ今すぐ帰ります!父も家で待ってるので!」
「分かりました。では手続き等をするので着替えて足元に気をつけて降りてください。」
自分の服に着替えベッドから降りると、エレベーターで受付まで移動した。言われてみると改めて思ったけど、本当に自分でも信じられないぐらい傷が治ってるしぶっ倒れてすぐなのに普通に歩けるなんて俺の再生力すげぇな…。
「ETTの方からパラドックスによる被害とお聞きしているため治療費等はかかりません。ほとんど治ってはいますが一応傷薬が必要であれば処方箋を出しますけどいかが致しますか?」
「あ、大丈夫です。」
助けてくれた人は後のことは任せろって言ってたけどそんなことまでやってくれてたのか…なんて思いながら病院を出ると、もうすっかり日は暮れ始め、橙色の太陽光が辺りを包んでいた。
そういえば昼までの間にネットの求人情報、コンビニのチラシなど手当り次第探ってみたけど、結局どれもピンと来るものはなかったな。
雲の隙間から見え隠れする太陽の放つ光に目を眩ませながらとぼとぼと帰路を進んでいくと、電柱に貼り付けられた1枚の張り紙が俺の目を引いた。
鮮やかな橙色に照らされたその紙には無機質なフォントでこう記されていた。
「ETT 駆除隊員募集 採用試験 お申し込みは下記のURLから」
ETT。
一般的には駆除隊と呼ばれる政府組織で、「パラドックス」と呼ばれるこの世界に突如現れた怪物の駆除を主な仕事としていること以外は情報がほとんど出回っておらず、実際に存在する危険な都市伝説や政府にとって不都合な人物を消しているという噂すら出回っている。
ちなみに俺が昼に出会った怪物も恐らくパラドックスで、助けてくれた人も駆除隊の隊員であると思われる。
そして何を隠そう、おっちゃんことチグリナ・レガリスもこの駆除隊の隊員である。
俺は念の為張り紙を撮影し、結局なんの成果も得られないまま家に帰った。
「昼飯もほとんど食わないまま歩き回ったから流石に腹減ったな…ケーキ…まだかな。」
時刻は午後11時を回った頃、空腹に苛まれながら俺はおっちゃんの帰りを待っていた。
いつもなら8時には家に帰っているはずだし、遅くなるなら「帰るのが遅れる」など一言ぐらいメールを寄越してくるのだが、未だにこちらからのメッセージに既読もつかない。
外は昼までの快晴とは打って変わって土砂降りの雨が降り注いでいる。
雨で電車でも止まって帰れなくなったのか…?それともメールの1つも寄越さないなんて何かあったんじゃ…。
心配していてもどうしようもないし今日は適当な冷凍食品でも食って寝るか…。
1月12日、カゼドラ・レガリスは18歳。
誕生花は金盞花。
翌日、ドアの前には雨でぐちゃぐちゃになった俺の大好きなマスカットのケーキが置いてあった。
もう、おっちゃんが帰ってくることはなかった。
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