同性愛者について

島尾

差別の問題

 今日、父と電話で話していた。その中で、「やたらとしゃべりかけてくるのは宗教勧誘か詐欺師か同性愛者だ」と、かなりサラッと言っていた。


 私の父は、56歳だ。一方で私は20代。父はもはや前時代の人間であり、それより歳上の人間はより前時代の人間である。


 宗教勧誘と詐欺師については言及しない。ここでは、父がそれらに添えるように発言した同性愛者について、現状と今後を考える。


 まず現状だが、ネットで調べたら案の定差別の的だと書かれていた。そんなこと調べなくとも、同性愛者が差別を受けていることは誰もが知っていることだ。

 ソ連や東側の諸国では昔、同性愛を精神疾患と断定してひどい差別があったという。ビロード革命はこれに反対したところから始まった。そんなことをテレビで放送していたが、その差別が東西問わず存在するのは、人間として生きている我々なら直感的に予想できるだろう。

 我々は子孫を残すために異性に目覚める義務があり、それは遺伝子レベルで決められたことだ。しかしそれに対抗する勢力が現れ始め、昨今では性を男女ではなく男と女とその中間のグラデーションのような無限の性を謳う識者も出てきた。

 どういう解釈をするにしろ、非同性愛者である一般人は根本的に同性愛者を差別してしまうと思う。本能に反する挙動は押し並べて、そういう傾向が見られる。


 では、現代の社会において、同性愛者が悪人なのかといえば否である。社会の在り方が変容していく中で、当時は暗黙のルールで誰も言わなかったことを言える世の中になった。私は特に同性愛者を善人と見なしはしないが、悪人でもない。普通悪人とは、犯罪者だからだ。例えば宗教勧誘、詐欺師など。


 一方で、現代においても普通、同性愛者と判明した人間に偏見を抱く人間はかなり多いのではないだろうか。人々は「ああそう、同性愛者ね」と思えば善しと考えて、それを差別をしてないこととイコールで結んではいないだろうか。

 私は同性愛が嫌いだ。これは差別ではなく、本能的な嫌悪感である。しかし、もし私が世界の中心で同性愛者嫌い、と叫べば、瞬く間に周囲の人間は差別的だと考えるだろう。それは私だけに限らず、非同性愛者である一般人についても言えるだろう。

 しかし、それはソ連のときと同じような前時代的思考である。ありとあらゆるマイノリティが尊重される必要がある現代、人間の本能がそれを阻害する。「そうなのね」という言葉の奥には、「あんたヤバ」という本音が隠れている。認めておけば済む、という安直な考えが蔓延る中、一般人の心の中にある根底にある差別意識を解消することはできない。

 我々には性的マイノリティに配慮する義務があるが、実際にはそれを果たせていない。果たすことが可能な世の中さえ、来ないだろう。しかし、同性愛者どうしなら問題はない。 これからを担う20代は、無関心という新たな形で同性愛者を差別するだろう。それに目をつむって、同性愛者に対する差別をなくそう、などと大々的に言う人が増えそうだ。

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同性愛者について 島尾 @shimaoshimao

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