鏡の中の彼女にサヨナラ

多崎リクト

第1話 俺と陽菜


 俺、増山朝陽ますやまあさひには彼女がいる。名前は陽菜。

 白いワンピースの似合う、同い年の女の子。

 大人しい大和撫子。

 大好きな俺の彼女。


 だけど、彼女は鏡の中にしかいないんだ。




「朝陽、カラオケ行かねー?」

「悪い、パス」


 放課後になると慌ただしく教室を後にする。遊びに誘われると申し訳ないが断った。

 だって、陽菜ひなと会える貴重な時間だ。

 自転車に飛び乗って、家まで走る。


「ただいま」


 返事は返ってこない。父さんは今夜もきっと遅いだろうな。テーブルの上に置いてある手紙とお金を見て、ため息を吐く。今夜はこれで陽菜とファミレスにでも行こう。

 自室で制服を脱ぎ捨てていく。まずは服から。押し入れから白いワンピースを取り出す。

 今日は白いワンピースに、紺色のカーデガンを羽織ることにする。白のレースソックスを履いて、紺のサンダルを合わせよう。陽菜はあまりヒールのある靴を好まないので、ぺたんこだが、俺との身長差を出したくないんだろうな。可愛いやつめ。


 それから鏡に向かいながら、ウィッグを被る。まだ、女の格好をしただけの俺。でもここでようやく陽菜と話せるようになる。


 ――うん、今日も朝陽くんの趣味はいいね


 どうやら今日も何とか合格点をもらえたようだ。


 メイクをする時はいつも緊張する。失敗したら陽菜が拗ねるからというのもあるけど、いつまで経っても慣れる気がしない。道具も多くは使いこなせない。それでもネットだとか雑誌だとか動画だとかを見てなんとか勉強しているので、まあ、同年代の男子よりはマシだろう、というくらいの知識はある。もちろん女子に敵うはずもないが。

 陽菜の可愛さを引き立たせるようにナチュラルメイクを施して(ナチュラルといってもすっぴんとは違う。知らなかった俺は一度陽菜に怒られたことがある)最後にピンクのリップを塗る。


「おはよう、陽菜」


 ――おはよう、朝陽くん


 鏡の中で陽菜が微笑んでいた。







 俺と陽菜が初めて会ったのは中学二年の春だった。小学生の時にちょっとした事件があって女子に憧れと同時に恐怖を抱いていた俺は、ずっと誰とも付き合わずに生きていくのだと思っていた。俺が好きなのは大和撫子だけど、現実にはそんな女の子はなかなかいない。どんな女にも怖い一面が隠されている。だから俺は女子が苦手だった。

 でも、俺は考えた。

 俺には理想の女の子がいる。白いワンピースが似合う、可愛い、大和撫子。

 現実にいないのならば、作り出せばいいのではないか。


 父子家庭で一人の時間を持て余していたものだから、そんな発想に至った。

 今時通販で女物の服は買える。ウィッグも買った。最初はそれだけだった。

  160センチと、男子の中でも背が低かった俺には、意外とワンピースが似合っていた。あまり日に焼けていなかったせいもあるだろうか。

 その時、頭の中に声が響いたのだ。


 ――初めまして、朝陽くん


 透き通るような声。


 ――私は陽菜。よろしくね


 陽菜は鏡の向こうで微笑んでくれて、俺はそんな陽菜に恋をした。

 それが、始まり。




 陽菜、今日は何が食べたい?


 ――私、ハンバーグがいいな


 いいね、じゃあファミレスでいい?


 ――もちろん


 俺は陽菜と一緒に近所のファミレスに向かっていた。店員に一人ですと答えて入るのはいつも抵抗があるが、仕方がない。俺の姿は今は見えないのだから。


 ――んー、美味しい


 陽菜が美味しそうにハンバーグを口に運ぶ。うん、可愛い。俺ってこのために生きてるな。

 ただ、俺にはある心配事があった。俺の姿は他の人間には見えない。だから、陽菜が誰かにナンパされるのではないかってことだ。

 というかされたことがあるのだ。今もチラチラとこちらを見てくる男が何人かいる。やっぱり外になんて出ない方が良かっただろうか。


 ――もう、朝陽くん。私は朝陽くんと付き合ってるんだから、大丈夫ですー


 でも、俺は陽菜を守ってやれないわけで。


 ――こう見えて私も強いので大丈夫。それより朝陽くんだってモテるでしょ? 私だって心配なの


 いや、俺は全くモテないよ。でも陽菜がいるからいいんだ。




 これが俺の幸せな日常だった。

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