初めてのライムグリーン

暗黒星雲

第1話 普通二輪免許

 俺は運転免許証を取得した。普通二輪免許というやつだ。


 これで400ccまでのバイクに乗れる。俺の大学生活はこれでバラ色になる。きっと小躍りしていたに違いない。愛車のディオに跨りセルを回す。パンパンと破裂音を伴う2サイクルエンジンの排気音が心地よい。もうもうと吐き出される白煙の匂いも心をくすぐる。そして細かく振動する車体。そのどれもが俺の心を震わせる。


 近年、殆どの小型車はEV化されている。二輪も四輪も原付もだ。しかし、モーターでシュワーっと動く車両なんて味気ない。俺は心の底からそう思っている。


 とにかく免許は手に入った。後は中型のガソリンエンジン車を借りるだけだ。借りる算段は済んでいる。


 俺は小郡の山口県総合交通センターを後にして萩へ向かう。俺は交通量の少ない山間部の県道や三ケタ番号の国道を好む。理由は曲がりくねっているワインディングロードが多い訳で、必然的に車両を思いっきり寝かせてコーナーを駆け抜けるようになる。ま、それが楽しくて仕方がないって事。国道435号線から交通量の少ない旧国道(市道)に入り、国道490号線から萩へと向かう。いつもは北の国道262号線を使うのだが、時には別の道を走るのも面白い。


 俺のディオは80ccだ。原付スクーターとしては異常に速いのだが、精々80キロほどしか出ない。つまり、ペースの速い乗用車には煽られるし、電動バイクにはブチ抜かれるし、未だディーゼルエンジンを使用している大型トラックには排気ガスを浴びせられる。まあ苦労は絶えないわけだが、それでも一時間かけて萩にたどり着く。そして約束の場所へと赴いた。 


 そこは萩市内にある、綾瀬重工直営の修理工場だ。高速増殖炉や核融合、航空産業や宇宙開発にまで手を広げている大企業が、何故か町の修理工場をやっている事に違和感を持つ人も少なくない。しかし、そこは何でも修理してくれる超絶技術者がいる工場として隠れた人気がある。その超絶技術者というのが俺の爺さんの弟で綾瀬頼蔵あやせよりぞうさんだ。通称は頼爺よりじい


「おー来たな。免許は取れたのか?」

「ええ、バッチリです。ところでお願いしてたモノは?」

「おお、これだよ」


 そこには古いカワサキ車があった。


 爽やかなライムグリーンが眩しい。四角いヘッドライトにビキニカウルを付けた精悍な面構えは正に〝古き良きカワサキ魂〟を感じさせる。


「これZRXですか?」

「お前は阿保か? よく見ろよ。水冷じゃなくて空冷だぞ」


 そう言えばエンジンのフィンは深くラジエターもない。大きめのオイルクーラーがついているだけだった。


「じゃあZ400GPですか? 車体大きいな……400ccに見えない」


 頼爺は首を横に振りながらため息をついた。


「よく見ろ。これはな、Z1000Jだ。それを特別仕様のZ1000Rエディ・ローソンレプリカ風に仕上げたカスタム車だ」


 目の前にいるのは夢にまで見たあのZ1000R。カワサキが初めて市販車にライムグリーンを採用した特別な車両だ。俺は心臓が高鳴ると同時に落胆していた。


「あのさ、頼爺さん。俺の取った免許は普通二輪だって言わなかったかな? 普通二輪」

「おお、聞いてたぞ普通二輪だと」

「普通二輪って400cc以下なんだけど、知ってた?」

「お、そうだったっけな?」

「もうふざけないでくださいよ」


 頼爺は思いっきり勘違いをしていたようだった。


「悪かった、悪かった。400ccを用意してやるから一週間待ってくれ」

「一週間で用意してくれるんですか?」

「ああ、用意してやる。CB400SFスーパーフォアだけどな」

「ホンダですか」

「嫌か?」

「嫌ではありませんが、カワサキ車だと聞いてたのでそっちに期待しまくってて」

「文句を言うな。ガソリンエンジンの稼働車両を見つけるだけで大変なんだぞ」

「もちろん分かってますよ」


 俺は相当落胆していたのだろう。自分でも暗い表情になっているのが分かった。目の前にいる美しいライムグリーンに乗れないことへの悔しさだった。


 そこへ、事務所の奥から一枚の光ディスクを持った少女が出てきた。


「頼爺、続きは何処?」

「ああ、それは」

「やっぱいらない。お前、誰?」


 俺をお前呼ばわりしたその娘は間近に寄ってきて俺の顔を見つめる。日焼けした浅黒い顔にショートカットの髪が似合っている。ジーンズにTシャツといったラフな格好だが、それが豊かな胸元を強調していた。


「続き見なくていいのか?」

「いい。今はこっちに興味があるから」

「こっちって、俺の事ですか?」

「そうお前の事。ん? 正蔵君?」

「知ってるの?」

「データベースにあった。オレは佳乃夏美よしのなつみだ。よろしくな」

綾瀬正蔵あやせしょうぞうです。よろしく」


 俺が右手を差し出すと彼女は笑顔で俺の手を握る。

 この出会いは……もしかして初めての……女性とのちょっとイイ事が……あるのかも……知れない。


 いきなり湧き出てきたよく分からない期待感に、胸が再び高鳴って来るのを感じる。さっきまで意気消沈していたのが嘘のようだった。

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