第15話 ソフィアさん……ごめんなさい……

 絶体絶命のピンチに陥った僕は、とっさに魔法を使って、防御しようとした。


「『魔力障壁』!」


 これまでもそうだったように、発動しない。今まで、どうやっても発動しなかったのだから、今すぐ使えるようになるわけがない。

 だけど、僕は、涙を滲ませながらも魔法に縋る。この状況で、僕が縋れるものは、魔法しかないからだ。


「『魔力障壁』! 『魔力障壁』!! 『魔力障壁』!!!」


 何度も何度も魔法を使おうとして、手を伸ばし、叫び続ける。だが、どれだけ叫ぼうと、どれだけ泣こうと、魔法は、うんともすんとも言わない。

 さっきから、身体を流れている魔力を意識しているが、それを認識出来ない。これが認識出来れば、魔法だって使えるのに。この状況も打開出来るかもしれないのに……


 こんなところで死にたくない。まだ、身体も元に戻っていないし、ソフィアさんに、ちゃんとしたお礼も出来ていない。そうだ。死にたくないだけじゃない。まだ、死ねない。死んじゃいけない。

 ソフィアさんに、お礼をしっかりとしないといけないし。何より、こんなところで死んだら、ソフィアさんが悲しむかもしれない。いや、ソフィアさんなら、僕を助けられなかったって、自分の事を責めるだろう。僕は、ソフィアさんにそんな思いをして欲しくない。だから、こんなところで死ねない。絶対に、生き残らないと!


 諦めかけていた心に、火が入る。恐怖で強張っていた身体が、また動き始める。


 溜めを終えた地竜が、熱線を放ってくる。それは、今までと比較にならない太さと熱を持っていた。

 僕は、迫ってくる熱線を前に、深く息を吸って、手を前に突き出す。


「『魔力障壁』!」


 僕の最後の叫びに呼応するかのように、身体の魔力が熱を持ったのが分かった。そして、僕の目の前に、魔力で出来た障壁が生み出された。だけど、今まで使っていた魔力障壁よりも薄い。これも、身体が変化した事による障害だろう。それでも、出せただけマシだ。


 熱線と魔力障壁がぶつかり合う。魔力障壁にぶつかった熱線は、魔力障壁に阻まれて貫通してこない。それどころか、魔力障壁に弾かれて、周囲に散乱していった。周囲の木々が、弾かれた熱線によって穴だらけになり、酷いものだと発火すらした。それでも、僕の方には何も影響がない。完全に防ぐ事が出来ている。

 ただ、こっちの魔力障壁の耐久力よりも向こうの熱線の威力の方が上らしく、魔力障壁に罅が入る。このままでは、魔力障壁が破られるのも時間の問題だ。


「うぅ……それなら……!!」


 僕は、魔力障壁の角度を調整する。すると、魔力障壁に散乱させられていた熱線が、調整された魔力障壁に沿って、斜め上方向に流れていった。結果、熱線は空を走っていく。

 これは、魔力障壁を扱うときのテクニックの一つだ。ただ、正面からぶつかるのではなく、角度を付ける事によって、相手の攻撃を受け流すことが出来る。ただ、角度の付け方を間違えてしまうと、自分に当たる可能性も、すぐに破壊されてしまう可能性もあるので、注意が必要になる。

 これは、元の身体で何度もやった事があることなので、この身体でもどうにか使う事が出来た。

 熱線の全てを受け流した僕は、すぐに身体を回復させようとする。魔力障壁が使える様になったのだから、他の魔法が使えてもおかしくはない。


「『治癒』」


 こっちの魔法もちゃんと使えた。だが、元の身体では、骨折すらも治せたのに、今は脚の痛み止めくらいにしかならなかった。魔法が使えるようになったとはいえ、元通りとはいかないみたいだ。

 だが、この際、痛み止めでも有り難い。脚が動くのならば、地竜から逃げるために、無理矢理にでも走る事が出来るはずだ。

 僕は、すぐに立ち上がって、地竜とは反対方向に走って逃げる。当然、地竜も追い掛けてくる。僕を追い掛けてきている地竜は、どこか苛立っているように見えた。自身の最大威力の熱線でも僕を倒せなかった事に、苛立っていると考えられる。


 今の僕に使えると判明している魔法は、魔力障壁と痛み止めくらいにしかならない治癒の魔法だけだ。他の魔法も試してみたいけど、現状、そんな暇はない。使えると判明しているものを使って、逃げることが最優先だ。


 地竜は、走りながら僕に向かって、熱線を放ってくる。即座に撃ち出しているため、それほどの威力はないと思われるが、僕を殺す威力は備わっているだろう。


「『魔力障壁』!」


 僕は足を止めて、魔力障壁を熱線に対して斜めに展開する。魔法を使えるようにはなったけど、まだ、集中力が必要なので、走りながらの使用は出来なかった。

 僕の予想通り、ぶつかった熱線は、先程の威力はない。簡単に上空へと受け流すことが出来た。魔力障壁を使って、熱線をやり過ごした僕は、またすぐに駆け出す。

 それを繰り返すこと、三回。地竜との差が、危険な距離まで縮まってしまった。移動しながら放てる向こうと、一々止まって受け流している僕とでは、移動する速度に明確な差が生まれる。いずれはこうなる。誰でも分かる事だ。

 目の前に地竜の顔がある。地竜は、勝ち誇ったような顔で、口を大きく開けている。


「!!」


 地竜の牙が、僕に襲い掛かる。すぐに、魔力障壁を展開しようとするが、このままだと、ギリギリ間に合わない。何か、他に活路はないのか。僕は、自分の周囲に対抗出来る手段は無いのかと、眼だけを動かして探る。しかし、何も見当たらない。もう既に、地竜の牙が目前にまで迫っていた。

 万事休す。さっきは、ギリギリのところで、魔法が使えて助かった。だが、今度はそうはいかない。どうやっても、僕に打開する力はないのだ。僕は、今度こそ死を覚悟することになる。


「ソフィアさん……ごめんなさい……」


 その時、目の前で僕に噛み付く寸前だった地竜の顎が、下から打ち上げられる。地竜は、無理矢理口を閉じらされ、空を見る事になった。それに留まらず、第二の衝撃が地竜を襲った。地竜は、木々を薙ぎ倒しながら、ひっくり返って吹っ飛んでいった。

 その直後、ちょっとした浮遊感と共に僕の身体が、地竜から離れた場所へと運ばれていく。そこで地面に降ろされたところで、この状況を生み出した張本人の姿を見る。その姿は、ここ最近で、ずっと見ていた姿だ。頼もしく優しい僕の護衛を買って出てくれた人……


「ソフィアさん……?」

「クリスちゃん! 大丈夫!?」

「一応、大丈夫です……」


 僕がそう返事をすると、僕の身体を上から下へと見ていたソフィアさんの視線が、僕の左腕に注がれた。僕の左腕は、地竜の攻撃で折れているのが見て分かる。それを見たソフィアさんの顔が、少しだけ歪む。それは、今にも泣きそうな顔だった。

 ソフィアさんは、近くの木から折った太めの枝と持っていた布を使って、折れた腕を固定してくれる。その際に、折れた骨を元の位置に戻すために、折れた部分にも触れてしまうので、鋭い痛みが走る。


「痛っ……」

「ごめんね。ちょっと我慢してね」


 手早く固定してくれたソフィアさんは、ポーチから一本の瓶を取り出して、その口を僕の口に添える。僕は、瓶から流れてくる液体を飲み込んでいく。すると、さっきまでズキズキと痛んでいた腕の痛みがマシになっていく。


「一応、痛み止め。少しはマシになると思うよ。助けに来るのが遅れちゃって、本当にごめんね。後、よく頑張ったね。偉いよ」


 ソフィアさんは、そう言って僕の頭を撫でてくる。その言葉と優しさで、一筋の涙が零れる。だけど、僕の視界には、ソフィアさん以外の動きが入っていた。

 ソフィアさんの遙か後方にいた地竜が、ひっくり返った身体を起こして、鼻息を荒くしていたのだ。唐突に吹き飛ばされたので、僕の時とは、別の意味で苛ついているのだろう。地竜の標的が、僕からソフィアさんに移る。

 地竜は、ソフィアさんに目掛けて、勢いよく突っ込んでくる。あの速度の突撃は、危ない威力を持っているはずだ。


「ソフィアさん!」


 僕は危ないと言おうとした瞬間、その言葉が出なくなる。何故なら、目の前でソフィアさんが、地竜の鼻を掴んで、その突撃を止めていたからだ。

 それだけでも驚きなのに、もっと驚くべき事があった。それは、ソフィアさんが一切押されることなく、地竜を止めたことだ。その衝撃は、僕の少し後ろに伝播して、僕の背後の木々に付いていた葉が吹き飛んでいった。


「え?」


 目を疑う光景に、脳の理解が追いついていない。こんな事、勇者のアルスや剣王のマイでも出来ないだろう。

 一般の人が牛に突撃されたら、吹き飛ばされるのと同じで、身体を鍛え、魔物と戦っている冒険者達や勇者パーティーでも、地竜の突撃を受け止める事など出来ないはずだ。

 例え、魔法で強化したとしても、アルスやマイでも、何メートルも後退させられるだろう。そもそも、地竜との戦闘の時は、二人とも地竜の攻撃を受けようとせずに、全て避けていた。

 それを、ソフィアさんは、片手で難なく受け止めた。その手は、一切の震えがない。寧ろ、ソフィアさんを押し込もうと力んでいる地竜の方が身体を震わせていた。

 この状況に、地竜も信じられないとばかりに目を見開いていた。

 ソフィアさんは、地竜の鼻を掴みながら、悠々と僕の方を振り返る。


「少しだけ待っていてね。すぐに終わらせるから」

「え、あ、はい」


 僕がそう返事をすると、ソフィアさんは、ニコッと笑って地竜と向き直った。そして、勢いよく脚を跳ね上げて、地竜の顎に強烈な蹴りを見舞った。地竜は、再び顔を空に向け、喉元を露わにした。ソフィアさんは、自分の方から地竜に接近して、その喉元に回し蹴りを叩き込んだ。ソフィアさんの蹴りの威力によって、地竜は、再び吹き飛ばされていった。

 ソフィアさんは、吹き飛ばされて空中にいる地竜に一足で追いつくと、腰にぶら下げている剣を引き抜いた。そして、露わになっている地竜の腹を斬り裂く。僕の時とは違い、地竜の腹に大きく深い傷が刻まれた。

 今までにしたことがない大怪我に、地竜は叫び散らす。


「うるさい」


 ソフィアさんは、地竜の叫びに嫌な顔をしていた。

 地竜は、空中で姿勢を整えて脚から着地し、ソフィアさんに噛み付こうと突っ込んでくる。それに対して、ソフィアさんは、踊るように、舞うように、そして軽やかに動くと、地竜の鼻頭をぶん殴って怯ませた。


「え!?」


 再び、あり得ない光景に、驚きを隠せなくなる。地竜の鼻頭は、一応鱗に覆われていて硬いはずなのだ。籠手を付けているとはいえ、普通は殴った本人の方がダメージを受ける事になる。それを、ソフィアさんが無傷で行い、尚且つ、相手の地竜の鼻に僅かながら、血を噴き出させていたのだ。

 ソフィアさんは、さらに身体を縮ませた地竜の頭を踏み台にして、背中に乗り、硬いはずの鱗が生えた背中に、いとも容易く深い傷を刻んでいった。

 もはや、驚きすぎて声すらも出ない。背中の鱗は、地竜の身体の中で、最も硬いと言われている部分だ。そんな事、勇者パーティーでも出来なかった事だ。


 地竜は、その場で地団駄して、背中に乗ったソフィアさんを振り落とそうとする。ソフィアさんは、その寸前に地竜の背中を蹴って、空高く舞っていた。そして、落ちてくる勢いを使って、背中に刻まれている傷の一つに剣を突き刺した。剣を突き刺された地竜は、また痛みで苦しむ。

 ソフィアさんは、剣を突き刺したまま、尻尾の方まで駆けていった。当然、剣は突き刺さったままなので、背中がぱっくりと割れ、血が噴き出す。地竜は、ぐったりと地面に伏せった。もはや、抵抗する力も無くなってきているのだ。

 剣を鞘に納めたソフィアさんは、血が身体に付くのもお構いなしに、地竜の背後に移動する。そして、おもむろに地竜の尻尾を掴むと、思いっきり振り回した。周囲にある木々が、地竜の身体によって半ばから薙ぎ倒されていく。


「…………」


 そんな光景を見た僕は、やっぱり言葉を出す事も出来なかった。

 地竜の身体は、そこら辺の家と同じくらいの重さだと言われている。正直、想像出来ない重さだ。でも、ソフィアさんが、家を振り回していると考えると、異常な事が起こっていると理解は出来る。


「はああああああああああああああああ!!!」


 ソフィアさんは、雄叫びと共に、地竜でへし折って、先端が尖った木の幹に、地竜を背中から突き刺した。地竜の背中から突き刺さった木は、地竜の腹から飛び出ていた。地竜は、何とか抜け出そうと藻掻くが、やがて動かなくなり、大量の灰へと変わった。


「はぁ……終わった……」


 ソフィアさんはそう言うと、剣に付いた血を振り落とし、僕の方に向かってくる。地竜の血にまみれたその姿は、ソフィアさんの異名である【緋色の剣姫】の由来を感じさせる。多分、髪の毛の事だけじゃなかったんだ。職員さんの顔が固くなっていた意味が、今、分かった。敵の血で、身体が染まっていって、尚且つそれを気にせずに戦い続けるから、【緋色の剣姫】という異名がついたのかもしれない。

 因みに、ソフィアさんは、血に染まっていても、普段と変わらずに綺麗だった。姫って付くのは、ここが理由になっているのかも。

 そんな事を思っていると、身体がぐらりと揺れる。地竜が倒されて、安全が確保されたため、緊張が緩んだのだ。結果、痛みや疲れのせいで、意識が無くなりそうになっていた。どうにかして、意識を取り持とうと考えているが、どうやら無理らしい。


「クリスちゃん!!」


 薄れゆく意識の中、最後に見たのは、僕の名前を呼んで、ソフィアさんが駆け寄ってくるところだった。

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