第6話 汀子
光国の母・
光国が生まれた時、彼女は、『成田』だった。当然光国も、成田光国だったが、そう呼ばれていた記憶はない。幼稚園に上がる前にはもう、『成田』ではなかったからだろう。
その頃には、二番目の人と結婚していた。『鈴木』という名字だったので、鈴木光国と呼ばれていた。
が、小学校に行く頃には、田中光国になり、小学四年の時に飯田光国になって、今に至る。彼女はとうとう、十年も一緒にいられる人に出会ったということだ。
彼女は夫と別れると、その責任が光国にあると決めつけて彼を責めた。
普段は可愛い感じの人だが、その時にはいつもとは違い、怖い顔をしていた。そして、「あんたのせいで、あの人は出て行ったのよ」と必ず言った。光国はまだ小さかったので、自分のせいだと言われたら、そうなんだな、と思って、今度こそはいい子でいよう、と誓っていた。
彼女を困らせてはいけないと思うから、勉強も一生懸命にやった。クラスの人とも仲良くした。人を楽しませようとの努力もした。そのせいか、クラス委員を任されるようなことが何度かあった。クラスメイトも光国が中心になると、よくまとまっていた。
そんな光国だが、頑張れば頑張るほど心が空虚になっていくように感じていた。そこに自分がいない、という感じだ。少し大きくなってから、「自分って何なんだろう」と思うようになった。
小学四年の時、母から『飯田さん』を紹介された。彼はいつも光国に笑顔で接してくれた。それは、今も変わらない。それまでの父たちは、光国の存在が嫌だったのだろう。母がそう言うのだから、きっとそうなのだ。が、『飯田さん』は違った。
母は光国に対しきつい態度で接することもあるが、『飯田さん』とは本当に仲がいい。お互いを名前で呼び合うなんていうことは、それまでにはなかったことだ。
母の存在は今でも苦手だ。が、『飯田さん』と結婚したその点で彼女に感謝できる、と思っている。光国は、『飯田さん』が今でも大好きだ。いつでも、まるで本当の親子のように接してくれる。もちろん、叱られることもあった。が、それが、光国への親としての愛情だということが伝わって来たから、素直に謝ることができた。母のように、感情的になって光国を責めるようなことは、これまで一度もない。
家族がいなくなってしまう寂しさを、光国は知っている。今それを、『飯田さん』と出会った頃の光国と同じ年の少女が体験している。大人のように振る舞っていても、やはり十歳。彼女の傷ついた瞳が忘れられない。光国には『飯田さん』が現れた。彼女には誰がいるだろう。
彼女を守ってあげたい。それは間違いなく光国の中に存在する感情だ。が、それだけではない。隠したいが隠せない、そんな気持ちになってしまっている。出会ってからたったの数時間なのに、何故こんなにも彼女の存在が大きくなってしまったのだろう。
自分のこの気持ちをどうしたらいいのか、全くわからずにいた。
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