1-22 彼の再来




 おかえりなさい、おかえりなさい。


 やっと、お父様は返ってきてくれた。


 カラス達が、お友達の魔女たちが、お父様を連れてきてくれた。


 もう、ケーキも食事も、皆で歌を歌う準備も整えていたの。


 だって、お父様なら帰ってきてくれると信じてたから。


 アゼリアだって一緒に居る。


 今日は一日、皆でお祝いをして夜を明かすの。


 そうして朝が来ても、それでもずっとお祝いを続けるの。


 今までずっと、ずっと私は待ち焦がれていたんだから。


 そうやって待っていた分を、私はこれから取り戻すの。


 いつまでも、ずっと一緒に。


 この幸せな冥界で、私は全部を取り返すんだ。




「ねえ、お父様」

「うん」

 紫色の髪をした小さな女の子が、白い髪をした長身の人物に縋るように歩み寄る。

 白い髪の人物―――『彼』にも、『彼女』にも見えるその人は女の子を抱き上げて、顔を寄せて話を聞く。

「私、色んな世界を見たの。海の向こうの素敵な街も、機械で埋もれた灰の惑星も。この里の外にはいろんな世界があって、これから私たちはどこへだって行けるの」

 背の高いその人は、うん、うんと頷いて少女の話を聞く。

「最初は、お父様の行きたい所でいいよ。私、お父様が好きそうなところは、きっと殆ど作ってしまったんだから」

「凄いね、ディアは。僕の、自慢の娘だ」

「へへ」

 嬉しくて仕方がない、という表情で笑って見せる少女。

 彼女を抱きかかえるその人は、全てを見通したような目で、口角だけを上げて穏やかに笑う。


 彼女達と、その目の前に並ぶ豪華な食卓を囲むように、影の姿をした女性達が歌を歌うように手を叩いている。

「この家も、このケーキも、皆で頑張って準備したんだ。今度はお父様は返ってくるって、そんな気がしていたから」

「頑張ったね。このケーキ、ディアが考えて作ったの?」

「見た目はね、私が考えた。作るのは、アゼリアがね、手伝ってくれたんだよ。メレンゲの作り方、すっごく上手なの」

「そっか」

 背の高いその人は、影の姿の女性たちの内の一人へと目をやる。

 視線の先の影の少女は、指でVサインを見せて、おどけるように少し首を傾げた。


「ありがとう」

 そう言って、『その人』はまた少女の誕生日を祝ってその頭を撫でる。


「…ねえ、お父様。足音が聞こえるわ。お客様かしら」

「…そうみたいだ」


 そう言って、二人は足音が聞こえる扉のほうへと視線を移した。






「帰ろう」


 扉を蹴破るほどの勢いで現れた少女は、現れるや否や、そこで小さな女の子を抱き上げている人物にそう声を掛けた。

「…エリア」

 いつの間にか、その人物の髪の色は白色から綺麗な光沢の黒色へと変わっている。

 リュックはその少女を見つめたまま、間違いなく彼女の名前をそう呼んだ。


 ゆっくりと床に降ろされた少女は、エリアのほうを見て不思議そうに問う。

「―――誰?」


「…アゼリア?」

 少女は、続けざまにそう言う。

「…お父様、アゼリアが、アゼリアが来たわ!影の姿のアゼリアはもういるのに、本当の姿でまたアゼリアがやって来た!どういうことかしら、不思議なことが起きてるわ!」

 椅子から飛び降りて、少女はリュックの元へと駆け寄って興奮気味に飛び跳ねる。

「…そうだね、とっても不思議だね。きっと、またディアの誕生日を祝いに来てくれたんだ」

「そうね、そうね!ねえ、はやくこっちへ来て!ケーキはまだあるわ、一緒に食べましょう!」

 少女はエリアの元へと駆け寄ると、その手を取って小屋の中まで連れていこうと引っ張っていく。

「…」

 エリアは、その呼びかけには応じず、その先へと進もうとはしなかった。

「…アゼリア?」

「違うよ」

 心底不思議そうに、少女はエリアの目を覗き込む。

「アゼリアじゃ、ない。それに、そこにいる人はあなたのお父様でもない」

「…?違うよ、お父様は、お父様だよ」

「違う」

 エリアはそう言って、少女の手を振り解いた。

 驚いて、少女は一歩後ろへと引き下がる。


「…エリア。こっちへ来て」

「嫌」

 リュックに呼びかけられても、エリアは意地を張って応じない。

「帰ろう」

 エリアはその一点張りで、そのお祝いには一切交わろうとはしない。

「…」

 レテは、何も言わずにその様子を見ている。


「お父様、エリアって、誰?この人は、アゼリアじゃないの?」

「…うん、アゼリアじゃない。でも、僕…私の、大切な人…うん、そう」

「お父様は、お父様、でしょう?」

「…うん、そうだよ」


 そんなやりとりを聞いて、エリアは両手を握り締めて、俯いたままリュックへと問いかける。

「ねえ。あなたは、誰?」

「私は。…僕は。そうだ、この子に伝えないといけないことが」

 リュックは、自分の手のひらに視線を移す。


 混乱した様子のリュックの様子に耐えられなくなって動き出す。

「―――おい!」

 レテが慌てて声を上げる。

 エリアは、咄嗟に近くのテーブルにあったナイフを手に取っていた。


 エリアは、そのナイフで自分の手のひらを切って、床にその血を飛び散らせる。

 用済みになったナイフはまたテーブルの上に叩きつけて、彼女はリュックの元へと早足で近づいて行った。


「何、をっ」

 突然強く口を塞がれたリュックは、驚いて口元にあてられたエリアの手に触れる。

 口を塞いだ手から流れる血が彼女の唇について、リュックの目は龍の力を宿した光を淡く放ち始めた。


「…」

 二人共黙り込んで、互いの目をじっと見つめる。

「―――ねえ、教えて。あなたは、誰?」

「私は―――私は、私だよ、エリア」

 心底満足そうに、エリアは頬を赤くして笑顔を浮かべる。

「そうだよね、リュック」

 その笑顔を見て、リュックは、自分が誰であるのかを思い出した―――もとい、自分が『リュック』であることを明確に定義した。


 その矢先、リュックの足元で、後ろから紫色の髪の少女が抱き付いて、彼女をエリアから引き剥がそうとする。

「返して、返して。お父様は今、私の誕生日を祝ってるの。あなたの事なんて知らない、アゼリアじゃないなら帰って。もう来ないで、私達の邪魔をしないで」

「嫌。この人は私と一緒に、外の世界に帰るの。あなたが探していた人じゃないわ、早くリュックのことを解放して!」

「知らない、リュックなんて知らない!お父様の名前はエフタっていうのよ、何にも知らない癖にお説教なんてしないで頂戴!」


 口論を始めた二人の様子に、レテは「お、おい」と止めに入ろうとする。


「お父様は、この世界で新しい神様になるの。私達だけの、なんでも叶う世界で永遠を完成させるの」

「知らない、知らない。私が連れて帰るの、リュックは私と一緒に居るって決めたんだから」

「違う、お父様はこの冥界の主なの、思い出して!」

 そう言って、紫色の髪の少女はリュックの背中をよじ登って肩にしがみつく。

 少女が何かを耳元で唱えたかと思うと、彼女は額を押さえてふらついて、また意識が混濁するようにうわ言を並べ始めた。


「やめて、やめて!ねえ、忘れないで、私を見て!」

 リュックを肩を揺らして呼びかけながら、彼女に纏わりつくその少女をエリアは引き剥がそうとする。


「貴様ら、とにかく一旦落ち着い―――」

 困惑しきったレテがふと周りを見回すと、先程までテーブルを囲んでお祝いをしていた影の少女たちが、エリアに対する敵対意志を持って魔法を使おうと動き出していた。

 女の子の感情に共鳴するように、宙に浮いて構えられた魔法の弾丸は力を増して、禍々しい音を立て始める。


「エリア、よせ!これ以上そいつらを刺激するな!」

 レテがそう叫んだ矢先、紫色の髪の少女はこれまでで一番大きな声を出して拒絶を訴えた。

「―――出て行って!」


 周りの影の魔女達が、エリア目掛けて魔法の弾丸を幾重にも撃ち放つ。


 レテが咄嗟にエリアを抱えて無理やり後ろに下がって、その魔眼を光らせる。

 弾丸は『偶然』彼女達に直撃せず、壁や天井に穴をあけ、窓を砕いて、破壊音をまき散らしながら外へと突き抜けていった。


「はぁっ、はぁっ―――」

 一瞬でその『偶然』を引き当てるべく演算を行ったレテは、冷や汗を流しながらエリアのことを抱きかかえて尻餅をついている。


 一方で、自ら射線に入っていた紫色の髪の少女もリュックに正面から抱きかかえられて、辛うじて自滅を避けて床に手をついていた。


「もう、来ないで。ここは、私達の家よ」

「…ディア。やめよう、これ以上、喧嘩はいけない」

「なんで、なんで。お父様は、あいつらの味方なの?」

「…どっちも、大事なんだ」

「…そんなの、嫌。私、ずっと待ってたのに。ここでなら、お父様は私だけを見てくれると思ったのに」

 少女はぼろぼろと涙を流し始めて、力なく両手で顔を覆う。

 リュックは少女を床に降ろして、向かい合うように座り込むと額を合わせて囁くように語り掛けた。

「今、この身体の中には二人の魂が宿ってる。この身体の持ち主は『僕』じゃないから―――ちゃんと、この身体は彼女に返したうえで、一人の僕としてまた君に会いに来るよ」

「また、って―――お父様は、今日が終わったらまたどこかへ行ってしまうの?」

「ああ、少し、もう少しだけ待っていてほしい。今日は、君の誕生日を祝うために、会いに来たんだ。一緒にここで暮らすのは、もう少し先になるのを許して欲しい」

「嫌、嫌」

「…頼むよ、アゼリア」


 エリアとレテの間をすり抜けるように現れた、一人の影の魔女。

 二人が押しかけてからは部屋の隅で様子を見ていた彼女の姿形は、エリアとまるで同じで。

 彼女は、リュックからその少女を任されると、優しく少女を抱きかかえて慰めるように頭を撫でた。


 同じように、またエリアの背後から、人の姿になったメルが現れる。

「帰ろう、璃空」

 彼女は、小屋の中に辛うじて収まる冥界の門を作り出してそう呼び掛けた。


「リュック、エフタ、リク…。ああ、もう、何が何だか」

 レテは頭を抱えて、目の前の光景に困惑しきっている。


「いい子にしてるんだよ、ディア」

 影の少女に抱えられて泣きじゃくる女の子の様子を、リュックは寂しい目をして見送って影の門へと足を踏み入れる。

 エリアは、今になって申し訳なさそうな顔をしながら。


 二人で手を握って、門の中へと姿を消していった。



 一人残ったレテは名残惜しそうに、アゼリアと呼ばれた影の少女の姿を見つめている。

「本当に、アゼリアなのか」

 影の少女は、その問いかけにゆっくりと頷いて答える。

「―――お前は、その娘を守ると、そう決めたんだな」

 また、同じように彼女は頷く。

「…分かった。ならば、余も、少しくらい。貴様らのことを、理解する努力をしよう」

 そう言って、レテは片足を影の門へと踏み入れる。

「余から冥界を奪ったことの是非は、貴様らの事情を全て聞いてから、考えることにする。…だから、待っていろ。全てを知るには、まだ時間がかかる」

 レテは、最後にそう告げて、門の中へと姿を消す。


 メルの姿もいつの間にか見えなくなって、そこはまた声の聞こえない静かな世界へと戻っていった。






 ◇ ◆ ◇






「…また、海だ」

 冥界の門を抜けた先、そこには陸地に囲まれた海洋が広がっていた。

「地中海か、これは」

 その景色に見覚えがあったレテは、驚いたように周囲を見渡す。


「…まだ、冥界の、中。あの子が、邪魔してる」

 その声がして振り向くと、メルは既に猫の姿になって周囲を見回していた。

「にゃあ」

「…メル?」

 エリアが近づいても、メルは特に応じる事もなく頭を掻く。

「喋れないの?」

 そう言って抱き上げても、彼女はただの猫のようにエリアの鼻をつつくばかりで何も答えなかった。


「…おい、自称父親。これは、どういう状況だ」

 ただ海を見て立っていたリュック―――の姿をした人物にレテが声を掛けると、彼は落ち着いた様子で振り向く。

「…どうも、何も。あの子が、僕を冥界に留まらせようとしてる。それ以外に無いだろう」

「そうか。で、踵を返すつもりは?」

「今は、無いよ。だって、今、ここに残ったら『この子』まで現世に帰れなくなってしまう」

 そう言って、エフタは自分の手を眺めて目を細めた。


「返して」

 そう言って、エリアは彼を睨みつける。

「…やめて欲しいな。その顔で睨まれると、とても心が痛む」

「その身体から出て行って」

 そう言われて、エフタは「うん」と小さく頷く。

「そうしたいのは、山々なんだけど。出来ないんだよ」

「どうして」

「僕の魂も、この身体に強く結びついてる。それが綻べば、『彼女』の魂まで肉体から離れてしまいかねない」

 エリアは黙って、ただ彼を睨むことは止めなかった。


「少しでも、ここから離れよう。冥界の中心から離れれば、ディアの力も効きづらくなる」

「冷たい父親め」

「はは。今更だよ」

 そう言って、エフタは感情のこもらない目で笑った。




「―――それに、しても。こうして、元祖の冥界神に出会えるとはね」

「…気安く余の顔を眺めるな。不敬である」

「これは失礼」

 地中海に沿って歩みを進めていく最中。

 レテに睨まれて、目を逸らしたエフタは曇り空へと視線を上げる。


 空には、巨大なお菓子やら、車輪やら、本来なら有り得ないものが、距離感も見失うような場所に浮かんで見える。


「…誰なの。あなたは」

 数歩後ろを歩いていたエリアは、不満そうに彼にそう問いかけた。

「…そうだな。君には、どう答えようか」

 振り向いて後ろ向きに歩く彼は、また空を眺めて少し考える。

「元カレ、かな」

「ふざけないで」

 エリアは今まで見せたことが無いような顔の歪め方で彼を睨んだ。


「おい、詳しく話せ。貴様、何を知っている。アゼリアとエリアに何の関係が―――」

「神様。それは、この子の前で話すべきことではない」

 言葉を遮られて、レテは「はあ?」と心底不満そうな声を上げる。

「僕は、冥界の中心にいるあの子の父親。この冥界を作った元凶で、神様を魔女に、魔女を神様にした、ただの人間。訳有って、今は、君が『リュック』と呼ぶこの子と、魂が、記憶が競合してしまっている」

「意味が、分からないわ」

 エリアはそう彼を睨む。

「言ってしまえば、僕はこの子―――リュックに憑依したおばけだよ。でも、この身体は、ちゃんと返したいと思ってる。そうしたうえで、僕だけが冥界に帰って、ディアの面倒を見る。その方法が、まだわからないだけなんだ。どうにか、僕が成仏できるように手伝ってくれないかな」

「…あなたが目的を果たせば、リュックの魂も、記憶も元に戻るの?」

「多分、ね」

「…」

 エフタは、「ああ」と思い出したように続ける。

「できれば、冥界も返したいと思ってるよ。代わりになる世界を作れたら、だけど」

 レテは、舌打ちをして目を逸らした。

「ついでのように言うな、化物が。貴様、余を神と認めたうえで馬鹿にしているだろう」

「してないさ。先代の努力や知恵を蔑ろにするほど、僕は浅はかじゃない」

「それは神に対する敬意とは違うだろうが。…ふん、もうこの際、どうでもいい。貴様が余をどう思おうが、冥界がどうなろうが」

 エフタに食って掛かろうとしたレテだったが、急に意気が沈んでしまった様子で、彼女は足元に視線を下げた。




「今度は円形の―――闘技場かな、これは」

 足を進めているうちにいつの間にか辿り着いたのは、ベージュ色の、石造りの建築物の内側。

 足を踏み入れた憶えの無い建物の中にいることにも、彼らはもはや動揺もしなくなっていた。

「おい、エフタ。余たちは何度もこんな見覚えも無い場所を歩いているが、いったいこれは何を模倣している?神が知らぬ場所など、この世界には無いはずだが」

「ああ、疑問にも思うだろうね。だってまあ、こんな場所は、きっとこの世界には無いのだから」

「…この世界以外の、何処かの場所だと?」

「君なら、わかるだろ。因果を操る神様なんだから」

 表情を険しくするレテと、何のことやらわからないといった様子のエリア。


「貴様、自分が何を言っているかわかっているのか。今、お前は、この世の全ての神を敵に回す事実を告げているんだぞ」

「ああ、わかっているさ。でもこれ、龍の神様はもう知ってるんだぜ?」

「―――あの大馬鹿がっ…!!奴は一体何をしている!?」

「さあね」

「このっ…!?貴様、この後始末もしっかりつけるのだろうな!?」

 レテがエフタの胸ぐらを掴んで睨みつけると、エリアが慌てて駆け寄ってきて、彼女を宥めようと周りをちょろちょろと走り回った。

「な、何!?よくわからないけど、その身体はリュックの身体だから!乱暴は駄目だよ、やめて、レテ!」

「ぬう、まてエリア!こいつ、我々の世界におけるルールを破っているのだ、一度しっかりと教えてやらないといかん!」

「わかんないよ、どういうこと!?」


 はあ、とレテは一度深く息を吐いて、一旦エフタから手を離す。

「この冥界を作った主―――恐らくは、あのディアと言う娘。奴は、こことは異なる次元、並行世界を観測している。この景色は、その並行世界の光景だ」

 エフタは、指を弾いて「ご名答」と笑う。

「そう。それは、この惑星の始まりから異なる因果を辿った、存在しうる全ての世界線。あの子の力は、影を介してそれら全てに干渉することが出来た」

「…そんなもの、最早、冥界神の領分すら越えている」

「ああ、この力は僕にとっても計算外だった。だから、気が付いた時にはマズいと思ったよ。…でも、気が付いたころには、彼女はもう神様になっていた。この冥界は『世界の穴』にならざるを得なくなった」

 エリアは、ええと、と頭を押さえて話を理解しようとする。

「つまり。あの子が、他の世界に関わったことが、神様のルールに反していたってこと?」

「そうだ。異なる世界線には、またそこを統べる神が居る。その世界を勝手に観測することはおろか、そこに存在するものを盗んで持ってきたりなどすれば。下手をすれば、次元を超えた争いにまで繋がる」

 想像以上に規模の大きな話に、エリアは目を回すようにあちらこちらに視線を送る。

 そんな彼女に構わず、エフタは付け加えるように話す。

「争いになれば、脆弱なこの世界は簡単に滅ぼされてしまうからね。この冥界こそが、僕らの世界を終わりに導く火種になりかねない、そんな状況なのさ」

「世界の…終わり?」

 その言葉だけはかろうじて理解できたエリアは、頭を抱える。

 最早返す言葉も思い浮かばず、「そんな、そんな」と情けない声を上げながら、ただただその場をぐるぐると回り始めた。


「あの子は、既に外の世界のものをこちらへ持ち込んでしまっている。それはもう取り返しのつかないことだが―――きっとまだ、なんとかなる。根拠もなく言っている訳じゃないけど…ごめんね。これは、確証も無いし、君には話してはいけないことだから」

「…?」

 彼のその言葉には、エリアだけではなく、レテまでもが首を傾げていた。

「何故、話せない。…いや、話さなくてもいい。ただ、一つ答えろ。貴様がそうやって悠長にしているのは、まだ、全てを解決するのに必要な時間が残されているから…ということで、いいのだな?」

「ああ、そういうこと」

 困ったように、レテは腕を組んで彼の顔をまじまじと見つめた。

 何を考えているのか、どういう感情なのか、全くもって読み取れない表情。

「先ずはこの冥界から現世に帰って、必要な準備を整えたい。その上で、僕とこの子…リュックとの魂の競合をなんとかして、僕だけがここに戻ってくる。で、冥界を修復する―――それが、今考えられる最善の目標ってことになる」

 嘘をついているようにも、真摯に受け応えているようにも見えるその表情を、彼女達は、信じるほか無かった。


 再び歩き出したエフタの背中に、レテはもう一つ問いかける。

「…というか、それなら。今からでも、あの娘には外部への干渉を避けるように言っておくべきだったのではないか?」

「それは、あえて避けたんだよ。あの子、ああ見えて、僕の言う事全然聞かないから」

「貴様、本当に好かれているのだろうな!?」

「好かれてるのと、忠実なのは違うさ。それに、大丈夫だよ。ディアがいくら奔放な子供でも、その子がいる限りはこの世界の安寧は保たれる」

 そう言って、彼はエリアのほうへと視線を送る。

「私?」

「そう。細かい事は秘密だけど、エリア。この世界の安寧を保つために必要な鍵は、君だ。くれぐれも、自分を大事に。うっかり誰かに食べられちゃったりとか、しないように気をつけるんだよ」

「は、はい」

 痛い所を突かれたように、エリアは背筋を正して大きな声で答える。


「エリアが、鍵…一体、何を隠しているのか…お、おい。満足したような顔をするな。余は何も理解していないのだが」

「とにかく、まだ大丈夫ってこと」

 そう言ってエフタは手をひらひらと動かして、呑気に先へと足を進めていった。

 レテも、後れを取らないように彼のほうへと歩いて行く。


「…な、なんか。私達って、神様の話にただ巻き込まれてるだけなんじゃ?」

 エリアはそんなことを呟きながら、置いて行かれないように、二人の背中を追ってぱたぱたと走り始めた。




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