1-21 冥界に響く祝唄
―――同時刻、マリーの家。
エドの様子が見えなくなったレリアが泣き叫びながら家から飛び出そうとするのを、マリーが必死に押さえつけて室内に留まらせる。
只ならぬ気配が迫りくるのを感じ取ったレテはその場で神経を尖らせて、下手に動かないように一同を制した。
エリアは立ち上がったまま、戸惑って周囲を見回す。
そんな中、リュック一人は部屋の奥で立ち尽くしたまま、半ば意識を失ったような状態でどこか虚空を見つめていた。
カラスの鳴き声が、窓の外から、あるいは上空から天井を突き抜けて響き渡ってくる。
レテが伺うように窓から上空の様子を見ると、カラスの大群は家の真上で旋回を繰り返し、空を覆う黒い渦となって何かを待ち続けていた。
「―――チッ。そういうことか、ワルプルギスの夜というのは」
レテは、少しだけ振り向いて室内の様子を窺う。
ふと足元を見ると、先程まではエリアの膝の上で寝ころんでいたメルが、外のカラスを睨みつけるように威嚇の姿勢を取っていた。
カラスはずっと、誰かを呼び出そうとするかのように通りすがりに窓を叩いては、また上空へと帰っていく。
「…そのうち、窓を叩き割って入ってくるぞ」
レテがそう危惧している最中、エリアは庭園のほうに何やら人影が見えることに気が付いて、窓のほうへと近寄って行った。
「…女の人が、いる。影の獣みたいに、真っ黒なひとたち」
その人影は、何人も、何人もが手を繋いで連なって、じっとこちらを見つめるように立っている。
横並びに並ぶ彼女達の中心、一人分だけ空いた隙間に誰かを呼び込もうとするように、両隣の少女の影は手をこちらに差し伸べている。
「殺す、全部消し飛ばしてやる!」
目に殺意を宿したレリアが、窓の外に向かって両手を突き付ける。
庭園の花々を掻き分けて現れた何十もの太い蔦が影の少女たちに襲い掛かるが、それらは彼女達に辿り着くまでに弾かれ、燃やされてそのまま地面へと叩きつけられた。
むきになって何度も何度も魔法を使うが、レリアのそれは幾ら振りかざそうとも影の獣を退けるには至らない。
「死ね、消えて、何処かへ行って!」
家の中からそう叫ぶレリアに向けて、影の少女の一人が手を伸ばす。
「…っ!!」
危険を予知して、レリアと彼女を抱えるマリーの前にレテが立ち塞がる。
次の瞬間に窓や壁を貫通して飛んできた氷柱の弾丸の数々は、彼女達をぎりぎりの所で掠めて背後の壁まで突き抜けていった。
「…牽制射撃にしては威力がおかしいだろうが、このじゃじゃ馬共が」
レテがそう吐き捨てても、影の少女たちはどこ吹く風で動じることは無い。
一歩間違えば頭を貫いていた氷塊の跡を見て、レリアは思わず攻撃の手を止める。
そこでようやく、彼女はマリーが必死に自分の身体を抱えて、誰も傷つかないように祈りまで捧げていることに気が付いた。
窓の外で手を繋いで、上空で渦を作って、彼女らは、彼らは一体何を待ち続けているのか。
ふと何かに気が付いたエリアは、背後を振り返って、先程から一言も発さないリュックの様子を確かめた。
「…リュック」
「…」
俯いたまま、何かを考え込むように彼女は黙っている。
誰かの話を聞いているような、何かを確かめているような。
そんな真剣な面持ちでゆっくりと瞬きをした後、彼女はその視線を窓の外へ向けた。
「そっか」
ただ、それだけ呟いて。
彼女は、小さく一歩、外に向かって足を踏み出した。
「―――駄目。行っちゃ駄目」
「…」
玄関の扉へと向かおうとするリュックの前に、エリアは立ち塞がって両腕を広げた。
エリアの目を真っ直ぐに見て、リュックは呟くように告げる。
「ごめん、エリア。会ってあげなきゃいけない子が、いるみたいなんだ」
何かを思い出したように、別の誰かが宿ったかのように、リュックは感情の無い目をしている。
「駄目、絶対にダメ」
「…このままじゃ、皆が怪我をするよ。私は、必ずここに戻ってくるから。心配しないで、ここで待ってて」
「嫌」
そんなやりとりを、レテは睨むように目を細めながら、ただ見ている。
カラスが窓を叩く音が、室内に響く。
「約束が、あるみたいなんだ。お祝いをしてあげないといけない」
「知らない」
エリアは首を横に振って、頑なにそこを動こうとはしない。
リュックは少し悲しそうな目をして、エリアと顔を近づける。
角が当たらないように、彼女はエリアと額を合わせて、声を落として諭すように話し始めた。
「大丈夫、私たちの約束は憶えてる。エリアを残して居なくなるような真似は、絶対にしない。ただ、少しだけ―――少しだけ、他の約束を果たすための時間が欲しい」
「…」
その『他の約束』が何のことかを彼女は知らない。
必ず帰ってくるという言葉も、不思議と嘘をついているとは感じないから、疑ってもいない。
ただ、とにかくその約束というものが、今、自分と共に居ることよりも優先されることがエリアには悔しくて。
一度許してしまったら、もう目の前の『リュック』を名乗る少女は二度と帰って来ないような気がして、エリアは頑なに彼女の服の裾を掴んで離さなかった。
また小さな声で、リュックは一言呟く。
「ごめんね」
エリアの腕を優しく押しのけて、彼女は玄関のほうへと歩いて行く。
必死で追い縋ろうとするエリアに向けて、様子を見ていたレテは、「もうやめろ、余の力でも守り切れるかわからない」とだけ告げた。
窓の外を見ると、手を繋いで並んでいた少女たちの全員が、炎や氷の弾丸を宙に浮かせてこちらへ打ち込む準備を整えている。
エリアは外を睨みつけて、絶対に嫌だ、という意思を言葉もなく訴えかける。
その矢先、死角を突くようにキッチンのほうの窓ガラスが割れる音がして。
そこから現れたカラスの集団が、エリアやレテに纏わりついてその動きを妨害し始めた。
その様子を見て、リュックは悲しそうな顔をして「ごめん」と呟いてから歩き出す。
外へと向かっていくリュックの後姿を、エリアは手を伸ばして掴もうとする。
その手はまるで届く事もなく、ただ空を切った。
リュックの姿は、玄関扉の向こう側へと遠のいていく。
彼女が庭園に出て立ち止まると、その目の前に、今まで上空で旋回していたカラスの群れが地上へと降りたって塊になっていく。
その塊は何やら黒い壁のようになって、次第に何かを形作り始めた。
―――おいで、おいで。
やっと応えて、来てくれた。
私達を守ってくれる、大事な、大事な、冥界の神様。
あの子が、待ってる。
早く、一緒にお祝いをしましょう。
それは、初めてリュックに出会った日にも見た、巨大な影の門。
その両側で、先程から手を繋いで待っていた影の少女たちは、彼女を歓迎するように取り囲んで、そのまま一緒に門のほうへと歩いて行く。
扉が、古い木が軋むような、空間を叩くような重い音を立てて開き始めた。
リュックは、影の少女たちの手を取って、扉の中へと歩みを進める。
「エリア!」
レテが叫ぶ。
エリアは、どんな手を使ったのか目の前のカラスを全て吹き飛ばして、全速力でリュックのほうへと駆け出していた。
それを咄嗟に追いかけるように、レテも身を屈めてカラスの猛攻を抜け出し、エリアの背中を目掛けて走り出した。
リュックの姿はもう、影の門の中に消えていこうとしている。
扉が閉まり始めた最中、エリアは玄関を出たところで、自分の身体を魔法で浮かせて壁を蹴る。
リュックの姿が完全に見えなくなった後、扉が閉まる少し前に、出せる限りの最高速度で彼女は影の門へと飛び込んだ。
レテも、自分の足で必死に走ってエリアを引き留めようとしていた。
勢い余って、彼女自身も影の門へと飛び込んでいく。
彼女達がそうして門に溶けていくように姿を消した後、冥界の門は、大きな音を立ててその入り口を閉鎖した。
辺りには、降り出した雨が地面を叩く音だけが静かに響いていた。
◇ ◆ ◇
何をしていたのか、一瞬思い出せなかった。
穏やかに流れる川のせせらぎの音と、土手道に立ち並ぶ桜の木が作り出す花吹雪。
エリアの眼前に広がる大きな川の向こう側には、見た事もない四角い建物が点々と並んで見える。
空は快晴で、つい先ほどまでの曇り空など夢だったかのように、春の陽射しが彼女の目を刺した。
ぼやけた思考で、周囲を見渡してみる。
隣には、同じように口を開けて青空を仰ぎ見ているレテの姿があった。
「…」
「どこだ、ここは」
は、と気が付いたようにエリアのほうを振り向くと、レテは目が覚めたように周囲を見回して、最後に自分の手を確かめるように閉じたり開いたりしていた。
エリアも同じように自分の手のひらを眺めていると、その手の上に桜の花びらが偶然落ちてきて、それが幻ではないことを証明するように、また風に乗って何処かへと飛んで行く。
「…綺麗」
エリアは、ふと思い立ったように自分の身体を魔法で浮かせて、土手道から舞い落ちる花弁と同じようにふわふわと川辺へと降りていった。
指先を川の水へつけてみるが、温度は感じない。
五感の全てが薄くなっているような、不思議な感覚。
「…ここが、あの門の中?」
独り言のように、自分の指先を見つめながらエリアは呟く。
「だとしたら、ここはとんだ陽気な冥界と化しているようだな」
川辺まで降りてきたレテが、同じように屈んで、川の水に手を触れてそう言った。
「冥界?」
「ああ、そうだ」
また立ち上がって、彼女は風が吹いてくる方角へと視線を送る。
「僅かだが、ここには余が知っている空気が流れている」
「知ってる、って?」
「言っただろう、余は獣の神、冥界を統べる存在である―――いや、あったと」
ああ、と思い出したように息を吐くエリア。
「ああ、って。本当に忘れていたのか貴様は。…余は、ずっと昔に何者かによって冥界の統制権を奪われた。その、何者かが影の力を持っていたことは、最初から分かっていたのだ」
「ここが、その奪われた冥界の中」
「そうだ。残念ながら、今の余にこれを奪い返す力は無いがな」
レテは後ろを振り向いて、今も花弁を舞い散らす桜並木を仰ぎ見た。
「てっきり、呑まれたら影の獣に叩きのめされるのだと思っていた。どうやら、ここの主はよっぽど楽天家らしい」
落ちてくる桜の花弁を拾い上げて、日の光にかざしてまじまじと見る。
「…一体誰の記憶だ、これは。この世界に、こんな景色があるなんて、余は知らなかったぞ」
ふと川の上流のほうへ目をやると、金属製らしい橋の上を、大きな箱のような乗り物がガタゴトと音を立てて走っているのが見える。
「私、あれ、知ってる気がする」
「あれ…は、車輪がついているのか?セブレムの自動車にしては、形状も大きさもおかしい気がするが」
「夢でね。あれに、乗ってたの」
「夢?」
「うん。リュックと初めて会った頃に、見た夢」
「…」
レテは訝しげな顔をして、踵を返すと土手道のほうへと昇っていく。
「あ、魚の骨だ」
そんなことを呟きながら、エリアはまだ川辺の水やら小石やらに目を奪われていた。
なんとなくその姿を眺めていたくなったレテは、坂道を登り切った後も、少しの間黙ってエリアのほうを遠目から見つめている。
手のひらの上に小さな魚の骨を乗せて立ち上がったエリアは、ただ自分のほうを見ているだけのレテの姿を、不思議そうに見つめ返した。
ぼんやりとしているエリアに向けて、レテは少し声を張って呼びかける。
「行くぞ、エリア。リュックを探しに行くのだろう」
「う、うん」
慌てて歩き出したエリアは、少しよろけながらレテを追いかけて土手を登っていく。
「魚の骨は置いていけ。気になるならそこらへんに埋めてやればいい」
「うん」
こんな穏やかな世界でなら、もう少しだけ長くいてもいいかな、なんて能天気なことも考えながら、エリアは桜の木のすぐ下あたりにしゃがみ込んで、小さな穴を掘って魚の骨を優しく埋めてあげた。
「にゃあ」
いつの間にか隣にいたメルが、嬉しそうに鳴く。
「あれ、ついて来てくれたの」
また小さく鳴いて、彼女はエリアの膝の上に乗る。
「じゃあ、一緒に行こうか」
エリアはメルを抱き上げて、その桜の木を少し名残惜しく思いながら、足早に歩いて行くレテを追いかける。
少し振り向いて、挨拶をするようにその景色を一瞥した後、彼女達はその花吹雪が舞う空間を後にした。
歩き去る最中、なんだかメルが二人にお礼を言っているような気がして、エリアは不思議そうに抱きかかえた黒猫を見つめていた。
少しの間歩いていると、気づけば周りには桜並木も水面も見えなくなっていて、その代わりには視界を覆うような大きな建築物が立ち並んで二人を圧倒した。
格子のような枠で区切られたガラス張りのものや、液晶画面や広告に覆われてその姿が殆ど見えなくなっているもの。彼女らを囲うそれらの間から伸びてくる大通りが、彼女達の足元で大きな交差点となって広がっている。
恐らくは車道になっているその道の周りを見渡すと、白の縞模様が足元に連なる先、遠くに小さく見える赤と緑のライトが点滅を繰り返していた。
その圧倒的な広さ、あらゆるものの大きさに反して、辺りに人の姿は見当たらない。
「…また、よくわからない光景が出てきたな」
「なんて、いうか。カミヤちゃんが、好きそうな景色」
エリアはそんな独り言を呟きながら、周りを見渡す。
「…あれ。もしかして」
何かに気が付いた彼女は、少し小走りに足を進めて、その人影のほうへと近づいて行った。
後を追いかけていったレテも、その人影の正体に気が付いて声を上げる。
「…エド」
名前を呼ばれて、呆けたように俯いていた彼は気重そうに顔を上げた。
「…レテ、エリア。君たちも、来たのかい」
「貴様こそ。カラスに喰われでもしたのか?」
「いや。不意を突かれて、影の門に連れ去られた」
「そうか」
彼女が前にあった彼とは別人のように暗い目をしたエドの様子に、レテも流石に気を遣うように目を逸らす。
「…街は、どうなった」
身体を動かす気力も無く、彼は首と視線を少しだけ動かしてレテとエリアを交互に見る。
黙っているエリアの様子を見て、レテが続けて彼の質問に答えた。
「知らん。見てはいないが―――カラスの群れは、マリーの家にまで到達した。地理的に考えて、その道中に被害が出た可能性はあるだろうな」
そう冷たく言うレテの様子に焦ったエリアは、エドの正面に駆け寄って彼の肩を掴む。
言葉は発しないものの、目で「あなたは悪くない」とでも言うように彼女は首を横に振った。
「…そう」
エドはそれだけ呟いて、また視線を力なく下げた。
エリアは、レテのほうを振り向いて不安そうに言う。
「ねえ、ここから私達の世界に帰る方法って、無いのかな。心当たり、ない?」
そう聞かれて、レテは目を逸らす。
「…当然の話だが、冥界は本来、死者が行きつく果ての場所だ。少なくとも余がここを統べていた頃には、生前の姿で地上へと帰る手段など存在しなかった」
「…」
「にゃあ」
足元で、メルがまた鳴き声を上げる。
「…メル。あなたは、何か知ってるの?」
そう問いかけても、メルはエリアの目を見つめ返すばかりで何も答えない。
エリアはメルを抱き上げて、至近距離で目を合わせたまま、お互いの様子を少しの間眺め合う。
「エドを、元の世界に帰らせてあげて。…あなたはきっと、それが出来るんでしょ?」
「にゃあ」
メルはエリアの手から飛び降りて着地すると、エドのほうを向いてじっと立ち止まった。
「…」
「―――おいで」
瞬きをした、その瞬間。
メルが居た筈のその場所には、猫ではなく、背の低い女の子の姿があった。
黒い外套を身に纏って、同じく黒く薄汚れたフードを被った不気味な少女。
彼女は、エドの正面に右手をかざして、刺々しい歯を見せて笑う。
先程も見た、威圧感を放つ大きな影の門が、エドの目の前に姿を現す。
「…貴様、普通の猫ではないとは思っていたが。よもやここまでの権能持ちだったか」
「これで、外、帰れる」
レテの発言は意に介さず、少女はエリアへそれだけを告げた。
「…エド。あなたは、先に帰ってて」
エリアがそう促しても、エドは一向に動き出そうとはしない。
「…合わせる顔が、無い」
「そんなこと、ない」
「僕が引き受けるって言ったんだ。時間稼ぎにしかならなくても、隊の彼らが避難誘導を行う時間だけでも作り出すって。セブレムの彼らが、病院や教会を守る準備を整える時間を作るって」
「…」
「今から戻って、もし誰かが命を落としていたら、病院が瓦礫の山になっていたら。僕は、そこでどんな顔をしたらいいのかわからない」
レテは、はあ、と溜息をつく。
「貴様、性根はかなり根暗な人間なのだな」
「…」
「レリアが、お前に会いたがっている」
は、と息を吸い込んでエドはレテのほうを振り向く。
「せめて、あいつにだけは会ってやれ。後のことが嫌なら、余がまた貴様を冥界に放り込んでやる」
エドは、暫く目を閉じて深く呼吸をする。
何かを考え込んで、逡巡するように表情を歪めて、また息を吸い込んで。
何度かそれを繰り返して、彼は覚悟を決めたように咳払いをした。
「…ありがとう、レテ。冥界には、もう当分、来ないことにするよ。君たちも、一緒に帰る?それとも、何か用事があるのかい」
「…まだ帰らないだろう、エリア」
エリアはレテにそう聞かれて、「うん」と頷く。
「リュックを探しに行くの。見つけたら、私達もそっちに帰るよ」
「そっか、あの子もここに来てるのか。―――分かった。メル、その子達と、リュックのことを頼むよ」
そう言われて、影の少女は小さく頷く。
「僕にはまだ、やらないといけないことが多すぎる」
エドが門をくぐった後、それは重い音を立てて扉を閉じた。
「ありがとう、メル」
エリアがそう告げた後、レテが続けざまに少女へ疑問を投げかける。
「一応、確認するが。貴様、今の冥界の主ではないのだな」
少女は、右手を降ろした後、静かにそれを否定した。
「ちがう。メルは、ディアじゃない。ディアは、この世界のまんなかに、いる」
「ディア?」
「ディアは、ディア。影の、魔女の子。今日は、あの子の、誕生日なの」
少女は、一切視線を動かすことなく、淡々とそう告げる。
意味が分かったような、わからないような、そんな目をしてレテは首を傾げる。
「璃空が、待ってる。はやく、行こう」
少女は、そう言うと姿を消して、彼女が居た足元にはまた影の猫が姿を現していた。
「にゃあ」
「…そうだね、行こう」
エリアは、その言葉に何の疑念も抱くことなく、猫の姿へと戻ったメルのことを追ってまた歩き始めた。
「…」
レテも、メルが誰のことを探して歩き始めたのか、なんとなく理解は出来ていた。
『璃空』というのが、今自分たちが探しているのと同じ人物を指していること。
なぜメルがそれを知っているのか、この猫が一体何者なのか、そういうことは何にもわからないまま。
彼女達は、ただその小さな影を追うように歩みを進めた。
その後に現れた光景は、どれも見た事もない、彼女達の目を引く美しい光景ばかりだった。
水上に浮かぶような大都市、坂道に連なる灯が夜を照らす街。
車が点に見える程の高さから見る街並み、今にも世界を覆ってしまいそうな岩肌が作り出す洞窟の中。
時にはどこまでも続く地下通路の中で迷いに迷って、天井に掛かる電光掲示板を頼りに、不安になりながらまだ通っていない道をしらみつぶしに調べたりもした。
そうしてどこまでも歩いて行くうちに、見える景色は見たことのない景色から、どこか懐かしさを思わせるような西洋式の光景へとその色合いを変え始める。
更にメルの後を追って歩いて行くうちに、辺りには想像を絶するほどの巨木が立ち並び、天を覆う枝葉が日の光を遮断する、深海のような空間へと変化を見せた。
「…ここは、今までと違う。空間に満ちている魔力の量が、桁違いに多い気がする」
辺りを見回して警戒気味に目を細めるレテは、巨木と巨木を繋ぐように作られた足場の上に作られた小屋の数々を睨むように当たりの様子を窺っていた。
「誰か、居るのかな」
エリアは、無警戒に魔法を使って足場の上まで昇っていき、辺りの小屋の中を覗き込みながら先へと進んでいく。
「下手に覗き込むな、余から離れていたら何かあっても守り切れんぞ」
「うん」
そう答えつつも、エリアは次々と小屋の中を確かめながら森の奥地へと向かう。
「にゃあ」
メルも、近くに何かを見つけたように歩みを早めて、跳ねるように近くの足場を登り始めた。
「よ、余は空も飛べないし猫のように木登りも出来ないのだ。少しくらい合わせようとはしてくれないのか!?」
レテは、慌てて近くにある階段のほうへと駆け寄って、息切れを起こしながらメルとエリアの姿を追いかけていく。
そうして彼女達が辿り着いた先、森の奥に見えてきたのは、重力など忘れてしまったかのように足場の上に建てられた、まるで子供が夢見るお城のような建物だった。
「歌声が、聞こえる」
形状は城のようであっても、色合いは木製そのままの黄土色の小屋の中。
楽しそうな歌声が、小屋の中から響いてくる。
扉の前で、メルが座り込んで、扉を開けて欲しそうにこちらを見ている。
「やっと、ついた」
「…ああ」
その歌声の中に、彼女の声は聞こえずとも。
探していたその人が小屋の中にいるというのは、二人共が、直感的に気が付いていた。
聞こえてくるのは、誰かの誕生日を祝う歌。
きっとそうして祝われている誰かは、今、幸せの只中に居るのだろうとは分かっていながら。
エリアは、彼女が意地でも失いたくないその人を奪い返すために、その小屋の扉に手を掛けて、その『誰か』の幸せな夢に足を踏み入れた。
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