1-14 命の契り
「体調不良?」
「そう。何でかわからないけど、夜中にベッドから居なくなったと思ったら、門の外で倒れてて」
電話越しに、マリーは分かる範囲のことをエドに伝えた。
「エリアちゃんが気が付いたの。部屋を見に行ったら姿が無い、って」
その夜、エリアはメルの鳴き声で目を覚ました。
影猫は何かを伝えるように一つ声を上げたあと、リュックの部屋の前まで歩き、その扉をかりかりと引っ掻く。
その行動に意味を感じたエリアが部屋の扉を開け、彼女の不在に気が付いた後、メルに促されるまま外に出たところで倒れているリュックの姿を見つけたのだった。
メルの存在は、エドには伝わっていた。
「…リュックの目が覚めたら、詳しく事情を聞こう。どのみち今日は、彼女のために時間を確保してたから」
「うん。ありがとう」
「特に身体に異常は診られないんだよね?」
「大丈夫だと思う。ただ、心のほうはちょっとわからない」
「了解」
一通り確認はして、彼は電話を切った。
『―――エリアの次は龍の女の子?体調管理のできない子たちなのかしらね』
『…いや、そういう訳ではないと思うんだけどね。何か、穏やかではないみたい』
レリアからの念話。
彼の普段の様子は、日頃からレリアには伝わっていた。
見られているのではなく、エドが恣意的にレリアに街の様子を見せている。
それも、念話に近い魔法による知覚共有である。
『魔女から魔力を吸うわ、徘徊して意識を失うわ。とてもではないけど、まともとは言えないわ』
『彼女にはエリアと会う前の記憶が無いし、龍人としての自覚も無かった。だから仕方ないとは言わないけど、彼女にも何らかの事情はある筈だよ』
『…私、そのリュックって子とは仲良くなれる気がしないわ。当分は連れてこないでよね』
『…わかったよ』
なにやら不機嫌な様子のレリアは、それだけ言って念話を切り上げてしまった。
元々人見知りで面識のない人間には冷たく接するレリアではあったが、まだ会った事もないリュックに対しては、より一層当たりの強い言い方をしている節がある。
レリアから見て、リュックはただ自己中心的な振る舞いをしている、考えの理解しがたい人物。
実際その認識が間違いかどうかはともかく―――ここ最近はエドがリュックのために仕事の量を増やしているのも事実。その事が、レリアにとっては気に入らない要素の一つだった。
加えて、エリアと深く接するからには、彼女にはまともで冷静で、信頼できる人物であって欲しいという考えを持っていた。
「―――あ。エドさん、市庁舎に居たんすね。リュックさんは居ないんですか?」
後ろから声を掛けたのは、なにやら荷物を抱えて歩いていたウィルだった。
「うん、ちょっと理由があってね。ウィルはニノさんとは上手くやってる?」
「いやぁ、まあボチボチっすね。いつも通りそっけないです」
「んはは、まあそういう人だからね。彼女、ワルプルギスの夜の記録も付けてる人だから。せっかくだし詳しく聞いときなね」
「うっす。―――あぁ、それと、エドさん宛に手紙来てましたよ。急ぎの用みたいなんで養成所に持ってこうと思ったんですけど、今渡しちゃいますね」
「ありがとう。騎士団から?」
「はい」
王都パリの騎士団から届いた一通の手紙。
宛先は衛兵団の哨戒部隊の代表宛ではなく、エド個人宛になっている。
「…後で、確認するね。んじゃ、仕事頑張って」
「はい!」
ウィルは元気よく答えて、軽快な足取りで市庁舎の廊下を歩いて行った。
また市庁舎の職員とぶつかりそうになっていたが、今度はなんとか回避していた。
「…開けたくないな」
エドは溜息をついて、『機密』と書かれたその手紙を眺めた。
◇ ◆ ◇
「おはよう」
ベッドの横で、不安とも心配とも見える表情でエリアは座っていた。
「…」
お互いに何も言わずに顔色を窺う。
「エリア。今日はマリーと出かけるんじゃ」
「この状況で、構わず出かけると思う?」
「…ううん」
また少し黙り込んだ後で、エリアはリュックの手に触れようとする。
リュックは咄嗟に、無意識に、触られそうになった左手を引っ込めてエリアの顔を見た。
「―――あ、いや。その」
リュックからのその態度で、エリアは尚の事、表情を暗くする。
少し俯いて、髪の隙間からは僅かに首筋が見えた。
「…」
『わかるわ』
『とっても、美味しそうなの』
唾を呑む。
違う。
そんなこと、考えてない。
そう考えながら、彼女の眼はエリアの首元に釘付けになる。
誤魔化すのにも、もう限界が来ていた。
「―――エリア。ごめん、喉、乾いたな。お水、持ってきてくれない?」
「…うん」
エリアは、ただ頷いて席を立つ。
そのままリュックに背を向けて、静かに戸を開けて部屋を出て行く。
(―――今襲い掛かったら、この子は私のものになるだろうか)
ごく自然に、リュックはそう考えた。
扉が閉じて、自分の異常な思考に気付く。
そして、ああ、これは駄目だと悟った。
一度言語化されてしまった感情は、もう気付かない振りは出来ない。
いつか、取り返しのつかない過ちを犯すと彼女は確信した。
少し、距離を置かないといけない。
もし、気持ちが収まらないのなら、少しではなく、もっと長い時間。
遠くに、行かなければいけない。
元より、何も持たずに、何もない場所に倒れていた身だ。
持っていく物も、置いていく物もない。
彼女は、音を立てずにベッドから立ち上がった。
「リュック。お水、持ってき―――」
エリアは暗い表情のまま、プレートにガラスのポットとコップを乗せて部屋に戻ってくる。
そこに、リュックの姿はもう無かった。
部屋の窓は開け放たれていて、風でカーテンが静かに揺れた。
「…」
その表情のまま、目だけを見開く。
ああ、そんな気はしたんだ。
遠くない将来、そんな日が来るだろうな、と思っていた。
そう、諦めるように彼女は誰も居なくなったベッドを見つめる。
多分、リュックはもう帰って来ない。
エリアはそう直感した。
この街に来てから、ずっと不安定で、目を話したら消えてしまいそうだった。
泣きそうな目をしていて、その目はいつも私のことを見ていなくて。
だけど、いつだって私の為を願って考えて、悩んでくれていた。
そうやって私の為を願って、最後には自らの姿を消してしまう。
全部、全部、一度経験したものだった。
子供の時、同じように大切な人がある日突然いなくなって、私は「遂にその日が来たか」と諦めた。
これからは一人で生きていくんだと、考えることを投げ出した。
そうやっていい加減に投げ出しておきながら、いつか、もしかしたら、母は帰ってくるんじゃないかと。ずっと期待し続けた。
今、またこの感情から逃げたら。
リュックは、本当にもう帰って来ない。
また、私は何も知らないまま。
あなたの為だから、と一人で置いて行かれるのだ。
手に持っていたポットも何も全て床に落としてしまったことに気付かずに、エリアは開け放たれた窓の枠に静かに触れた。
◇ ◆ ◇
あてもなく、リュックは街の中を歩き回っていた。
また、日の光が差さないような路地裏を一人で彷徨い歩いている。
昨日の夜に出会った女性が言っていた事が頭の中で繰り返される。
「私達は、そういう生き物だから」。
その言葉の真意が、彼女にはわからなかった。
自分が龍人だから?
龍人は、本能的に魔女を捕食しようとする習性があるとでも言うのか。
そうであれば、むしろ幾らかマシだと思った。
これが生き物として抱いて仕方ない感情だというのなら、エリアを見て自分が考えたことに根拠が生まれるから。
それなら、自分は異常ではないと、少しはこの自己嫌悪も楽になる気がした。
ここに来るまでに、誰かに相談を試みては辞めることを繰り返していた。
誰にも見られないように衛兵団を訪れ、エドと入れ違いになったことを知った。
セブレムの敷地の前まで行って、何を話せばいいかわからなくなって引き返した。
「龍人は人を喰うのか」などとエドやユアンに聞けるはずもない。
その答えがどうであろうと、自分が狂人扱いされることは目に見えている。
この街を離れるなら、静かに離れたらいい。
エリアの身に危険が及ばないように、エドには一言伝えて。
彼には悪いが―――自分がエリアを傷つけてしまうよりは、何倍もマシだと思った。
エドやマリーが居れば、エリアはきっとこの街で楽しくやっていける。
セブレムの人達も、ウルフセプトの人達もいる。
自分一人が居なくなっても大丈夫な理由は、充分過ぎるほどにあった。
「…」
誰かに見られている気がして、後ろを振り向く。
そこには誰も居なくて、ただ無造作に積まれただけの木箱やら何やらが壁際で影を落とした。
これから、どうしようか。
マリーの家にはもう戻れない。
こうして時間を追うごとに、ずっとエリアの姿が、一緒に寝た夜のことが頭から離れなくなっていたから。
もう一度目の前であの笑顔を見たら、自分の心の中にある「それ」は収まりがつかなくなると気が付いていた。
どうにかしてエドに会って事情を伝えたら、早急に街を出ようと彼女は心に決めた。
どこに行くかはわからない。
今度は一人だ。
エリアと共に目指した最初の街に行こうか。
それとも、どこにあるともわからない故郷を目指して歩こうか。
記憶もない。背負うものもない。
いっそ、最初の高原に行って、あの黒い門が現れるのを待とうか。
それでいいや、と彼女は歩き出す。
考えれば考えるほど全部が嫌になった。
自分嫌いは、今になって始まった事では無かったから。
もう半ば自棄になって、早く路地を抜けようと、彼女はより暗い方へと歩き始めた。
そのさらに先。
暗くて見えにくい場所に、人影があった。
彼女はゆっくりと歩いて、そのままリュックに穏やかに体当たりするように身体に抱き付く。
「…」
「ねえ、リュック」
エリアは、今までずっと一緒に居たかのように、自然に話し始めた。
「私の事、どう思ってるの」
リュックは抱き付かれたまま何も言えなくて、ただ息を切らして自分の中の『何か』を押さえつけた。
「私の事、大切だって言ってくれたよね」
「うん」
「嘘じゃ、ないんだよね」
「うん」
「でも、私の事、置いて行こうとしたよね」
また、唾を呑む。
視点が定まらなくて、周りにある木箱や置物に絶えず視線を動かす。
「私、気が付いてたよ」
「…?」
「リュックが、私の事どう見てたのか。あの夜、あなたが何を考えてたのか」
心臓が跳ねる。
身体を寄せているエリアにもその心拍が伝わる。
「私ね。別に、あなたに食べられてもいいと思うんだ」
「何、言って」
「だって、私、あのままアゼリアに居たら、どうせ死んでたと思うから」
「―――」
「影に食べられてたかもしれない。誰かに襲われてたかもしれない。自分で、命を絶ったかもしれない」
リュックは首を横に振る。
そんなことはあってはいけないと、必死でエリアを抱きかかえて繋ぎとめようとする。
「だって、ずっと一人だったんだよ。頑張って耐えてたけど、ずっと寂しかったんだよ」
感情の読めない声で、諭すようにエリアは話し続ける。
「私にとっては、あなたは救いの象徴なの。あなたが私を必要としてくれるから、私には生きる意味が生まれるの」
「私、一人で勝手に死ぬような、そんな終わり方をするくらいなら、せめてあなたの一部になりたい」
「駄目、だよ」
「駄目、じゃない。いいんだよ、それで」
身体を少し離して、互いの顔を正面から見るように目を合わせる。
「いいの?私、一人にしたら、きっと勝手に死んじゃうよ」
息切れが止まらなかった。
一人にすれば、彼女は死んでしまう。
一緒に居れば、いつか殺してしまう。
「いいんだよ。いつか私が死んだら、あなたは私を食べていいの。―――それまで我慢が出来ないなら…それでも、構わない」
一瞬息を吸い込んで。
―――いいの。
そう言いそうになって、リュックは息を止めた。
どうしたらいいかわからなくて、思考はぐしゃぐしゃに乱れた。
「ねえ、リュック」
エリアはリュックの顔を両手で触って、顔を寄せて聞く。
「私の事、好き?」
「―――」
「好き、だよ。誰よりも、一番。愛してる」
そう言った瞬間、エリアは頬を赤く染めて、今まで見た中でも一番嬉しそうに、そして一番意地悪な笑顔でリュックに笑って見せた。
「私も、大好き。ずっと一緒に居てね、約束だからね」
「…」
エリアは少しだけ背伸びをして、彼女に更に顔を近づけた。
これでもう、離れられない。
彼女を生かすには、一緒に日々を送りながら、この衝動に耐えながら生きていくしか無くなってしまった。
でも、嬉しくて仕方がなかった。
暫くの間、また二人はそのまま感情に身を任せて呼吸を止めた。
エリアの背後、少し遠くに見覚えのある姿が見える。
「―――渡さないから」
リュックがそう言うと、彼女は何も言わずに、ニィ、と笑って音も無く影に消えた。
彼女は、去り際に「ほらね」と笑った気がした。
◇ ◆ ◇
記録 - - 某日 ラベト壊滅 - -
生存者0名、全ての村民が魔獣の襲撃に伴って殺害される事案発生。
本件の調査は現在も進行中のため、全ての調査が完了、情報の取り扱いが確定するまで当該資料は極秘事項として取り扱う事。
追記する場合、不確定な推測等は記載しないよう注意されたし。
また、ラベト村より要請された魔女討伐依頼、及び派遣された騎士団員の失踪に関わる内容については別資料に記載。
明確な関連性が確認されない限り、上記に関わる内容は本資料に記載しない事。
以下、被害内容についての詳細を記載する。
死者数 108名
行方不明者数 不明(推定70名程度)
村内、及び近隣で数匹の魔獣の死骸を確認。村民の抵抗の痕跡と見られる。
近郊の丘陵に無人の小屋を確認。血痕があるが遺体は発見されず、関連性不明。
ラベト住民との最終交信日時は――――
―――― --月--日 追記
一部の検死対象に、魔獣の噛み傷ではないと見られる損傷を確認。
明確に心臓を狙って抉られた形跡があるほか、腕や首の切断面が明らかに刃物で切り落とされた跡となっている遺体も確認された。
また、同時に発見された魔獣の死骸についても刃物による傷を確認。
傷の角度等から、上記の損傷を与えた生物は、人間と同等の体格を有すると見られる。
また、魔獣の死骸は心臓だけをくり抜くように損傷しており、心臓そのものは周囲に発見されなかったとの報告在り。
上記推察に記載される『村民の抵抗の痕跡』とは言い難いため要訂正。
魔獣同士の共食い行為が考えられるが、上記のような損傷を与えられるような強力な個体は過去に確認されていない。
村民、魔獣を除いて、骨すら切断するほどの『斬撃』を行える生物に心当たりがあるならば、継続して調査を続けることを推奨する。
―――こんなことが出来る生き物を、私は龍人しか知らない。
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