友達

絵空こそら

ともだち

 「友達以上恋人未満」って言葉が嫌いだ。

 だって、友達のことを馬鹿にしているとしか思えない。恋は盲目。好きで好きで頭がおかしくなっちゃって、相手すらよく見えてない奴らと、私たちの関係を一緒にするなよ、と。お互いの美点も欠点も理解して、一定の距離を保ちながら尊重し合っているこの関係を、勝手な言い分で貶されるのは腹が立つ。

 なんて啖呵を女子グループの会話の途中できれるわけもなく、「今日五時起きで彼氏とお揃いのお弁当作ったの」と嬉しそうに語っている安達を眺める。

 安達は、一個上の彼氏が出来てからそいつの話しかしない。彼の好きな食べ物とか、テストで、部活の県大会で何位だったとか、飼ってる猫の名前とか、今度お家デートをする、とか。

 鈴木は「うちの彼氏くんもさ〜」と同じ話題で盛り上がり、時田は「彼氏いいなあ〜」と羨ましそうに言う。私は適当に相槌を打ちながら、母の作ってくれた弁当を食す。

 つまんねえな。一年の時もつまんなかったけど、平澤との沈黙は、この苦行みたいな会話よりはずっとましだった。

 廊下で平澤と遭遇した時、彼は「よかったじゃん」と言った。

「友達できてよかったじゃん」

「そう見える?」

 私は少し睨むようにして彼を見た。平澤は真っ向から私を見返し、

「じゃあ何でつるんでるの」

と返した。

 私は口籠った。彼は口の端を上げ、

「ほら、よかったんじゃん」

と言ってクラスに戻った。


 去年のクラスでは、大半の女子にハブられていた。中学の頃から犬猿だった奴が先に手を回し、私と話さないように触れ回ったのだ。

 いくらいけすかないとは言え、奴の為に志望校を変えるのは嫌だったし、もし同じ学校になったとしてもクラスが一緒になる確率は高くないと思っていた。こんな時ばかり引きが強くても、全然嬉しくない。

 それにしたって、流言を流す方も流す方だが、真に受ける方も真に受ける方だ。中立的な立場の奴もいたが、わざわざ藪をつつこうとする奴もいなかった。やはり学校社会はくだらない。辞めてやろうかとも思ったが、不登校になるなんて奴の思う壺だから、楽しくなくても意地で通っていた。

 そんな時、突然不登校児が登校してきたのだ。

 平澤は話す声も小さく、俯きがちだった。最初は日和見で遊びに誘っていた男子連も、徐々に構わなくなっていった。トレンドが過ぎた不登校児とハブられた陰キャ、去年の私たちはそんな感じだった。

 平澤は私がクラスでハブられていると知るや否や、たまに話しかけてくるようになった。私は平澤に小さな声で話しかけられるたび、侮辱されたようで腹が立った。傷の舐め合いのような気がしたのだ。

 廊下で二人きりになった時、私は正面切ってそのことを平澤に告げた。平澤は真っ直ぐに私の目を見た。

「辛いでしょ」

「ほんと、辛いから。話しかけないで」

「人から無視されるのって辛いでしょ。引きこもりと同列視されてそんなに怒るなんて、結城さん、中学までは平和だったんだね」

 私ははっとした。その声は少しも怒りを含んでいなかった。

 たしかに、中学までは、敵対している奴がいたとしても、私の周りにも友達がいた。私は認めたくなかったのかもしれない。教室のヒエラルキーの最下層に落ちてしまったことを。そして、自分を棚に上げて、平澤のことを無意識に下に見ていた。

「ごめん」

 私が小さく謝ると、平澤は首を振った。

「学校生活って一人だと不便だし、協力した方がいいと思うんだ。君が友達になってくれたら嬉しい」

 その時の平澤の笑顔をよく覚えている。小さい子を安心させるような顔。平澤は私のことを同列どころか、完全に弱い存在だと思っていたに違いない。少し前まで私を怒らせたその事実は、その時ふと私の心を緩ませた。


「結城、」

 名前を呼ばれて、振り返ると平澤が教室の後方のドアの所に突っ立っている。珍しいこともあるものだ。私は食べ終わった弁当を片付けて席を立つ。

「何」

「委員会の当番、代わって」

 なんだそんなことかと少し落胆する。

「理由と報償」

「部活とカンパネラ・ベルのダックワーズ」

「いいよ」

 平澤は少し笑ってありがとうと言い、自分のクラスに帰っていった。


 席に戻ると三人が興味津々という様子で笑っていた。

「結城って、平澤と付き合わないの」

「付き合わないよ」

 この話題は私の神経を逆撫でする。でも、そんな態度はおくびにも出さずに、私は答えることができる。

「友達?」

「そう、友達」

 あんたらとは違う、ほんとの友達。

「えー、付き合っちゃえばいいのに」

「一年の時はずっと一緒にいたんでしょ」

 一緒にいたから何だ。あんたらともほとんどずっと一緒にいるだろうが。

「むりむり」

 ええー、という声とチャイムが重なった。

「やば。次移動じゃん」

「だるう」

 寄せられていた机が次々解体されていく。助かったと思った。


 ボーイズラブっていうのがあるらしいよ。

 いつか帰りに寄った本屋で、そんなことを言った。

「男の子同士の恋愛のジャンル。女の子同士はガールズラブって呼ぶらしい」

 私が言うと、平澤はピンク色に包まれた美麗な男たちの絵に目線を落とした。

「平澤は男子に告白されたらどうする?」

「その人が誰かによるよ」

「じゃあ、友達だったら」

「断ると思う」

 平澤は即答した。

「なんで」

「なんか、うまくいかなくなった時、関係がそこで終わっちゃいそうだから」

 私は鼓動が速まるのを感じた。

「仲直りできないってこと?」

「うん」

「なるほどね」

 そうか。私は全然内容が入ってこなかった立ち読み用の薄い冊子を閉じた。


 帰り道、平澤を見かけた。

 二年に上がってから、何を思ったのか平澤は写真部に入った。存外楽しいらしく、最近は部活の仲間たちとカメラを持ってあちこち飛び回っている。

 現に、少し先を歩いている平澤は、商店街を数人と歓談しながら進んでいく。その楽しげな様子を見ると、なぜだか胸に苦いものが込み上げてくるのを感じた。

「よかったじゃん」

 いつか平澤に言われた言葉を呟いてみる。

「よかったじゃん、楽しそうで」

 知っていた。平等だと思い込んでいたのは、そう思いたかったのは私だけだ。最初から平澤は私よりも遥かに多くのものを持っていた。

「結城」

 気づいたら平澤が目の前にいた。

「どうしたの、そんなところで止まると危ないよ」

 周りを見回すと、私は確かに道の中心で突っ立っており、通行人の邪魔になっていた。慌てて道の端に移動する。

「今日はありがとう」

 平澤は小さな包みを取り出した。カンパネラ・ベルのダックワーズ。私の好物。

「平澤」

 私は手の上に載ったレモン色の包みをじっと見た。

「平澤が学校出てきてくれて、よかったよ」

 平澤はくすりと笑った。

「事あるごとにダックワーズが食べれるから?」

「それもある」

 私も笑う。

「ありがとう平澤」

 それを聞いて、平澤は目を丸くした。

「結城が弱ってる」

「弱ってない」

「そんなしおらしいこと言うなんて、何かあったの」

「何にもない」

「しまったな。委員会の仕事で追い討ちかけたか」

「違う」

 図書委員の仕事なんて、ただカウンターにぼーっと座っているだけだ。そんなの、昼間の会話に比べたら、なんてことはない。

 そうだ。どうして楽しくないのに、あの三人とつるんでるんだろう。

「ねえ平澤、友達って何」

 ついそんなことを口走った。

「改めて聞かれると、難しいな」

 平澤は頭を掻く。

「えっと、一緒にいると楽しくて、信頼できる人。何かあった時に助けてくれる人。尊敬できる人」

 楽しくない。信頼できない。助けてくれなそう。でも、たぶんあの三人も、私に対して同じことを思っている。

「平澤が同じクラスだったらよかったのに」

「ほんと?俺も同じこと思ってた」

 思わず溢した言葉に、思わぬ言葉を返されてびっくりする。

「え?」

「なんでそんな驚くの」

「だって」

 平澤は最近楽しそうだ。私が入っていける余地なんてないように見える。彼は気まずそうに頬を掻いた。

「実はあんまりクラスに仲良い人いないんだ。結城も自分のクラスで楽しくやってるみたいだから、部活に逃げてる」

「別に、私は楽しくないよ」

 憎まれ口を叩きながら、私は激しく動揺していた。彼が言ったのは、つまり、私に気を使ってあまり話しかけに来なかったと、そういうことなんだろうか。

「そっか、早く楽しくなるといいな。って、人のことを心配してる場合じゃないけど」

 平澤は、少し笑った後、真面目な目をして言った。

「あのさ、さっき言った友達の定義って、全部結城のことだよ。だから、何かあったらちゃんと俺にも教えて」

 その真剣な顔を見ていたら、胸にぐっと熱いものが込み上げてきた。

「うん」

 私もそうだよ。心の中で呟いて、泣きそうになるのを必死に堪える。

「平澤、来年クラスが違っても、たまに遊ぼうね」

「うん、遊ぼう」

 その柔らかな笑顔を見ていたら、悩んでいたことがどうでもよくなってきた。私は平澤とずっと仲良くいたい。

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友達 絵空こそら @hiidurutokorono

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