浮気してた夫が「おおっとぉ?」な変態だった話

ながやん

ライバル(前)

 水圧のやや弱い、ラブホテルのシャワー。

 熱い湯が出るだけいいと思って。私は溜息ためいきを一つ。

 白く煙るバスルームで、そっと目の前の鏡に手を伸べた。曇った表面を手で撫でると、そこには酷い顔の女がいる。

 私は、伊万里鞠花イマリマリカ

 冗談みたいな名前の28歳。

 結婚5年目の人妻だ。


「はあ、なにやってんだろ私……」


 酷く疲れていた。

 もう帰りたい、今すぐ逃げたい。

 でも、本当に逃げ出したいのは今という現実からだ。

 チープなアメニティの小袋を一瞥いちべつして、その中からボディソープを取る。

 嫌な記憶など、洗い流してしまいたかった。

 それは、今から小一時間前の出来事だった。

 私はうんざりする過去を少しだけ振り返る。





 夫が浮気をしていた。

 それも、女子高生と。

 ここ数年、セックスレスだった私の愛情にとっては、トドメの一撃だった。

 雑で迂闊うかつで警戒心がない、そんな夫にも腹が立った。お互い共働き、それもエリート商社マンとキャリアウーマンだ。やるならバレないようにやってくれればよかった。

 知らなければ、私だって責めずにすんだかもしれない。

 ただ、相手が未成年だったから面倒だ。

 私は自分に大人を言い聞かせて、精一杯の対応を試みたんだ。


「ごめんなさいね、突然呼び出して。来てくれてありがとう……ええと、ユウちゃん、って呼んでいいかしら」


 週末で誰もが浮かれる夕暮れ、有名な進学校の近くのコーヒーショップだった。

 私は夫の浮気相手を呼び出し、初めて対面した。

 学校の近くを選んだのは「逃げようとしても全部知ってるから無駄よ」という無言のメッセージだ。穏便に済ませたいとは思っているけど、逃しはしない。

 ただ、絶世の美少女という存在を私は初めて目撃することになった。


「あ、はい。えと……結城優ユウキユウ、です。LINEは、どこで。っていうか、お姉さんは」

「単刀直入に言うわね。君がたまに会ってる男、私の旦那なの。夫なのよ」

「! ……ああ、そういう。なんだ、聞いてたイメージと全然違うな」


 結城優は、物怖ものおじせず悪びれもしなかった。

 清楚で可憐なイメージの長い黒髪。夏服になったばかりのセーラー服。華奢きゃしゃでほっそりしてて、私とは違ってスレンダーだ。

 まるで漫画かアニメの美少女、それが第一印象だった。

 悔しいけど、女の私が見てもかわいい、そして綺麗だ。

 だからといって、許せる訳でもないが。


「言わなくてもわかってると思うけど、君のしてることは不倫。しかも、未成年の不純交際。あ、でもそれは夫の方がかぶる罪ね」

「……お兄さん、逮捕されちゃうんですか?」

「私次第ではね。当然、君の進路にも関わってくる訳。あとはわかるわね? 君、なんだか賢そうだし」


 そう、利発的な知性を感じさせる美貌だ。

 浮ついたギャルという風でもなく、テストの点数だけを見てるガリ勉少女にも見えない。なんていうか、不思議な魅力があることは否定できなかった。

 そうか、あの馬鹿はこの謎オーラにやられたのか。


「今の時代、年頃の女の子って進んでるのね。ある意味怖いわ、ホント」


 自然と思ってることが口をついて出た。

 それでも、このくらいの嫌味は許されるだろう。

 本音の本心だし、本当のことなんだから。

 でも、目の前の少女は……優は、私を見詰めてきた。罪悪感にうつむくとか、怖くなって泣き出すとか、そういういじらしさは微塵も感じられなかった。

 小娘が、ちょっと生意気じゃない?

 そう思った時に、不意打ちの言葉が私を襲った。


「お姉さん、一つだけ……一つだけ、勘違いがあると思うんですよ」

「なによ。今更事実を否定する気? こっちはLINEのログからなにから、もう全部抑えてるんだから」

「あ、それは、はい。僕、お兄さんと寝ました」


 ――僕?

 女の子なのに?

 えっ、なにそれ、そういうキャラなの?

 ……まあ、あいつがそういうのが好きだったって話か。

 そう思った瞬間、私は本当の地獄に叩き落された。夫の浮気と未成年略取、配偶者が犯罪者という現実がさらなるカオスに急降下だった。

 彼は、私の認識をおおむね認め、一つだけ否定した。

 私は間違っていた……騙されていたし、信じられないと今でも思ってる。

 その事実を現実として確認するため、二人でラブホテルに来たのだが――





 私は思わず、握った拳を振り下ろした。

 安普請やすぶしんな壁に、ドン! と怒りが衝撃を響かせる。

 信じられるか? 無理だろう!

 そんなのってアリ? ナシ寄りのナシでしょ!

 そう、私の旦那は……あの男は――


「なにそれ、ばっかじゃないの! あの子、!」


 そう、そうなのだ。

 本人がそう言ってきたが、それだけが私の読み違えなのだ。


 


 見るもうるわしいその姿は、女装なのだ。


 そして、私の夫は……


 私という妻が! 控えめに言っても、美人でグラマーで器量よしの私がいるのに!


「なんで男の娘オトコノコに負けるかなあ! つーかあいつ、そういう趣味だったのかよ!」


 だから結婚して早々に、セックスレスになったのか。

 人生の勝ち組要素を全て集めて凝縮したような、うちの旦那の秘密の性癖がそれか。意外と尽くすタイプで多少のとがったプレイにも寛容かんような、この私と距離を取った理由がそれなのか!

 でも、信じられなかった。

 優が男だと言われても、私には理解できなかった。

 だから確かめてという話で、ラブホテルに来てしまった。

 そして、背後で突然ガチャリ! と浴室のドアが開いた。


「お姉さん、入るよ? いいよね?」


 振り向くとそこには、全裸の少年が立っていた。

 中性的な顔立ちに、細く均整の取れた肉体。骨格がどうとかじゃない、線の細さを全身で体現する美の結晶が佇んでいた。

 そして、確かに股間をみやれば男性であることが知れた。


「ちょ、ちょっと! 入ってこないでよ!」

「シャワー、長いんだもん。やっぱ、本当の女の子て支度に時間かけるんだね」

「っ、う! あのね、君がまずはシャワーを浴びろって言ったんでしょ! そもそも、君が本当に男かどうかを確かめるために、なんで私がシャワーを浴びるのよ!」

「だって、僕の男性機能を確認するんでしょ? あ、でも、結構あれだよー? 僕、シャワーは最後に一緒に、が好きかも。寝る時はそのままの匂い、清潔感で飾られてない匂いが好きだな」

「変態じゃない!」


 優は、私の言葉に動じない。

 十代の少女……あ、違った、少年とは思えない。

 今も、壁に背を貼り付けたじろぐ私に迫ってくる。

 湯煙の中で、優は私の前にそそり立った。

 逃げ場がなくて視線を逃した、その眼差まなざしが見たのは……ドン! と壁のタイルに手を突く優の腕だった。細くてしなやかな手と、白い肌。私の鼓動が跳ね上がる。


「え、あ、んと、髪……あの髪」

「ああ、ウィッグなんだ。かわいいでしょ? メイクも気合い入れてるから、お姉さんが本当に騙されてるのが面白くて」

「……どうやら、本当に男の子だったみたいね」

「そだよ? 僕、男の娘。男に生まれたけど、女の子でいるほうが自然なんだ」


 そういう優の肌が迫っていた。

 すぐ間近に、彼の呼気を感じる。出しっぱなしのシャワーがくゆらす湯気の中で、私の鼻先をくすぐる息がむずがゆい。敏感に熱い肌は今、密着寸前の男を感じていた。

 そして、おずおずと視線を下へと滑らせる。

 痩せ過ぎににも見える優の股間に、持って生まれた性が隆起りゅうきしていた。


「ねえ、お姉さん。確か、鞠華さんだっけ」

「なによ、名前で呼ばないで!」

「僕のことは、優君って呼ぶのに? ここまで来たんだからさ……確かめてみない?」

「な、なにを……まさか」


 その、まさかだった。

 だって、優の本来の性別は爆発寸前だった。

 白い闇が満ちてくような浴室の中で、濡れてぬめる彼の穂先だけが輝いて見えた。

 そして、私は罪を犯したのだ。

 私は全身で、知ってしまった。

 結城優は、男で、オスだ。

 その真実を前に、私はただ一匹のメスでしかいられなかったのだ。

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