34.子は親を選べないのに ― 2

「セルヴェン様は、私のことをどう思っておられるのですか?」

「どうって……それは……」


 向かい合ったイリファスカの第一声に、セルヴェンは言葉を詰まらせた。


 “どう”と問われれば、反射的に“愛している”と答えそうになるが……ここで一言で終わらせてはいけない気がしたセルヴェンは、改めて第二夫人問題について言及することにした。


「君は……私の妻だ。ただ一人の。……ミフェルナとの仲について気にしているんだろう? 何度も言うが、あれはたちの悪い作り話だ。俺もあの子も、互いのことは単なる上司と部下としか認識していない。ミフェルナのことを可愛がっていたのは、若い頃に師事していたマレイ先生の孫だからだ。あちらからもよろしく言われていたしな……だから断じて世間が騒いでいるような関係ではない。取材のために君を王都に呼び付けた日も、そんな噂が広まっているだなんて班員の誰一人知らなかったんだ……一番社交的な研究員が情報を耳にして、俺達全員に教えてくれたから最近になって把握できたことで、こんなにも負担を掛けているだなんて思ってもみなかった……」


 セルヴェンが主張を終えても、イリファスカは表情を変えないまま、黙って夫を見つめていた。


 カチ……カチ……と、時計の秒針が進む音だけが静かに部屋に流れる。

 依然言い様のない不安に包まれるセルヴェンであったが、彼女も頭の中で思考を整理しているのだろうと、ひたすら返事を待った。




 二十秒、三十秒と無言の時間が過ぎてゆき、イリファスカが開口するまでの一分間は、セルヴェンにとって地獄の待ち時間だった。


「それは……公爵家も同じような見解をお持ちなのでしょうか?」

「あ……ああ、勿論だ! ミフェルナとは今後距離を取るよう二人で決めた! 俺も彼女もまさか仕事で奔走ほんそうしている間に、外でこんな問題が起こっているだなんて思わなくてだな……!」

「……私がお尋ねしたのは、ミフェルナ様ではなく、“公爵家”のご意見です」


 落胆したようなイリファスカの物言いに、セルヴェンの身に緊張が走った。



 ―― イリファスカにとって、セルヴェンとミフェルナの関係性など最早どうでもよいことだった。


 口では何とでも言えるし、何を聞かされてもぬぐえぬ嫌悪感が、今の己の気持ちの全てなのだろう。

 “愛想が尽きた”……まさにこう表現するに限る。


 ここで終わりにしよう……そう心に決めたイリファスカは、セルヴェンを見据えたまま口を開いた。


「私は研究所でご本人と挨拶を交わすまで、意中の相手とされるミフェルナ様が公爵家のご令嬢であるとは知りませんでした。私に嫌味を言って反応を楽しむ人間でさえ、ミフェルナ様の名を出すことはありませんでしたから。おかしいとは思っていたのです……新聞記事でも『部下の女性』としか表記しないのですから……家名を聞いて合点がいきました」

「……つまり公爵家がミフェルナの名を出さぬよう、方方ほうぼうに圧力をかけていたと? しかし、だったら何だと言うんだ……ミフェルナの将来を心配してのことだろう。あの家は過保護だしな」


 名家の動きを“過保護”で済ますセルヴェンの返しに、イリファスカは『この人は統治者には向いていないな』と、もう少し事の重大さを教えてやることにした。


「公爵家としては、噂通りにミフェルナ様をセルヴェン様の元へ嫁がせたいという意向があるのではないでしょうか? もしご成婚となれば高位の家同士で強い繋がりが生まれますし、万が一破局となってしまった場合でも、表立って名が広まっていなければ、あちらは世間に対して知らぬ存ぜぬで押し通せますしね。成功すれば公爵家にとって益が、失敗に転んでも痛手を負うことのない勝負です。賭ける価値はあります」

「……それは……ありえるな……マレイ先生ならやりかねん……」


 セルヴェンは口元に手を当てて考え込みながら、己が師と仰ぐタスベデリッド・マレイ前公爵―― ……前王立研究所所長の顔を思い浮かべた。



 タスベデリッドは多方面に精通した人だった。

 研究者としても統治者としても、数々の実績を残す偉大な男。現役をしりぞいた今なお、その名を出すだけであらゆる機関を動かすことのできる王族に次ぐ権力の持ち主。


 才に溺れ、全能感に酔って孤立しがちだった若きセルヴェンを上手く舵取りし、周囲との橋渡し役になってくれたのもこのタスベデリッドだ。

 社交的で穏やかで、そして根回しが得意で……昔から『お前には類まれな才能がある』とセルヴェンの面倒をよく見てくれたタスベデリッドは、去り際に所長の座も与えてくれた。



 指名を受けた時は尊敬するタスベデリッドから認められたものと喜んだセルヴェンであったが、今このような状況になって考えてみると、近い人間を操って地位を与え、自家の人間と結ばせて手中に収めるのが、師の家門繁栄のやり方なのかもしれない。


 セルヴェンは複雑な思いを抱えながら、目頭を指で揉みほぐし、動揺を隠し切れない様子でイリファスカに言った。


「分かった……マレイ先生には俺が話をつけてくる……君はもう心配しなくていい。これでミフェルナとの関係は誤解だと理解してもらえたか? こんな気の重くなる話は終わりにしよう……せっかく回復してきた俺達の関係がまたこじれてしまう……」


 『せっかく回復してきた』という……セルヴェンの発言に引っ掛かりを覚えたイリファスカだったが、それでも彼女は意思を曲げなかった。


「セルヴェン様、事は簡単に済む段階を越えてしまいました。公爵家が動いている以上、私の存在は邪魔でしかありません。伯爵家出身者が第一夫人、公爵家出身者が第二夫人というのも体裁が悪いですしね……私は世間での評判がよろしくなく、このままではあなたの統治にも影響が出てしまいます。なので、この際ですから、近いうちに離婚を――」

「離婚だけは絶対にしない!!!!」



 セルヴェンは立ち上がると同時に、大声を張り上げてイリファスカを見下ろした。



 夫から初めて浴びせられた怒号に、イリファスカは目を見開いて彼を見上げた。



「俺達は夫婦だ!! 一度誓いを立てた者と離れることは国が定めた規則に反する!! 公爵家とは話をつけてくると言っているだろう!? 何がそんなに不満なんだ!?」

「……、ですって……?」

「そうだっ、不満だからこんなにもしつこく食い下がるのだろう!? マレイ家がどう考えているかなんて結局は君の推測だ!! 悲観を並べて勝手に落ち込んでっ、俺への当て付けのつもりか!? これだけ謝っているのにまだ謝罪が足りないと言うのかっ!? 俺はもう散々謝り尽くしたっ!! これ以上何をどう悔いればいいっ!?」



 顔をこわばらせて暴言を受け止めるイリファスカに、セルヴェンは“やってしまった”という後悔も追いつかないまま、荒い言葉を吐き捨てた。



 セルヴェンは気が立っていた。

 師の都合の良い操り人形であったかもしれないという悲しみと、そんな落ち込みに反した妻の淡々とした態度。

 ためらいなく離婚を切り出したイリファスカに、またたく間に沸騰ふっとうした怒りが抑えられなかった。


 彼女に去ってほしくなかった……今はどうにかして、イリファスカに宿る離婚への思いを潰してやりたかった。


 平時ならば、このやり方だけは選んではいけないと自制が利いたはずなのに、逆上したセルヴェンには手っ取り早い方法しか浮かばなかった。



 だが、想定と異なったのは―― ……いつも折れるはずのイリファスカが、こちらをキッと睨み返して、同じように立ち上がり目線を近付け、堂々と反発してきたことだった。


「あなたはっ……規則のために夫婦を続けているのですかっ!? お互いに愛などないっ、子供だっていないのにっ、私達は一緒にいる意味があるのでしょうかっ!?」

「愛ならあるだろう!! 俺は君を愛しているしっ、君だって今までの行いを許してくれたから公務の手伝いをしてくれたんじゃないのかっ!? 子供は今から作ればいいっ……そうだ、そうすれば公爵家も引き下がるはずだ!!」

「……本当にっ……信じられないくらい自分勝手な人っ……!!」


 いつになく歯向かってくる、恨みがましい顔付きのイリファスカと真っ向から対峙たいじしたセルヴェンは、さらなる苛立ちを募らせた。

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