第16話


 結論から言うと、俺の本日の目標は未だ達成できていない。


 映画館ではもちろん、その後も機会を伺ってはトライしていたが中々手を繋ぐことができなかった。そうこうしている間に時間は過ぎ、日は沈み始めていた。

 そろそろ帰ろっかという話になって、俺達は駅に向かっていた。


 ぷらぷらと揺れる香月の手を見る。

 このまま終わっていいのか? 

 俺は自分に問いかける。いつもそうだったじゃないか。やると決めても結局自分一人で何かは達成できなかった。いつも香月に助けられてばかりだった。


 彼女は俺の隣にいても恥ずかしくないようにとイメチェンをして、ファッションを勉強し、それ以外にもいろんなことを気にかけて変わったはずだ。


 それに対して、俺はどうだ。

 俺は何が変わった?


 考えるまでもないだろう。だって、何も変わっていないんだから。

 それを嫌というほど理解しているからこそ、変わろうとしているんじゃないのか?


 告白も香月にしてもらって、いつもデートに誘うのも彼女で、今度こそ俺から誘うと決めたときも結局助けられた。


 これから先もずっとそうやって彼女におんぶに抱っこで付き合っていくわけにはいかない。

 今ここで、またダメだったって諦めたら何も変わらない。


 変わろうと思うだけじゃダメだ。変わることを待っていてもダメだ。自分で、勇気を持って変えなければ何も変わるはずがないんだ。


「……」


 俺はすうっと、香月には気づかれないくらいの小さな深呼吸をする。


 そして、彼女の左手に手を伸ばす。

 指先が香月の手のひらに触れたその瞬間、彼女はびくっとして驚いた顔をこちらに向けた。


「あ、えっと」


 自分でこんなことを言うのも何だけど、予想外のリアクションだったので俺は言葉を詰まらせた。

 てっきり受け入れてもらえるものだと思っていたから。


 俺の顔が相当ショックを受けているものだったのか、香月はこれまでにないくらいに慌てる。


「あの、違くてっ! ちょっと驚いたっていうか、その……知らない男の人かもって思っちゃって」


 必死に言葉を並べる香月。

 その様子で、嘘を言っているわけではないことは分かる。


 そもそも、彼女は俺に嘘をついたことも、適当な言葉で誤魔化そうとしてきたこともない。いつだって俺に真剣に向き合ってくれていた。


「急にごめん」


「謝らないで? でも、どうしたの?」


 そのリアクションからするに、俺から手を繋ごうとしてくるとは微塵も思っていなかったらしい。


 それはそれでやはりショックというか何というか。


「いや、ほら、いつも香月からいろんなことをしてくれるけど、俺からは何もできてなかったから。ちゃんと、俺からも行動したいって思って。俺達ってデート中も手を繋いだことなかったじゃん?」


 俺が言うと、彼女は自分の手のひらを見る。


「うん。そうだね」


 何かを考えている顔。

 俺達のこれまでを遡っているのか。


「だから、これは絶対に俺からしようって思ってたんだけど。でも、香月がまだだって思うなら俺は全然……」


「そ、そんなことないっ!」


 彼女は慌てて否定する。

 そして、次の瞬間に俺の手をガシッと掴む。


「わたしはずっとこうしたいって思ってたの。でもね、榊くんの気持ちを考えると、あんまりガツガツいかない方がいいのかなって思って」


「そうだったんだ。二人とも同じこと考えたのに……言葉にしなきゃ分からないもんだな」


「うん。そうだね」


 香月が俺の手を掴んでいた手を放す。

 それの意味が伝わってきた。今度は自然に、俺と香月はお互いの手を絡め合う。


 ただ繋ぐだけではなく、指と指が絡む恋人同士の繋ぎ方だ。ずっとそれがしたかったはずなのに、いざ実際にしてみると何だか照れくさい。


「なんか、ちょっと恥ずかしいね」


 香月も同じようなことを思っていたらしい。


「やっぱりやめとく?」


 そんなことを言えば香月が何ていうかなんて想像できるのに、それでも俺は訊いてしまう。


「ううん。やめない」


 きゅっと繋ぐ手に力を込めながら香月が言う。それはまるでもう放さないと言っているように思えて、俺は嬉しくなってしまう。


 それから駅までの僅かな時間、俺達は手を繋いで歩く。


「こんなことなら、もっと早く繋いでればよかったよ」


「あはは、そうだな」


 俺もそう思った。

 大好きな女の子と繋がっている。ただそれだけなのに、何だかとても幸せに思えてくる。本当に不思議なものだ。


「わたしも一つ、ずっとしたいと思ってたことがあって。言ってもいい?」


 思い出したように香月が言う。


「俺にできることなら何でもやるよ」


 俺がしたいことを香月がしたいと思ってくれているように、彼女のしたいことなら俺は何だってしたいと思う。


「ほんと?」


「うん」


 そうは言われても、少し恥ずかしいのか香月はもじもじとしながら俯く。


「あのね、咲斗くんって呼んでもいい?」


 頬を朱色に染めながら、香月は俺を見上げる。

 緊張か不安か、彼女の瞳は僅かに揺れていた。


「も、もちろん」


 その程度、俺が拒むはずがない。

 そういえば以前、恭也にお互いの呼び方が未だに名字のままで変わってないと言われたことがあった。


 恋人同士になったからといって、変えなければならないことはないけど、やっぱり気になるものなのかも。


「それでも、もし榊くんが良ければなんだけど……わたしのこと、ひなたって呼んでほしくて」


 最後の方の言葉はごにょごにょとこちらに届く前に失速して地面に落ちていったけど、彼女が何を言おうとしていたのかは分かった。


 さすがに相手だけ呼び方が変わって俺はそのままというわけにもいかない。


 香月が俺を名前で呼んでいいかと提案してきた時点で、俺も覚悟を決めていた。

 家族以外の女子を名前で呼んだことは一度もないから照れるだろうけど、彼女のために頑張ろうと思う。


「わかった。頑張るよ」


「ほんと?」


「うん。最初は照れるかもしれないけど」


「ふふ、わたしも」


 そう言った香月は幸せそうで、そんな彼女を見ているだけで俺も幸福感に満たされる。


 今日一日で俺達の関係は大きく変わったような気がした。

 進展したという意味でも、俺が一歩踏み出したという意味でもそうだけど、お互いの思っていることをもっと口にしていこうと思い合えたのは大きい。


「これからもっといろんなことしようね」


 香月は、言いながら繋ぐ手に、もう一度力を込める。


「……咲斗くん」


 少し照れながら俺のことを名前で呼んだ香月ひなたは可愛くて、そんな彼女の隣に立てていることが幸せだと俺は改めて思った。

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