ある狂僧の一日

大和田光也

ある狂僧の一日

とにかく俺はここで宣言しておく。世界のすべての不幸を救うことができるのは俺しかいないことを。なぜなら、現在の世界の人物の中で、俺ほど深く悟りを開いているものはいないからだ。

すなわち、俺の事を根本の仏、本仏と言うのだ。


宗祖、しゅうそと皆が言うが、宗祖などは俺から見れば赤子同然の悟りだ。まして、先師などは凡人だ。苦悩する人間の域を出していなかった。


それにしても最近、全く熟睡できない。眠れた、と思うとあの小僧が必ずでてきやがる。そして俺の頭を棒切れで殴る。

何度も、とっ捕まえてやろうと思って飛び起きるが、いつもアッという間に逃げやがる。

どこかで見たような気もする小僧だが、どうしても思い出せない。


今朝も、あいつに殴られて、目が覚めてしまった。

出発にはまだずいぶん、時間があるのに・・・


「御法主上人様、勤行のお時間でございます。ご出仕ください」

何が勤行の時間だ、バカ所化め。

「分かった、わかった。お前達で勝手にやっておけ。いちいち呼びに来なくてもよい。やるときにはやるんだから」


この俺様に勤行をやらそうと言うのか。いったい何を本尊として拝むんだ。俺が本仏なのに。

俺が、俺自身に手を合わせて拝むのか。バカバカしい。

本来は、俺様を厨子(ずし)の中に奉って、一切衆生が手を合わせるべきなのだ。


だが・・・まあ、それを言ったら不信を抱く輩が出るから伏せてはいるが、それが俺の本当の姿だ。そうしなければ、信者にも僧侶にも功徳も悟りもない。

やがて、時が整えば、自然とそうなっていくだろう。


イタッ・・・あぁ、痛い。体中、いたる所が痛む。痛くない箇所を探したほうがよほど簡単だ。ただ立ち上がるだけに、これほど苦労するとは情けない。

悪いのは、肉と骨だけではない。動脈硬化、糖尿病、腎臓肝臓の機能低下、至る所のポリープ、それにひどい皮膚病。


何より、特に最近、心臓が血液を押し出す力が弱まってきた。ちょっと油断すると、末端の血管まで血液が流れない。

体の外側から徐々に、中心へと痺れてくる。


俺がもう長生きしないことくらい自分で分かっている。死期を正確に知る。それが仏だ。覚者だ。凡人には分からないか、わかってもぼんやりだ。


命などをこれは惜しくない。そんな執着はとっくの昔、超越した。

だがしかし、この世でやらねばならないことがまだある。それを成し遂げるまでは死ねない。


痛いッ、それにしても何と死苦とは辛いものか。今死んだほうがよっぽどマシだ。

いやまて、どうせ死ぬんだったら、好きなことをして、今世に思い残すことなく、あの世へ行くんだ。

持っていけない金は、たらふくある。俺に供養してくれた金だから後に残す必要は全くない。


「御前様、ご出発のお時間でございます。車寄せまでお来しください」

「うむ、わかった」


この野郎、俺の前では従順そうにしているが、静江の乳首を吸って金をもらっている事くらいは知っている。知っておるが、とがめないのは仏の慈悲だ。

しかし、慈悲にも限界がある。もう間もなく首を切ってやる。

若い所化の首を斬り落とすことなど、俺にすれば赤子の手をひねるより簡単なことだ。

こいつはそれがわかっていない。


俺の事を慈悲深い法主だと勝手に思い込んでいる。仏はそんなに甘いものではない。鮮血を垂らしながら首と胴体が離れる時を楽しみに待っていろ。


「奥様は、先にお乗りしてお待ちしています。どうぞお足元に気をつけてお乗りください」

「バカヤロー!立ったままでものを言う奴があるか。ひざまづけと教えられているだろうが」

「アッ、誠に申し訳ございません」


所化はたくさんいるが、ろくなやつがいない。確かこいつは輸送部のやつだ。

俺は知っているぞ。お前が夜な夜な、この車を私用して山を下り、女と遊びまくっているのを。

それが証拠に座席に、俺のでもない、静江のでもない、髪の毛が落ちていた。


こいつは確か、四国布教区々長の甥のはずだが。とんでもない野郎だ。

これも間もなく射殺だな。執行猶予にしておくだけだ。

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