第二十八話 憤怒
俺――カイ=レキウスはうそぶいた。
「悪いが、このローザは俺にとっても気に入りでな。貴様如きの餌食にさせるつもりはない」
呆然愕然となっているローザを、奪うように背後から抱き寄せる。
いつも微笑ましいほどにやかましいこの少女が、今はされるがままだった。
まさか、己の影の中に俺が潜伏しているとは、思いもよらなかったのだろう。
いや、それよりも敬愛していた主君に、裏切られたショックの方が大きいか。
「何よ……こんな話、聞いてないわよぉ……」
じんわりと目尻に涙を溜め、弱々しく抗議するのが精一杯。
「いつもいつも、タダで帰してやるのは虫が良すぎるのでな。少し、利用させてもらった」
「あたしの血、吸わせてあげたのに……あれじゃ足りなかったって言うわけ……ぇ?」
「クククク、拗ねるな拗ねるな」
まったく愛い奴だ。
今すぐまた、華奢なうなじに牙を立てたくなるくらいに。
しかし、ま、そんな悠長な状況でもない。
俺は伯爵とやらを通称する、
ナターリャ・ナスタリアは答えた。
「御身が吸血鬼――否、ヴァスタラスク建国の真君・カイ=レキウスでいらっしゃるか」
「建国を邪魔した、邪神ではなかったのかな?」
「それは歪曲された歴史にございます。帝国貴族なら、誰でも知っている真実でしょう」
答えるナターリャの口調には、どこか俺への敬意のようなものが見られた。
「わたくしは……いえ、ナスタリアの血筋の者は皆、御身に大いなる敬意を払ってございまする」
「ほう?」
「我が家に伝わる御恩の記憶でございます。御身は万民平等の理想を唱え、恐るべき政治力とカリスマで実現なされた。バケモノと蔑まれた我らラミアーであろうと才覚があれば取り立てられ、実力に見合う地位を与えられた。それが、我らナスタリアの母祖にございます。我が伯爵家が今日あるのも、全てあなた様が大陸を統一をなされたからこそ」
「すまぬが、貴様の祖先に心当たりはないな」
ラミアーを重く用いた記憶がない。
別に種族差別をしたわけではなく、それだけの能力を持ったラミアーが、当時はいなかった。
「それも当然のことかと。ナスタリアの母祖は実力的に、御身の魔術師団の末席に名を連ねるのが限界でございましたゆえ。それでも当時のラミアーの扱いとしては、破格の待遇を頂戴いたしました」
ナターリャが最敬礼を以って一度、頭を垂れる。
「お蔭様を持ちまして、ご主君の視界の端に、一応は留まることのできる立場を得られたのでございます。それから代が進み、カリス帝の御代において、当時のナスタリアが陛下の寵愛を戴き、閨房にて伯爵の地位を勝ち取ることができましたのも、全てカイ=レキウス王の御代に礎を築けたればこそでございます」
「カリスとやら、どこまでも度し難い男よ! 娼婦を爵位で買ったか!」
「しかし、おかげで当家は代々の栄華を享受できておりますゆえ、なんとでも仰られますよう。そして我らナスタリアの女は、御身とカリス帝に等しく御恩を敬意を抱いている――そういう事情にございます」
「俺と愚昧を同列に並べるか。不愉快だな」
これほどの侮辱は、そうはない。
吐き捨てずにいられない。
「わたくしは、本当に遺憾にございまする」
一方、ナターリャは嘆かわしげに首を振った。
「あなた様には土の下で永久に、安らかにお眠りいただきたかった。あなた様の記録が歴史から抹消されても、我らナスタリアは決して忘れなかった。いつまでも崇め奉っていた。なのに――」
ナターリャはそこで言葉を一旦切り、そして髪を振り乱して叫んだ。
「――なぜ、この時代に蘇ってしまわれたのですか!? あなた様はもう、この帝国に必要のない御方! はっきり、邪魔な御方! 今のあなた様は建国の真君ではない! 過去の亡霊にすぎない!」
俺は悪びれずに答えた。
「亡霊か、面白いことを言う。確かにそうだ。俺は、貴様らにとっての悪霊だ。今こそ邪神カイ=レキウスとなって、貴様らの帝国を滅ぼしてやろう」
「そんなことは許されませぬ!」
「では、なんとする? 貴様の手で今、この俺を討つかね?」
「あはは、ご冗談を! あなた様がどれほど偉大な魔術師であったか、我がナスタリアには連綿と伝わっておりまする。同じ魔術師でも、格が違いまする」
ナターリャはそう言うと、懐から何かを取り出した。
「わたくしは無力、そして、かつてのカリス帝もまた無力な御方でした! しかし、御身が建てたヴァスタラスクは、決して無力ではございませぬ! それを誇りにおぼしめし、同時に思い知られるがよろしかろう! ヴァスタラスクを千年王国となさしむる、護国の秘術をご覧あそばせ!」
それは、骨だった。
約二〇六あると言われる、人骨の一つだ。
ナターリャはそれを宙に放ると、呪文を「詠唱」した。
「帝国に仇為す者が現れり! 『世界の敵』が現れり! ヴァスタラスクの守護神よ、我らをお救いください! 慈悲を賜りください! 今ここに降臨し、帝国の敵を討滅されませい!」
たちまち人骨が閃光を放ち、何者かが顕現した。
……そうか。
そうくるか……。
確かにこいつなら、この俺をも殺し得る。
凄まじい霊力を帯びた、白銀の甲冑をまといし戦士。
その手には、同等の“格”を持つ、魔神殺しの大剣。
その甲冑を、俺は忘れたことがなかった。
その大剣を、俺は忘れたことがなかった。
前者を「神鎧ヴェルサリウス」といい、後者の銘を「聖剣ケーニヒス」という。
どちらも――かつて俺が鍛えた「最高傑作」だ。
我が弟にして後継者アル=シオンのために、練造魔術の粋を集め、造り上げたものだ。
ゆえに――
今、降臨し、顕現し、俺に向かって剣を構えたこの戦士は、アル本人なのだろう。
腐り果てたヴァスタラスクの大貴族どもを守護するため、その魂が、護国の精神だけが、一つの「術式」となって死後も戦い続けているのだろう。
この骨はアルの遺物で、約二〇六ある骨の一つ一つが残っている限り、未来永劫、戦わされるのだろう。
「……我が最愛の弟の魂を縛り、護国の鬼に祀り上げたか」
俺の胸中で、にわかに激情が燃え盛った。
「……俺が唯一敬愛するアルの、魂を貶め、貴様ら風情が使役するか」
この心情の名を、貴様らは知っているか?
「……カリスとやら……帝国とやら……貴族とやら……。貴様らは、己が何をやったか、理解できているのか?」
後悔するがいい。
この俺を――カイ=レキウスを怒らせたことを。
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