クランクハイト 5
俺は部屋を出ることもなく、彼女の寝顔を見守り続けていた。ムーテルは、そっと椅子を用意してくれる。
「立ったままだとつらいでしょう」
「ありがとう、なるべく離れたくないからな」
だが長くたたないうちに、ふと、寝室のドアが開けられた。
「ナオト、ここにいたんだな」
部屋の中に入ってきたのは、俺と同い年で、金色の髪と黄色い目の少年だった。
「アルザス、 どうしたんだ、こんなときに」
俺は椅子からゆっくりと立ち上がって、彼を迎える。
同じ研究所でクランクハイトの研究をしている仲間。よくこの孤児院にも出入りしているし、エリスやムーテルにも互いによく話す。
「ちょっと、お前の耳に入れたいことがあってね。子供達が学校にいる時間帯でよかった。なんなら、場所を変えられるか?」
俺はミアの寝顔を見る。
「ミアに何かがあったら、私でなんとかするから」
ムーテルが横から言ってきた。
「頼むよ」
俺はアルザスのところに向かった。
「相変わらずナオトは子供に優しいな。ミア、どうかしたのか?」
アルザスは歩きながら、尋ねてくる。
「クランクハイトの能力を使った。マッチくらいの火を起こしただけだけど、副作用で火傷して、今はああやって休んでいる」
「そうか、大変だったな」
「もう落ち着いたよ」
俺とアルザスは、食堂兼談話室に入った。長椅子の一つに隣同士で腰かける。
「で、どうしたんだ? ひょっとして例のあれか?」
俺の問いに、アルザスはうなずいた。
「防疫壁のこっち側、あまり状況がよくない。壁の外から、軍に動きがあるという情報が入った」
防疫壁の内外では通信が遮断されていて、手紙一つやり取りすることも禁止されている。防疫壁の外の情報は、新たに防疫壁の内側に収容された罹患者に聞き出すのが普通だ。ここでは常に情報が枯渇している。
防疫壁の外の人間が、何らかの方法で防疫壁の内側に情報を流し、それが噂話として隔離街第一区に広がることもあるが。
「いつでも防疫壁の内部に攻撃を仕掛けられる状態らしい」
四年間、中途半端な平穏を保っていたが、もう限界にさしかかりつつあるということか。
「ここらじゃ暴動が発生している。俺もついさっき、街で騒ぎながら共和国の国旗を焼く連中を見た。そんな状況も、共和国の耳に入っているんだろ。ナオトのところも、何か変なことは起きなかったか?」
「エリスが知らない男に石を投げつけられた。そいつなぜかエリスが健常者であることを知っていて、そこにいちゃもんつけてきた。俺がそばにいたからなんとかなったけど、今後は彼女のそばから離れないほうがいいかな」
「健常者に対する街の人達の不満はすさまじいし、エリスも気を付けたほうがいい」
エリスは、彼らにとって呪術遣いと罵り、人間ではなく危険な化け物として扱ってきた、壁の外部の人間と同類なのだから。
「最悪、ここの子供達が何かされる、ということも」
「アルザス、よせよ」
あまりにも不吉すぎて、俺は声を大きくしていた。
「大きな声を出すなよ、ミアが起きる」
アルザスはなだめてきた。
「それに俺が言っているのはただの懸念だ。不満のはけ口がほしい奴らにとっては、健常者の世話を受けている子供達も同類だからな」
まして、相手は幼くて非力。暴力を振るいやすく、仕返しを食らう危険も小さい。
「もちろんそんなことを考える奴らのほうがおかしい。俺だって、ここの子供達に乱暴を企てる奴がいたら止める。最悪、クランクハイトの能力を使ってでもな」
アルザスはそう、自分は味方だと言い聞かせてくる。
「話を戻すぞ。壁の外で軍に動きがあって、いつでも隔離街第一区を攻撃できるようにしている。しかもその隔離街第一区もギスギスして暴動の一歩手前だ。で、何かあったときお前はどうするんだ?」
「ここの子供達と、エリスの身の安全が最優先だ」
俺はすぐに答えた。
「お前のことだからそう言うと思っていたよ」
アルザスは薄ら笑みを浮かべた。
「エリスは、本当はこんなところにいる人じゃないんだが」
四年前、エリスは俺を助けるために防疫壁の中に入った。俺が、彼女の生を歪めたも同然だ。
「俺のために閉じ込められて、乱暴されるなんてこと、認めることができない」
「当の本人は幸せそうだがな。ナオト、なんで罪人みたいな顔している? お前、エリスがその顔嫌っていること忘れてないか」
アルザスは俺を咎めてくる。
うっかりと、エリスを不幸者扱いしてしまっていた。
「子供達もエリスのことを慕っている。ちょっと舐めているんじゃないかって思うこともあるけど、ただのいたずらの範囲だ。なら、それでいいじゃないか」
それで俺は、やっと緊張が解けた。
「まあそうだよな。でも、よくないことが起きようとしているのは本当だろう」
「いつ何が始まってもおかしくない。なんなら、子供達を安全な場所に逃すというのも手だぞ」
アルザスは言ってから、「やばっ」とつぶやいた。
「すまん、残酷なことを言った。ユリアさんの残した学校と家を捨てて逃げるなんて、簡単にできることじゃない。俺だってわかってるさ」
ユリア・ ハグリッチ。かつての恩人の名前を、アルザスは口にした。俺とエリスの二人が今暮らしている家の前の主であり、学校の教師も務めた女の人。ミアのような身寄りのない子供を引き取り、育ての親の代わりになった人である。四年前、瀕死だった俺を抱えて隔離街第一区を彷徨っていたエリスを受け入れ、傷を癒す場所を与えてくれた。俺とエリスがこうして生きているのも、ユリアのおかげだ。
今から三年前、彼女は二五歳という年齢でこの世を去った。ちょうど今のような、ハナミズキが咲き誇る時期のことだ。
「ユリアさんなら、こういう状況なら真っ先に逃げろって言うさ。あの人は、子供が傷つくのを何より嫌っていた」
「ああ、そうだったな。俺だって、擦り傷一つこしらえただけでユリアさんにものすごく心配されたからな。やんちゃだねって、笑っていたけど」
アルザスが懐かしそうに言った直後。
窓の外が光った。
少し遅れて、爆発音が聞こえてきた。建物がきしみ、窓がびりびりと震える。
――これは、砲弾が着弾した音だ。
そう遠い場所からではない。少なくとも、砲弾が着弾したのは、防疫壁の中だ。
「攻撃されている? どこが」
俺は窓のほうを見る。見えるのは、いつもと変わらない、たくさんの木々に囲まれた緑色の庭だ。
「ナオト、ミアのそばにいてやれ。外の様子は俺が見てくる。何かがおかしい。最悪は逃げるぞ」
アルザスが長椅子から立ち上がった。またしても爆発音が響く。
「くそ、何か始まるにしては突然すぎるぞ。ナオト、いざという事態になってもあれは使うなよ」
アルザスが外に出ていった。
――あれ、クランクハイトの能力か。
俺は言われたとおり、ミアのいる部屋に急ぐ。
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