INTRODUCTION

鴇六連

INTRODUCTION

 

 

 その日の予報は大きく外れて、夕刻の驟雨しゅううは宵を迎えても降りやまず、やがて夜の長雨となった。

 


  深夜の暗いベイエリアに人の気配はない。道路脇に植えられた低木に身を隠している真幌は、弱々しく光る照明灯を見ながらフードを被った。

「今夜は晴れるはずなのに……。ウサさん、おいで、濡れちゃうよ」

 声をかけると兎は慣れた動きで腿に飛び乗り、マウンテンパーカーの中へ入ってくる。

 佗助をはじめ、雨を嫌うセンチネルは多い。水のとばりに阻まれて嗅覚や視覚がうまく機能せず、無数の雫に肌を刺されるような感覚に陥るからだ。

 その佗助は今、ベイエリアの古い空きビルの天辺に立っている。

 少しでも離れるとき、佗助は必ず山狗に真幌を守らせる。真幌は、山狗の獣毛を濡らす雨粒を払い、大きな体躯に片腕をまわして訊ねた。

「狗さんの鼻、利かなくなってる?」

 人語を理解する山狗はうなずき、ウー、と短く唸った。

 ――それなら佗ちゃんも、麻薬や密売人の匂いを嗅ぎ取れない……。

 不得意な状況で異能の力を酷使すれば、途端にセンチネルの体内でノイズが増殖してしまう。真幌は空きビルを見上げて言った。

「佗ちゃん、無理しないでよ。狗さんと一緒のほうがよくない? そっちへ向かってもらう?」

 サァサァと降る雨の音に消されそうな小声を、佗助は確実に聴き取り、自身の伴獣を介して意思表示する。ウウンと顔を振る山狗がもふもふの額をくっつけてきたので、真幌は微笑んで獣毛を撫でた。

「わかった。気をつけて」

 違法薬物の回収および現行犯の身柄確保――それが、佗助と真幌のバディが今夜担う仕事だった。

 確認した腕時計は2時57分を表示している。

 山狗と兎とともに、佗助が動く瞬間を待つ。

「あっ、入った! ――僕たちも行こう」

 そう言って勢いよく立ち上がった。真幌は佗助とだけ契約を結んでいるガイドだから、姿は見えなくても、佗助がビルへ突入し、何者かと接触したとはっきり感じ取れる。

 PCBの仕事を始めた当初は恐怖で動けなくなってしまうときもあったが、どんな危険な状況でも佗助と山狗が必ず守ってくれるとわかってからは、震えることもなくなった。

 真幌はPCB専用スマートフォンをタワーの連絡係へつなぎ、通話状態にして走りだす。

「佗ちゃん殴られてるっ、やっぱりいつもの力が出せてないんだ」

 ドアや壁を通り抜けられる山狗の能力を借りて、真幌もビル内へ入った。センチネルの視覚を刺激しない特殊ハンディライトのスイッチを入れる。

 青色の淡い光に照らされた、剥き出しの鉄柱と、打ちっ放しのコンクリートの床。そこに5人の男が倒れ、離れた場所にキャリーケースが置かれている。

「佗ちゃん!」

 佗助は、自身と同等の体格をした大男と組み合っていた。ふたりとも息が荒く、額や唇から出血していて、格闘の激しさがわかる。

「近づかなくていい、もう片づく。連絡して」

 いつも通り冷静な佗助が拳を男の顔面に減り込ませ、山狗が首に噛みつく。真幌は連絡係へ短く告げた。

「6名、確保しました! お願いします!」

 通話を切ってスマートフォンをマウンテンパーカーのポケットに入れ、バックポケットからタオルを取り出す。

 巨体を揺らして倒れた男はコンクリートの床で頭を打ち、動かなくなった。片膝をついた佗助を抱きとめた瞬間、バチンッとノイズが弾ける。

「ひどいノイズだっ、怪我も……無理しないでって言ったのに!」

「怪我は平気。ふたり、格闘のプロだった」

「そんなっ……、事前情報もらってないよね、今夜はよくないことが重なるね……」

 力なく寄りかかってくる佗助の口許や額の血を丁寧に拭うと、唇が笑みの形になった。

「でも、仕事完了。麻薬はあのキャリーケースの中」

「さすが佗ちゃん、お疲れさま!」

 元気よく笑顔を返した真幌は、激しいノイズを消すために口づけた。

 唇を重ねると同時に佗助の舌が入ってくる。

「……ぅ、んっ」

 センチネルの肉厚の舌が、ガイドの唾液を求めてせわしなく動きまわる。ぐったりしていた佗助は力を取り戻し、真幌は腰を抱かれて軽々と寝転がされた。

「うわっ」

「まほろ……」

 格闘による荒い息づかいはすっかり消えて、今は興奮に息を乱している。長躯に押し潰されそうになった兎が「もーっ、わびちゃん!」と怒ってマウンテンパーカーから飛び出し、山狗のところへぴょんぴょん跳ねていった。

「あーっ、また潰しそうになった!」 

「ウサさん、ごめん……」

「現場ではハグとキスまでって何百回も言ってるだろ。ほら、警察もう来るよ」

 遠くで響いていたパトカーのサイレンが、ビルの真下から聞こえてくる。人間よりも山狗に近い佗助は、ウーッと低い声で唸った。

「早く……、早く真幌の中に入りたい」

「わかっ、た……タワーに戻ろ。ノイズ大丈夫? 力、少し戻った?」

「ん。――でも、もう1回。仕事じゃないほう」

「うん」

 佗助は優しく包み込むように抱き、真幌は逞しい肩に両手をまわして、恋人のキスをした。

 案件を処理したバディは警察の到着を確認して現場から離れる。揃いのマウンテンパーカーを着たふたりは手をつないで窓へ走った。

「雨止んでよかったね!」

「ん」

 外へ出ると、降りつづいた雨は霧に変わっていた。佗助は真幌を抱き、山狗は兎を頭に乗せて、ビルからビルへ跳躍していく。

 


PCB東京の最高位センチネル・斑目佗助。

その〝つがい〟のガイド・小泉真幌。

一度、離れ離れになったふたりの運命的な再会は数年前に遡る。



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