I-O

@eagle_moyashi

第1部

 ある小説である男がこう言っていた。

「地獄は頭の中にある」と。

俺はよくその地獄を夢に見る。

燃える家の中で俺に近づく女性と男性。近くに来てようやくわかる。その二人は血に塗れている。二人がこちらに手を差し出す。その時の表情はわからない。いや、覚えていないのかもしれない。俺も手を差し出そうとするが、手から握っているものが離れない。

その手に握っているのは-


-七月十八日 京都二条高校

 「ねえ」

少しどすの効いた声で私ーたちばな 香織かおり-は、同級生の男子を彼の机から引き剥がす。なぜそんなことをするのか?現に怒っているからだ。

「なんですか? 橘さん」

その男-神威かむい 幸四郎こうしろう-のその態度がまた彼女をイラつかせた。この男は普段から陰気で休み時間はずっと昼寝をしている、こちらの気など知らずに。

「昨日お願いした資料は? 」

少しむすっとした表情で聞く。橘のグループは先日のグループ学習で優秀賞に選ばれ、地元・京都の発表会で発表することになっている。発表日は来週。そのグループにこの神威という男もいるのだが・・・。

「すいません、家に忘れました」

その言動が火に油を注いだ。

「あなたねえ! 先週もそう言って忘れてきたでしょ! 」

するとスッと神威は立ち上がり、こう言った。

「いずれ早退するので、取りに帰ってきます」

「えぇ!? ちょっと持って! 」

来週には発表会があるというのに、この男は・・・。そのまま彼の肩を掴む。しかし、振り返った彼の瞳に慄いた。その目はどこか、意識がその場にはなく、その一方で、冷徹なのを見た気がした。

「何か?」

だけど、彼の顔色は何一つ変わっていない。

「いや、なんでも……」

多分、気のせいだろうと自分に言い聞かせた。その時には彼はその場を立ち去っていた。


 それから一週間後、私は京都会館にいた。例の発表のためだ。京都会館の大ホールには多くの人が詰め寄っている。十五分後には、無事発表が終わると信じていた。


-一ヶ月前 神奈川県横須賀市武山駐屯地内陸上自衛隊高等工科学校

特殊戦開発室。

 そう名付けられた部署は教官一名と生徒四人で構成されている。

「おはよ.う、久しぶりだね。どうだい?四人揃った感想は」

陸上自衛隊高等工科学校副校長兼特殊戦開発室長、内山朱人一等陸佐が入室するとそこにいた四人の生徒は敬礼を返した。

「どうだ、疲れただろう? 」

内山が目の前のオーク材のデスクに肘を置く。その後ろの窓から日がはいる

「は。あなたのせいでとても疲れました」

「ははは!変わってなくて何よりだ」

返したのは、東山和馬とうやまかずまだ。少し茶髪づいた髪を整え、まっすぐで純真な瞳をしている。

「鴻上はどうだ? 辛かったか? 」

「いえ、それほどでも」

表情ひとつ変えずに答えたのは鴻上哲こうがみさとるだ。ツーブックの髪型と睨むように切り立った瞳、そして筋肉質の体が威圧感を漂わせる。

「全く、お前は筋肉バカか〜? 角山はどうだ? 」

「とても楽しかったと記憶しています。スパイ映画みたいで」

優しそうな顔で角山上総つのやまかずさが答えた。俗にイケメンと呼ばれる顔が目立つ。

「そのための訓練だろ」

笑いながらツッコミを返す。

「神威、お前はどうだ?」

「何も問題ありません」

俺-神威幸四郎かむいこうしろう-は淡白に答えた。実際何も問題はないのだ。

ここにいる四人はこの学校に入学後、通常では行わない訓練を受けた。習志野、朝霞、大宮、市ヶ谷。これらの場所で受けた訓練は俺たちの体に染み付いている。なぜそんな訓練を受けたのか

「さて、本題に入ろう。」

その言葉で内山一佐の目が変わる。

「君たちは全員が十八歳を迎えた。よって君たち四名に一等陸曹の資格を与え、情報本部統合情報部隷下情報作戦群本部付中隊i分遣隊への配属を命じる」

そう、これが今までの訓練の理由だ。二年前のテロ事件を契機に成立した「対テロ非常事態対処法」。この法律に基づき、防衛省を含めた関係機関が新しく部隊を設立させた。法律では、情報の収集、分析、それらに基づいた作戦の立案と実行、これらを単独で完結可能な部隊を求めた。それは自衛隊でも例外ではなかった。そして設立されたのが情報作戦群だった。俺たちはその顧問としてここにいる。十八歳を超え少年兵ではなくなった今、自衛官として活動することになる。

「了解」

その場にいる全員が敬礼をし、承諾の意を示す。

「さて、初仕事だ。『僕の子供たち』」


-四十八時間前、出入国在留管理庁から連絡があった。ロシア・スペツナズ大学の教員が数名ほぼ同時刻に入国した。現在、警察庁警備局が追跡調査中だが、全員が京都市内に侵入している。

君たちも京都市内に潜入し、彼らの行動を監視せよ。

 

-四週間後 京都市白川通今出川交差点近く私設図書館館内

 俺たちが京都に潜入してから二週間と少し経った。各々、高校生のふりをして京都市内の高校に編入学し、彼らの行動監視を続けている。その拠点がここだ。国や自衛隊の施設ではないが、静かで、機密情報の交換にはうってつけだ。

館内に入り、受付で二階の席を指定する。次にその席に向かい、机の上にPCを広げる。すりガラスのパーテーションの向こうには角山上総がいる。

『準備はいいか』

立ち上げたチャットにそう書き込む。

『問題無し』

『OK』

『いつでもどうぞ』

チャットに応答が流れる。コマンドコンソールから標的のサーバーのポートを変えながら接続を試みる。どこかにセキュリティホールが存在する、相手がこちら側と同じであれば必ず。コマンドコンソールが応答の符号を示す。SSHでポート番号を叩き、侵入する。保管されているファイルとデータベースから情報を表示する。データを各々にSSHで送信する。

『今送った』

『了解、今から解析する』

東山がファイルのプロテクトを外しにかかる。俺たちには防衛省内のスーパーコンピューターの優先使用権が与えられている。ある程度の暗号なら数分で解ける。

鴻上と角山は俺のログインと同時に入っているはずだ。

『サーバー内の掃除、頼める?』

『俺とWaldoでやっておく』

どうやら彼らがサーバー内の痕跡を消しておいてくれるようだ。

『battalion readerには俺から連絡する』

これが俺たちの武器だ。自衛隊は部隊の創設に際し、苦手とするサイバー戦の顧問を求めた。そんな中、目をつけたのが俺たちらしい。平和に暮らしたい俺からすれば傍迷惑な話だ。あんなんことがあったのだから-

俺はトイレに行くふりをして立ち上がった。階段の手前の客の肩を叩く。

そのまま階段を降りて、一度トイレに入り、時間を少しおいて、また二階に上がる。二階の休憩室には数人がもうすでに入っているようだ。

俺もその場に足を運ぶ。

「全員揃ったか」

そこにいるのは内山一佐だ。

「よし、始めよう。アルファエックスからは」

「はい、シベリアの規模は4P12SQ程度。2Pが京都市内に潜伏中。他は不明です。」

アルファエックスは東山の事、シベリアは今回の対象者だ。PはPlatoon、小隊を、SQはsquad、分隊を意味する。つまり今回の対象は四個小隊十二個分隊規模、二個小隊が京都市内にいることはわかっているが、その他は不明ということだ。

「潜伏先はわかるか?」

「いや不明です」

「標的は? 」

「回収した資料から京都会館を襲撃する予定のようです。日時は今日から十日後の七月十四日かと。」

京都会館というのは文化施設の集まる岡崎地区にあるコンサートホールだ。いわば「縮小版幕張メッセ」のようなものだ。東隣には岡崎公園がある。

「わかった。ワルドーとヴァイパーからは? 」

ワルドーは角山、ヴァイパーは鴻上だ

「サーバー内のログを見るからにロシアからのアクセス歴があります。確実にロシア政府が関わっているのは明らかでしょう。ただ……」

「どうした? 」

「ユーザーエージェントがwindowsです。ロシア軍のOSはAstraLinuxとされています。情報に相違が見られます。」

ユーザーエージェントとはwebサーバーへのアクセスに際してアクセス元がどんな端末なのかを示す情報だ。もしロシア軍からアクセスすればロシア軍の採用するAstraLinuxというOSが示されるが、アクセス元はWindowsになっている。つまりロシア軍の撹乱工作か、ロシア政府の関与が存在しない可能性がある。

「わかった……。外務省の方に調査を回す。さてウィザードキラー、どう動くのが正解か? 」

「クイズですか」

-面白くない

「いや〜、君がどう動くのかを見たい」

内山一佐がにやけ顔でこちらの顔を覗きこむ。ウィザードキラー-俺-の行動を心待ちにするかのようだ。

「対象の標的以外が分からないなら、無駄に犠牲を増やすのは得策ではないかと。なのであえて探らず、標的を囮に確保する。その際、状況がより大きくなれば好ましい。」

「なるほど、僕も同意見だけど、それだと民間人に犠牲者が出る可能性があるよ」

意見を出したのは角山だ。

「それでも、少数の犠牲ならやむを得ない」

「全く、お前は昔からそんなだから」

角山は微かに口角を上げた。

「俺はその作戦に賛成だな。そっちの方が効率的だ。東山は? 」

鴻上も声を上げた。

「右に同じ、かな」

どうやら全員の意見が一致したようだ。

「よし、その作戦で上にあげる。状況が急変し次第、招集をかける。覚悟しておけ」

内山一佐がその場でドアを開ける。

「了解」

俺たちは静かに返事をした。


-十日後 京都市二条通り上

「全員、準備はいいか」

内山一佐が声を張って、俺たちに問いかける。

最後の会合から4週間が経過した。その間待機しつつも調査を続けていた。もちろん、彼らを追っていたのは俺たちだけじゃない。警察庁警備局はゼロと呼ばれる警備企画課を通して警察機関の信用のできる人間を使って追跡調査を行なっている。公安調査庁も彼らの接触した人間について情報収集を行っている。さらには外務省国際情報統括官組織がロシアや旧ソ連諸国での情報収集を活発化させている。

そして、今日、俺たちは京都会館に実力行使をする。それにあたり、俺たちi分遣隊も武器を携帯する。89式小銃とグロック17。どちらも一発で相手を行動不能に追い込む武器だ。

拳銃を握った俺は、いつもあの感覚を思い出す。


燃え盛る炎から感じる熱。前方から近づく人の気配、前を向くと-


「神威! 大丈夫か! 」

内山一佐に肩を叩かれ、ハッと我に返る。

軽装甲機動車のエンジン音が頭の中に響く。

「あと数十分で京都会館に到着する。弾倉装着、セレクターはまだセーフティーをかけろ」

内山が俺たち全員と無線の先に指示を出す。

情報作戦群は情報本部隷下ではあるものの指揮系統としては内閣総理大臣直轄の部隊だ。そして内閣総理大臣の許可さえあれば、他部隊を指揮下に置くことができる。今回の作戦に伴い、第七普通科連隊を指揮下においている。

第五中隊が指揮下として俺たちと一緒に行動している。

第四中隊は福知山駐屯地からヘリで遅れて到達予定だ。どうにも天候不順でヘリが飛べないらしい。

「到着後、所定の通りに展開、所定の時刻で突入する。」

「了解! 」

「到着一分前! 用意! 」

俺たち全員が腕時計に視線を落とす。軽装甲機動車のエンジン音が少しずつ弱まり、そして消える。後部ハッチが開き、外に走り出す。


京都会館のガラス張りの建物に入る。階段で三階へと向かう。俺の担当箇所はメインホールの制圧。三階側に入り全体を監視する。京都会館には情報作戦群第一執行中隊とi分遣隊が制圧し、外部の警備を第五中隊が担当する。

階段を抜けて、渡り廊下を通ってホワイエに入る。出入り口は四つ。内、ホワイエには二つが面している。奥側の出入り口に整列し、両手に小銃を構える。先頭の隊員がドア枠を確認し、トラップのないことを確認する。二人目の隊員がバッテリングラム-ドアを突き破ることを目的とした重量のあるハンマー-を持ってドアの前に立つ。その場にいる全員が腕時計を見つめる。

これまでも誰も何も言わず動いていたが、時計を見つめ、動きを止めると、また違った静けさが訪れる。刻々と腕時計が時間を刻む。所定の時間に針が近づく。

ついにその時が訪れる。先頭の隊員が二人目の隊員の肩を叩く。二人目の隊員はバッテリングラムを振り下ろす。ドアは破壊され、開け放たれる。

「陸上自衛隊だ! 全員その場を動くな! 」

すべての出入り口から、同時に、隊員が順番に入っては内壁に沿って広がる。クロスオーバー・エントリーと呼ばれる突入方法だ。これにより相手に反撃の余地なく室内を制圧することができる-はずだった。

「動くな! 」

その声を聞き、一人急いで前方に駆け寄る。

ステージ中央の男が制服姿の女子高校生の髪をひき、さらけ出された首筋にナイフを添わせている。

「こいつの命はないぞ! 」

二階席の手すりに二脚を立てスコープを男の顔に向ける。左手をヘッドセットに当てる。

「ウィザードキラーよりアルファ」

「こちらアルファ、どうした? 」

耳に内山一佐の声が入る。

「状況は把握していますか? 」

「ああ、ガンカメラ越しだが把握している」

ガンカメラというのは一般にライフル等の銃器に取り付けられている中継カメラだ。情報作戦群全員のガンカメラ映像は内山一佐のいる82式指揮通信車に送られている。

「こちらのガンカメラから男の顔を解析してください。見覚えがあります。多分シベリアと接触しているはずです」

「ウィザードキラー、ビンゴだ。シベリアと何度か接触している」

その時、ヘッドセットの先から軽い金属音が響いた。

「ウィザードキラーよりアルファ、大丈夫ですか? 」

「アルファよりウィザードキラー、外部勢力から攻撃を受けている。おそらくシベリアだ。第五中隊が応戦中だが長くは持たないだろう」

俺は一度、呼吸をととのえる。スコープの先ではステージに近づこうとする隊員を、他の男が短機関銃を向けて遠ざけている。

「ウィザードキラーよりアルファ、作戦を上申します。武力介入を進言します」

情報作戦群は警察的側面は強いが、それでも自衛隊だ。そのため強制捜査や逮捕にあたっては一般司法警察職員-具体的には巡査部長以上の階級の警察官-の指揮と同行が必要となる。おそらく、京都府警の人間が内山のそばにいるはずだ。

もし、このまま武力介入ができなければ全隊全滅の可能性もありうる。勘違いしてはいけないのは同一組織との対立とはいえ、メインホールと玄関の二正面作戦を強いられているということだ。

加えて、俺の頭の中に懸念事項が上がっている。人質に取られている女子高生。その少し開いた襟と、派手な髪型。間違いない。潜入先の高校で知り合った橘香織だ。仲良くなったとはいえないにしろ、目の前で知り合いが殺されるの見たくはない。

「アルファよりウィザードキラー、了解した。一度上にあげる。それまでお前は引き続き室内を監視しろ」

「ウィザードキラー、了解」

警察の指揮下とはいえ、自衛隊であることに変わりはない。事態への介入は慎重になる。

このホールの観客席はほぼ満席だ。舞台からの死角となる二階席の観客から避難させるのが先決だ。右手でグリップを握ったまま、左手で他の隊員に指示を送る。すぐに後ろの方から足音が聞こえる。だがその中に近づく足音がある。

「カムちゃん」

角山だ。昔から仲が良かったせいか、二人だけになると俺のことをいつもそう呼ぶ。あまり好きな呼ばれ方ではないが。

「その呼び方やめろよ」

「代ろうか? 」

角山は背嚢からロープを取り出し、手すりに括り付けている。

「いや、いい」

「了解」

後ろの足音が止む。どうにも避難が終了したらしい。

「カムちゃん? 」

「ん?」

「あの子、おんなじ学校の子でしょ?」

「ああ」

「どうすんの?」

「なんとかする」

「なんとかするって……」

角山が不安そうな顔を見せる。

この時点で武力介入を上申してから数分が経っている。もし、これ以上時間が経てば-

スコープの十字線を橘の喉元に向ける。

作戦の遂行に障害となるものは-

「神威」

内山一佐の声だ。

「君は僕の『子供』だ。いいね? 」

無線で本名を呼ぶほどにはお怒りらしい。

「アルファよりオールステーション、現時点で府警本部から我々に指揮権が移譲された」

対テロ非常事態対処法第2章第6条に基づく警察機関から指定機関への直接的な指揮権の移譲、それは、すなわち、指定された自衛隊部隊-情報作戦群ーは準軍事組織として単独の行動が可能となることを意味する。

俺は照準を橘から男の眉間に戻す。

「作戦目標はホールの解放、死傷者なしとする。各員、行動を開始せよ」

息を吸い込み、そして吐く。

「ワィザードキラー、了解……」

俺はすぐに引き金を引いた。乾いた銃声と共に、スコープの先では脳漿が飛び散った。

周りでは悲鳴が上がる。89式のスリングを背中に回し、角山のおろしたファストロープを握る。足でロープを挟み体をくの字に曲げる。ファストロープ降下の基本手順だ。

足に衝撃を感じる。腰をかがめ、すぐに腰のホルスターからグロックを抜き出し、構える。別な男が、橘を人質に取ろうと近づく。歩きながら照準を合わせる。躊躇いなく引き金を引く。また一つ頭蓋骨が弾け飛ぶ。舞台にはすでに数人の隊員が近づこうとしている。

その時だった。

つい先ほどまで動いた換気扇が低い音を立てて止まった。と同時に軽い音がなる。天井からは紫の煙が降りてくるのが見える。

「状況、ガス!」

他の隊員が叫ぶ。俺はそのまま駆け出し、舞台に飛び上がる。かがみ込んだ橘の襟をまた別の男が掴もうとする。男が腰をかがめたまま、俺はそいつの顔面に蹴りを入れる。頭をおさえ倒れ込む男のこめかみにそのまま手持ちの拳銃で一発撃ち込む。

橘はうずくまって咳き込んでいる。そのまま姿勢を下げさせ、俺は背嚢からガスマスクを取り出す。他の観客はメインホールの外に出ているらしい。そのまま舞台から引き摺り下ろし、頭を下げさせたまま、後ろの出入り口に連れて行く。

京都会館の構造上、一階のメインホール出入り口から出て渡り廊下を南下すると中庭に出れるようになっている。

89式小銃を構えて、クリアリングしながら中庭に出る。

外では空を切り裂くような音が響いている。

「神威!」

駆け寄ってきたのは、内山一佐だ。

「無事か? 」

「はい、シベリアは……? 」

「到着した第四中隊と交戦して撤退、逃走した。現在警察庁が追跡中だ。」

「了解です。まず、中庭を封鎖してください。ホール内で化学兵器の使用が疑われます。」

「状況は把握している。今、第三特殊武器防護隊が福知山から向かってる。大宮からは中央特殊武器防護隊が出動準備中だ。消防局の化学機動中隊もこちらに向かってる。」

とりあえずの処置は進行している。安心したのか口からため息が漏れる。

「抜かるなよ、この事件は戦後最悪のテロ事件になりそうだ。お前も水的除染を受けろ」


-三日後 京都府警本部廊下

脱いでいたジャケットに、歩きながら袖を通す。慣れないスーツのせいでうまく袖が通らない。

「神威、無事だったか! 」

後ろから声をかけたのは鴻上だ。ガス散布時、鴻上は一階のカフェで避難誘導をこなっていたらしい。

「他のみんなは? 」

「もうすでに会議室に入ってる」

そう言って俺のそばを通りすぎる。振り返って鴻上についていく。

会議室内には多くの人でごった返していた。鴻上の座った前の席には俺の名前の入った名札が置いてある。

「ここであってるよ」

横に座る東山がお茶のペットボトルを差し出している。

「ありがとう」

ペットボトルを受け取って椅子に座る。

「全員席についてくれ」

会議室の前の方から髪の薄い男が入ってくる。大男というよりおじいさんと言った感じだ。

「京都府知事の門田です。今回の事件について情報共有会議を始めます。まず、府警の方から」

通路を挟んで向かい側の列から挙手ののち男が立ち上がる。

「警備部公安課のカンノです、まず事件の概要から-」

-事件の概要はこうだ。まず、京都会館のメインホールで散布されたのはサリンだ。事件後、自衛隊の第三特殊武器防護隊、中央特殊武器防護隊、消防の化学機動中隊が展開し、簡易検査の結果、サリンだと判明した。サリンといえば日本ではオウム真理教による地下鉄サリン事件が有名だが、実際には世界各国で作られ、貯蔵されていた過去がある。散布方法として、換気口の中にガスボンベが仕組まれリモコン式で中のサリンをばら撒くようになっていたらしい。これは大阪府警から派遣されたNBCテロ対応専門部隊が解明した。事件発生時メインホール内にいた人々はそれぞれ京都第一、第二赤十字病院、京都大学医学部附属病院に搬送された。地下鉄サリン事件の時のように解毒剤であるPAM剤の不足が起こることはなかった。結果として軽傷者500人を出す事件となった。これだけの規模でありながら死者や重症者が出なかったのは、現場に公安職の人間がいたことと容積が大きいメインホールで散布されたこと、そして換気扇が天井に設置され、サリンが揮発性だったことが影響している。-

「-以上です。また現場に居合わせていた武装勢力については依然、行方がわかったいません。また、当該組織について自衛隊情報作戦群が監視、調査を進めていたとのことですが、その内容を話していただきたい」

どうにも嫌味ったらしい話ぶりだ。警察庁から話が入っていないのか。

「次、自衛隊の方から」

二つ右隣から内山一佐が立ち上がる。

「自衛隊情報作戦群長の内山です。まず私の方から……」

「待ってくれ、実際に調査を行なっていた人間から話が聞きたい」

府知事が口を挟む。今回、初めて警察・自衛隊合同の捜査会議に参加したが、どうもトップの人間ではなく実際に動いた人間が参加するものらしい。

内山一佐が俺に目配せをする。

「実際に調査を担当したi分遣隊の神威です。」

立ち上がり名乗ると周りからゴソゴソと話し声が聞こえる。

「あれ幾つだよ」

「あんな若造に何がわかるってんだよ」

「どうせ高卒だろ」

不愉快だ。確かに警察の中でも公安は優秀な人材が多い。ほとんどの公安警察官は東大や京大といった高学歴を持つ。だからと言って、こうも馬鹿にされるのは腹立たしい。高校卒業程度だとしても、サイバー戦の知識はここにいる誰よりもあるし、普通の警察官が経験しない戦闘訓練も受けている。

俺は腰のホルスターから拳銃を引き抜き、天井に突きつけた。

周りが静まり返った。

「それが公安の皆さんが人の話を聞く態度なのですね。よくわかりました。」

拳銃をホルスターに収め、淡々とこれまでの調査で分かったことを報告する。その間、斜め後ろに座る角山はずっと眉間に手を当てていた。その顔はまるでこう言っているようだった。「やらかした」と。


-会議後

「か〜む〜い〜」

角山がこちらを睨んでいる。

「お前、あれはやりすぎだよ〜」

「そう? 」

俺が答えると、後ろから鴻上と東山が声をかける。

「まあ、でも、スッキリとはしたな」

「なんかクソムカついたし」

「しょうがないだろ、公安と自衛隊は昔から仲が悪いんだから」

内山一佐が会話に割って入る。

確かにその通りだ。公安はいまだに自衛隊のクーデターを警戒している。過去の二・二六事件がトラウマなのだろう。

「それよりも、俺らも向かうぞ」

周りを見渡すと公安、自衛隊含め多くの捜査員が現場に向かおうと会議室を出ている。

俺たちは京大病院に入院している被害者に聞き取り調査をすることになっている。

「了解」

俺は会議室のドアに向かって歩き出す。

「神威」

後ろから内山一佐が呼び止める。他の3人はすでにその場から離れたようだ。

「僕は『子供たち』には自由にやってもらいたい。だけど、あまり無茶なことはするな」

二人の空間の中で内山一佐は静かに語りかける。

「それはさっきのことですか、それとも現場での? 」

「どっちもだ。お前はもう少し人と関われ。お前に足りないのはそこだ」

ふりかえりざまに内山一佐はそういった。


-京都大学医学部附属病院

内山一佐が運転する車がロータリーに入る。入ってすぐに警備中の自衛隊員に声をかけられた。身分証を見せるとすぐに通してくれた。ロータリーで俺たちが降りると内山一佐は正面玄関とは別の方向に歩き出した。

「あれ? 内山一佐? 」

「ああ、正面玄関は今除染作業中で立ち入れないから東玄関から入る。」

そのまま建物沿いに歩いて東玄関から入る。すぐ近くのエレベーターを待つ間、総合受付に目を通す。防護服姿の隊員が、除染を受けている。吹き抜けを抜けた陽の光が彼らを照らしている

エレベーターに乗って五階まで上がる。薄暗い廊下を歩いていると、先ほどの吹き抜けの屋根が見える。

会議室に入ると背広姿の人間と白衣姿の人間、そして迷彩服の人間が入り乱れている。おそらく迷彩服の人間は中央特殊武器防護隊だろう。白衣を着た人々は第101対特殊武器治療隊だ。彼らは化学災害の治療を専門としている。

「お前たちはそっちに行って待っていろ」

内山一佐が指差したのは背広姿の集団だ。おそらく情報作戦群の人間だろう。

「了解」

背広姿の集団と混じって会話してみると、どうやら彼らはあの現場にいた第一執行中隊らしい。

「全員集合」

すぐに散らばっていた人々が内山の周りに集まる。

「今、特衛の方から聞き取り可能な人物のリストをもらってきた。各自五人を目安に聞き取りを行ってくれ。あと、神威はこっちにこい」

内山一佐が机に資料の束をおくとその場を離れ、俺に向かって手招きをした。

「どうしたんです? 」

「お前はまず、こいつの事情聴取をしろ」

内山一佐が俺に紙を手渡す。事情聴取対象者のプロフィールらしい。目を落とすと、少し嫌な気分になった。

「これ、本気で言ってます? 」

「こういうのも経験だ。」

そう言って内山一佐は自分の聴取分の資料を取りに行った。もう一度、手元の資料に目を落とす。そこには「橘 香織」と書かれていた。


-京大病院五階研修室

私が入院してから三日が経った。病室のプレートにはまだ「橘 香織」の文字がある。

私があの場にいた時、あの男はいなかった。DMには「体調不良。休む。」とだけ届いていた。

まさか、この日に休むとは思わんかった。だけど、あの男は思わぬところからやってきた。

あの時、私を助けたのはあの男、神威幸四郎だ。

私が知りたいのはあいつが何者なのか。今もそれを考えていた。

軽い金属音がして、ピンク色のカーテンが開く。顔を見せたのは見慣れた女性の看護師だ。

「あら、香織ちゃん。今元気かしら? 」

ベッドから上半身を起こした私に彼女は尋ねた。

「はい、大丈夫ですけど・・・」

「実はね、あなたに事件について聞きたい人がいるの」

そう言って、彼女はカーテンを捲った。

驚いた。そこにいたのは神威幸四郎だ。彼はジャケットの内ポケットから身分証を見せた。

見慣れないスーツ姿とはいえ、整えられ前髪を下ろした髪型と細い目は制服姿と変わらない。

「ご同行願えますか?」

低く抑えられた声で彼は尋ねる。

「ええ」

私たちは病室から出て、廊下を進む。彼の腰、スーツの裾の辺りが何か膨らんでいる。身分証を確認してはいないが、おそらく、警察関係者だろう。

5階までエレベーターで向かう。

「-さん、すいません、無理を言って」

「いいえ〜」

そんな会話が目の前でされていた。どうやら私は無理をさせられているらしい。ナメられているような気がして、少し腹立たしくなった。

彼は「研修室」と書かれた扉を開けて、進路を譲るそぶりを見せた。

そこに入ると一つ机が置かれている。

「どうぞ、席についてください。橘さん」

そう、後ろの男が言う。奥側の席に着く。薄暗い部屋だ。

本当は、今すぐに私は聞きたい。「なんであんたがここにいるの?」「あんたがここにいるのとあの場にいなかったことは関係あるの?」「心配したんだよ」と言いたい。

だけど、彼のその目はそれを許さないかのような目をしている。

「僕は自衛隊の方から来たものです。いくつか質問をさせていただきます。まず-」

そこからは何も頭に入ってこなかった。ずっと彼が何者なのか気になってしょうがない。もうどうしようもないほどに。

「-わかりました。質問は以上です。最後に、そちらから聞いておきたいこと等はありませんか? 」

「あなたは何者なの? 神威君なの? 」

口をついて出てきた言葉はこれだった。ずっと気になっている問い。どうしても聞きたかった。答えが欲しかった。だけど彼の口から出てきたのは-。

「防衛機密につき答えられません」

「じゃあ、あなたは誰なの? 」

その答えに私は怒りを覚えた。

「防衛機密につき答えられません」

「年は幾つなの? 」

「防衛機密につき答えられません」

「そこで何をしているの? 」

「防衛機密につき、答えられません。それだけですか? 」

語気に怒りを浮くんで問いかけても、押し問答になるだけだった。

「ええ・・・」

唇をふらわせながら、そういった。


-京大病院五階TV会議室

橘香織の事情聴取を終え、隣のTV会議室に入るとi分遣隊のメンバーが集まっていた。

「お疲れ〜、どうだった? 」

東山が缶コーヒーを差し出しながら尋ねる。

「どうだったも何も、市ヶ谷で習った通りだよ」

俺はそう答えたが、周りの求めている回答は違うらしい。

「いやいや、香織ちゃんのことだよ」

角山が訪ねてくる。

「何も、マニュアル通りの対応をしただけだ」

「あれが?マニュアル通り? 」

実際、マニュアルとは少し違う。そもそも情報作戦群の行動は大きく分けて二つある。実力行使と捜査活動だ。さらに捜査活動は三つに分けられる。武器の使用が認められない第一種特命捜査活動、警察官と同様の武器の使用が認められる第二種特命捜査活動、武器の無制限使用が認められる第三種特命捜査活動の三つだ。これらの捜査活動は全て内閣総理大臣の許可のもとで行われる。そしてこれに関する情報は全て特定秘密となる。もしこれを外部に漏らした場合、特定秘密保護法のもとで刑事罰に処される。しかし、所属されている隊員の情報は秘密などではなく、任意で公開してもいいし、編成などに関しては既に公開されている。

まとめると、情報作戦群は一部の行動については秘密だが、俺の個人情報に関しては自由ということだ。

「ああ」

「多少、あの子に教えてもいいんじゃないの? 」

「大して興味がない相手に個人情報与える方がどうかしてると思うけど」

「大して興味がない相手、なんだよね」

会話に入ってきたのは内山一佐だ。

「は」

「じゃあ退院後の追跡調査頼めるよね」

「え……」

「君、あの時言ったよね。『知り合いの事情聴取には情が入るかもしれません』って。大して興味がない相手なら情は入らないよね」

しまった。墓穴を掘っていた。確かに資料を渡された後、俺は内山一佐にそう言っていた。もう退路はない。

「了解です……。」

その言葉を聞くと内山一佐はなぜか満面の笑みを浮かべていた。


-翌日午後十一時 京大病院時間外出入口

私が退院すると聞いて迎えにきたのは、叔父と叔母だった。父さんも母さんも今は出張中だ。

私の姿を見るなり、「大丈夫だった? 」「心配したのよ」と声をかけてくれる。

続いて、叔父がナースから後遺症について説明を受ける。今のところそういう症状はないけれど、気をつけるようにとのことだ。

その後も私を心配しながら車に乗せてくれた。ロータリーにはもう一台バイクが止まっているのが見えた。車の中でも叔父と叔母は私のことを心配してくれた。

だけど、私の頭は彼のことで頭がいっぱいだった。なぜ彼はあの場にいたのか、本当は何者なのか、そしてもう一度彼に会えるのか。とても混乱して仕方がない。

-どうすればいいんだろう……。そう考えていた時だった。

ハンドルを握っていた叔父が急ブレーキをかけた。フロントガラスを覗くと、目の前に見いに版が進路を塞ぐように止まっている。

「なんだこいつ!」

叔父が怒りながらクラクションを鳴らす。するとドアが開き、中からはライフルを構えた集団が出てくる。車内が恐怖に包まれた次の瞬間だった。

目の前から血飛沫が飛んできた。

「叔父……さん……?」

読んでも返事がない。撃たれたのだ。

「きゃああ!」

さっきまで叔父だったものを見て叔母が飛び出して行った。しかし、叔母の命もそこまでだった。すぐに3発の銃声が響き、叔母の悲鳴が消えた。

-何……これ……。

目の前で人が死ぬ。いや、死んでいる。無力感と恐怖が私を襲う。呼吸が早くなり、視界が霞むのがわかった。

車の窓をライフルを持った男が叩く。

「Get off !(降りろ!)」

手を上げて、ゆっくりとドアを開け、車から降りる。目の前ではライフルを構えた男たちが私を囲んでいる。

もう泣きそうだ。なんで私ばっかりこんな目に遭うんだろう。

「もう、嫌だ・・・」

そう呟いた時だった。閃光が走ったのは。


-同時刻東山近衛交差点

俺はバイクをハイビームにしたまま、ハンドルをその集団に向ける。

腰のホルスターからグロックを引き抜き、一番近い男の眉間に照準を向ける。握った拳銃の薬室には弾が込められている。つまりスライドを引く必要はない。

躊躇いなく、引き金を引く。着弾を確認することなく、次の標的に照準を合わせる。

歩み寄りながら、引き金を引き続ける。

1、2、3、4、……。装弾数は17+1発。引き金をひいた数を数えていく。

相手からある程度接近すると、こちら側の姿が正確に把握される。

俺は相手の銃口の向きに目をやる。俺が体を左に揺らすと、相手の銃口が左に触れる。その瞬間に前回り受身の要領で、一回転する。前回り受身は自身の正中線が不規則に変化するからだ。立ち上がりざまに相手のライフルの重心を左手で掴む。と同時に、相手のアーマーと鎖骨の間に拳銃を突き立てる。

-残り3人。

相手の体越しに相手の数を確認する。二人はこちらを囲むように、もう一人は橘を盾にするように立っている。

掴んでいるライフルをひねり、突き立てた拳銃を引き抜き、右側の男に向けて引き金を引く。

そのまま、掴んでいるライフルから相手の体を動かす。右に少し動くと残りの二人から射線が通る。しかし、相手を盾にする。手前側の男が発砲する。AK-12の独特な発砲音だ。

フルオート射撃のせいですぐに弾切れを起こす。男がマガジンを取ろうとする。俺は相手の肩から手を伸ばし、引き金を引く。そのまま、腕を引っ込め、もう一度相手の鎖骨にグロックを突き立て、拳銃弾を打ち出す。

突き立てた銃口から肢体が離れると同時に、腕を伸ばし、引き金を引く。

最後の一人が倒れるのを確認して、立ち尽くした少女に向かって歩き出す。

ただ、拳銃の銃口だけは下げない。相手がグルの可能性も考慮する必要がある。

一歩ずつ近づく。後数歩という時だった。俺の右目に一瞬だけ閃光が走った。

「伏せろ!」

そのまま走り出し、彼女を薙ぎ倒す。車の屋根に弾丸が突き刺さっている。

すぐにタイヤのそばに腰掛ける。

「橘香織さんですね?」

俺はグロックのマガジンを抜いて、残弾数を数えながら尋ねる。彼女の顔を見ると誰なのかわからないというような顔をしている。ようやく俺はフルフェイスのヘルメットを被っている事を思い出す。

「自衛隊の者です」

ヘルメットを外し、そういうと彼女は驚いた顔をしていた。

「あの時の・・・!」

「タイヤの側に腰掛けてください。跳弾の危険性があります」

心配そうな面持ちのまま、彼女はタイヤに腰掛けた。

俺はヘッドセットの電源を入れ、耳にかける。

「ウィザードキラーよりバタリオンリーダー」

「こちらバタリオンリーダー、状況を報告しろ」

内山一佐だ。

「ウィザードキラーよりバタリオンリーダー。対象に襲撃あり。位置は東山近衛交差点北側。動員人数は十三人。うち十二名射殺済み。対象は保護下にある。狙撃手一名の存在を確認」

「こちらバタリオンリーダー、了解、状況はそちらの判断に任せる」

「ウィザードキラーよりバタリオンリーダー、了解、ブレーク」

ヘッドセットを外し、ボンネットっから少しだけ顔を出す。重々しい音のすぐ後に、数センチ先で弾丸が弾ける。もう一度、身を乗り出す。同じように弾丸が弾ける。

二度顔を覗き相手の位置がわかった。次にやることは決まっている。拳銃をしまい、腰のケースから円筒状の物体を抜き、握りしめる。握っているのは無電極ライトだ。無電極ライトは指向性が高く、照射面積あたりの光量が多い。つまり、一点に照射することで、目眩しに使うことができる。

俺は、手招きをして橘をこちらに移動させる。もう一度、覗く。やはり、位置は先ほど確認した場所で間違いないらしい。橘の姿勢を下げさせ、身を乗り出し、親指を押してライトの光線を相手の位置に向ける。

そのまま走り出し、止めてあるバイクまで向かう。相手からの狙撃がない。うまく行っているらしい。

バイクの影に一度隠れ、エンジンをかける。まだ撃ってくる素振りはない。

体を振り上げ、バイクにまたがる。

「乗って! 」

俺はクラッチレバーを握りながら促す。

「うん」

彼女はそう言ってまたがると、腰に手を回す。俺はチェンジペダルを押し下げ、アクセルを捻る。すぐさま加速し、その場を離脱する。

背後では弾の弾ける音がする。どうにも狙撃を試みているらしい。

もう一度、ヘッドセットを装着し電源を入れる。

「ウィザードキラーよりバタリオンリーダー」

「こちらバタリオンリーダー」

「状況終了、対象をセーブハウスに移送する」

「バタリオンリーダー、了解、現在、現場に応援を向かわせている。確認次第そちらに伝える」

「ウィザードキラー、了解、ブレーク」

しばらくすると、交差点の信号に引っかかった。百万遍という地名らしい。その通称は近くの知恩寺で百万遍念仏をし疫病が収まった故事かららしい。

「ねえ」

後ろの少女が声をかけてきた。

「何?」

「あなたは、神威幸四郎なの?」

今更隠す気もない。

「ああ」

「なんで隠してたの」

彼女は顔を埋めたまま聞き返す

「特段、興味のある人間じゃなかったから」

「じゃあ、なんで私を助けたの、なんで叔父さんと叔母さんは死んだの・・・!」

声に嗚咽が混じり始めている。

その答えはしっかりしている。だけど、それを言う気にはなれなかった。

信号が青に変わる。もう一度アクセルを踏み、バイクを前へと進める。


-京都市左京区下鴨泉川町6-50

俺はセーブハウス-隠れ家-の前に着くと、バイクを小さなガレージの中に入れた。その頃には彼女も泣き止んでいた。

隣は湯川秀樹の旧宅で、周辺は閑静な住宅地だ。 

「いこうか」

そう言って、目の下が赤くなった彼女の手を引く。

俺は、玄関を入って右側から順番に部屋を説明していく。セーブハウスは二階建てで一回にはダイニング・キッチンと風呂場、トイレ、洗面所がある。2階に上がると東西方向の通路沿いにトイレと書斎が並んでいる。

二階の書斎に彼女を入れる。彼女はベッドに座ると、しばらく俯いていた。

「あなたは、人が死んでもなんとも思わないの?」

俯いたまま彼女はそう聞いた。俺は、脱いだジャケットをデスクの椅子にかけ、彼女に向かってその場にしゃがみ込んだ。

「そう訓練されてるから」

彼女の顔から大粒の涙が落ちる。

「私は、そうじゃない。ずっと、何もできない気持ちを背負っていかなきゃいけないの・・・」

彼女は手で涙を拭いながら、訴える。

ふと、自分に重ねる。


あの日、家に帰った。それが間違いだった。出迎えるその手は血塗られ、炎の中で立っている。

俺の手に握っているもの。それは-


我に帰ると、俺が手を腰のホルスターに伸ばしているのに気づいた。

顔を上げると、彼女はそのままベッドに横たわり、嗚咽をあげ続けている。

俺は立ち上がって部屋の外に向かう。

「夕ご飯を作ってくる」

そう言って一階のキッチンに降りる。冷蔵庫の中身を確認しておかずを決める。鮭の切身を取り出し、まな板に乗せ、サイコロほどの大きさに切り出す。

こうした単純作業の間にも仕事のことを考える癖がついている

実戦経験のない自衛隊には遺族支援なんて経験はない。例えば警察や消防機関はそう言ったノウハウが多いが自衛隊にはどうしても不足する。

俺たちの訓練は、防衛省内で完結している。たとえば、司法警察業務や捜査手法は市ヶ谷駐屯地の中央警務隊や情報本部に、CBERN対応は大宮駐屯地の中央特殊武器防護隊に、戦闘戦技は習志野駐屯地の特殊作戦群や第一空挺団に訓練をされている。もちろん、捜査手法の中で特殊なものは公安出身の警察関係者に訓練をしてもらうが、そういった時も防衛省に出向中の人物に依頼する。

そのため、彼女のような存在の相手というのは-。待てよ。

アボカドを切りながら一度考え直す。

今まで退院した人物は襲撃を受けているという報告はない。なぜ彼女だけが襲撃を受けた。それも狙撃手を配置するほどの計画的な襲撃。なぜだ。

切り終えた具材を作り置きしたソースとあえる。皿に入れ替えて完成だ。お盆に乗せて2階に運ぶ。

書斎のドアを開けると、彼女はベッドに横たわり、すやすやと寝息を立てている。

事件の時に来ていた制服だ、一度洗っているのだろうが、こぼした涙で濡れている。ネクタイも緩められている。彼女はいつも派手な制服の着方をするが、今は風邪をひくのではないかと心配だ。ゆっくりと布団をかぶせてやる。少し、彼女の表情が柔らかくなった気がした。


-翌朝

私は轟音と耳鳴りで目を覚ました。視界に飛び込んできたのは、黒いナイロン生地だ。少しして見慣れた顔が目に入る。神威だ。彼は覆いかぶさるように私を見ていた。

「起きたか」

彼は昨日とは違って黒いナイロン製のパーカーを着ている。

「うん、昨日はごめ-」

昨日のことを思い出し、謝りながら体を起こそうとした。

「見るな」

そう言って彼は私の目を手で覆った。隙間から、外の様子を伺う。

そこには惨状が広がっていた。

部屋のドアは破壊され、その上に人の腕が千切れている。隣にある人の死体は黒焦げになっているのがわかる。

私はあえてその手を下にどかした。彼は何も言わない。

「これは……どうしたの? 」

彼の方を見て尋ねる。

「今朝、襲撃され、手榴弾が使われた。」

彼の手には拳銃が握られている。

「ここの場所はバレてる。別の場所に移動する。」

彼はベットを降りてパーカーを脱ぎ捨てる。

「でも、どこに? 」

「東京の市ヶ谷に向かう。現状一番そこが安全だ」

ジャケットを着ながら、彼は答える。私もベッとから降りると、ドアの先から微風を感じる。

ドアを覗くと、壁に大穴が開き、天井から青空が顔を覗かせているのがわかる。

「通常の手榴弾だとこうはならないはずだ。確実に奴らは殺害を前提に動いてる。」

彼はそういうと、私の手を取った。

「行こう」

「待って! 」

彼の握った手を、私は離そうともう片方の手で掴む。

「あなたは……何者なの? 」

私はそれを知りたい。昨日から今日までの一連の出来事、それに対してそれほどの判断ができるあなたは何者なのか-。

彼は一瞬ためらったような顔をした。しかし、すぐに口を開いた。

「俺は……情報本部統合情報部隷下情報作戦群本部付中隊i分遣隊所属、神威幸四郎一等陸曹だ」



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