確かにそうですよね!
無意識で分別しているのでしょう
でもフォートナイトでムスコが「死ね」とか言っていると、思わず注意してしまう、古い私です
作者からの返信
ね、「死ね死ね」は、側で聞いている方は嫌ですし、本人にも使ってほしくないですよね。
まあ、行為は確かに「殺し」なんですけどね^^;
うちの息子くんは、フォトナしなくなって、その後、スプラになったのですが、ここでも、酷い暴言を吐きながらやってましたし、その後、スマブラになりましたが、ここでは、「キモい!キモい!お前のそのやり方、キモい!」と叫びながらやっております。
スマブラがまだマシなゲームと言えます^^;
うわぁ……正しいんだけど、そんな方ってあまりお友達にはなれそうにないです(^_^;)
思うに。私たちは心の奥底では、欲しくてたまらないものを奪ってみたり、顔も見たくない相手を殺してみたり、そういう世界を隠し持っているのではないかしら……。
フィクションの世界に慰められて、ろくでもないノンフィクションの世界を生きていく。
ちなみに我が家の息子は、フォートナイトの世界で銃を乱射することができず、一生懸命イモってビクロイとりました。そんな楽しみ方もありますかねぇ。
作者からの返信
Twitterで実況していましたが、今夕は、庭で、串に打った焼鳥を焼いてましたが、先程、閉宴したところです(^^;
>私たちは心の奥底では、欲しくてたまらないものを奪ってみたり、顔も見たくない相手を殺してみたり、そういう世界を隠し持っている
>フィクションの世界に慰められて、ろくでもないノンフィクションの世界を生きていく
う~む… やはり、その路線なんでしょうかね~
>隠し持っている ものなのであれば、リアルで起こったことに憤るのは、ある種のポーズ?? いいえ、確かに、ポーズじゃなく憤っているはずなのです。
それが、ね… なんとも解せないんです。
>イモって
>ビクロイ
まったく、通じなかったので、息子君に尋ねて解読できました(^^;
プラナリアさんの息子さん、大したものですね!
リアルはきっと実際に悲しむ人がいるからでしょうね。
それでフィクションなら大丈夫ってなります。
愛読書の聖書の中では、悪魔より神様の方が殺人した人数多いので、
私は何が善か悪か分からない思考です。
それにしても橙さま宅のお庭、広い。お手入れも行き届いてるんですね。素敵。
作者からの返信
ハナスさん、コメントありがとうございます。
リアルで、傷つく人が出てくるシチュエーションであればそうですね。
単に悪ふざけして、面白さを感じる人もいれば、悪ふざけによって傷つく人が居ればそれは遺憾ことだ、っていうふうに考えれば腑に落ちるところもあります。
でも、まだ、なんかモヤモヤしてます。
いろいろな人がいるものです。
想像できるかぎりヘンな人でも、きっとどこかにいます。
フィクションでも悪いことはいかんと言う人もいますな。
桃太郎は桃から生まれますけれど、
現実に桃から生まれてくる人間がいたら
科学者や医者や、いろんな人に説教されることでしょう。
まったくケシカランことです。
思想及び良心の自由というのが憲法によって保障されていまして
妄想するだけなら人を殺そうが、物を盗もうが、桃から生まれようが
勝手であって、自由にやってよしということになっています。
明治憲法では認められていなかったのでしょうね、
よい時代になったものです。
自民党の憲法案ではどうなるか知りませんけれど。
作者からの返信
うーん…九乃さんといえども、この単純でありながらの難問に明快な答え、というわけにはいきませんでしたか。
フィクションだと面白く感じ、しかも、面白いと言っても非難されないのに、リアルな出来事だと面白いと思わなかったり、面白いと思っても表明することをはばかってしまう…
なんでだ???
確かにそうですね。
ただ、悲惨なことがらはフィクションの中だけに留めたいものです。
※俗物なので(笑)
作者からの返信
shibaさん、はじめまして、かな。
ドラマや映画やアニメは、悲惨なことがあっても、基本、ハッピーエンド。アンハッピーエンドであっても、もう一度観たい、と思わせる内容にできますものね。
そのストーリーがあるのがわかっているからこそ、フィクションが楽しめるものかもしれません。