9. 蟷螂 ~🐜5匹

 折小野おりおのじょう蟲蟷螂むしかまきりの上腕に挟まれた。

 光の粒を背負って運ぶ途中だった。


 ポリポット世界に来て三日目。初めて天敵に襲われた。


 鎌から逃れようと身動ぎをする。

 胸と腹が捻じれ、粘土のように落ちそうな気がした。

 自分のからだがあっさりバラバラになってしまう恐怖に固まった。


 蟲蟷螂の鋭い牙を持つ口が、丈の後頭部に突き立てられる寸前。


「丈君……!」


 耳に届いた悲鳴は、寧夢ねむだった。


 光の受け渡し地点はまだ先だったが、到着が遅い丈を心配して見に来てくれたのだろう。


 ――もし、ここで丈が食われてしまえば次に狙われるのは彼女だ。


 それは、嫌だ。


「ぐあああああああっ!!!」


 丈は叫んだ。叫んだつもりだが幻影虫の声帯では声は出ていなかったと思う。


 迫りくる蟲蟷螂の頭に潜り込むように沈み、喉元に噛みついた。

 振りほどこうと暴れる蟲蟷螂にしがみつく。

 やがて、蟲蟷螂は動かなくなった。


 死んだ、のか?


 寧夢が丈に抱き着いた。怖ろしかったのだろう、震えて泣き出しそうだった。


 二人の足元に横たわる蟲蟷螂が、どろりと溶けた。

 中からとろみのある光る液体が溢れ出す。まるで蜂蜜のような。


 丈は己の心を奮い立たせ、寧夢を励ました。


「寧夢ちゃん、大丈夫。光を運ぼう」






 その夜。

 偶然、阿夢あむの後ろ足に金色の光を見つけてしまった。光の粒によく似ているがそうではなかった。

 それは蜜だった。


 阿夢は、妹の寧夢の目を盗みながら早口で告げた。


「知ってしまわれたのね、丈君」


 寧夢が眠ってから、彼女は、このポリポット世界に住まう生物の遺骸からは蜜が捕れる事と教えてくれた。


 翅の装飾品である光の粒とは違い、それは栄養ある食料だった。


 蟲の死骸から捕れるそれを食べた幻影虫はからだが頑丈になる。


 幻影虫たちは太陽に背を焼き光の粒を採っているが、からだが頑丈になればより痛みに耐えられるためより多く大きな光を運べる。


 働き者の個体は、ポリポット世界の地表に居る翅に重宝される。

 だから、他の幻影虫より僅かに長く生きられる。


 だが、それは暗黙の禁忌だ。


 人間としての倫理観を抜きにしても、その行いはポリポット世界が求める”仕事”から外れている。

 大きな粒を運べる個体を一匹生かすより、小さな粒を運ぶ個体が十匹いるほうが好まれる社会だからだ。


 阿夢は、後脚に乗せた輝く液体を昼間蟲蟷螂に襲われた時にできた丈の胸の傷に被せるように塗った。

 見る見る丈の傷が消えていった。


 彼女は何かに急かされるように立ち上がった。


「私は蜜を集めてきますわ。丈君は、寧夢をお願い」


 何処から? どうやって? そもそもそんな事実を何故俺たちに隠していたんだ?


 疑問は一つも口から出なかった。


 阿夢は哀しく笑った。

 彼女の金の延べ棒色の体表が、暗く波打った気がした。




 翌朝、彼女は帰って来なかった。


 丈の兄、宇丈うじょうは「蟲喰いにやられたのかもしれない」と静かに告げた。





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