050.教育論
「スタン~!ここを教えて~!」
「ん………。そこはほら、さっき絵を書いて見せたでしょ?人より馬車のほうが2マス早く進むんだからこのあたりで合流するって」
「う~ん…………う~ん?」
ラシェルが屋敷にやってきてから数日が経過した日中の自室。
通常ならカリカリと紙に書く音が絶えず聞こえてくるはず、目論見を外れてほとんど音は聞こえてこない。
目の前の少女は机に肘をつき、頭を抱えながらウンウンと唸るばかりでその手は動く気配をみせない。
擦り切れるくらい問題文を読んだことだろう。助けを呼ぶ声に応えるも全然ピンと来ていないようで俺の呼びかけにも生返事だ。
「つまり1マスと3マスを引くと2マスだから、スタートの余裕分を数えたらどこで重なるのか――――」
「あ~!! もうっ!そんな事言われてもわからないわよ~!!」
――――その唸りは導火線のようだった。
俺がめげずに再び解き方を横から教えようとすると、ついに少女は全てを放り投げるようにいくつもの紙を天高く投げつけてヒラヒラと華麗に舞い落ちる。
そんな様子を頭から終わりまで見守っていた俺は「ついにか」という感想とともに頭上へ紙が着地した。
「なんなのこの問題!難しすぎるわよ!アンタたちよく解けたわね!!」
「まぁ……ここはボクも少し詰まったから……」
「少し!? これが少しなの!?あんたどれだけ頭良くなってるのよ~!」
内に溜まった鬱憤を爆発させるように。
少女――――マティナール、もといマティは腕をブンブンと振りながらその身全体で難しさをアピールした。
ラシェルの祝福診断から数日。いよいよ夏の終わりということで本格的に入学準備に始まろうかという頃、俺はマティに入学前の課題を手伝っていた。
質問してくる課題の中身は俺でも少し考えるほど。おそらく小学入試くらいのレベルはあるだろう。頭脳だけ大人一歩手前の俺にとっては大したことない問題だが、彼女にとっては頭から煙を出すほど難しかったようだ。
「もうさぁ……答え教えなさいよぉ。そのほうが早いでしょ~?」
「そんな事してたらマティの為にならないでしょ。この課題はマティに出されたものなんだから」
「む~う~! スタンのくせにママみたいなこと言う~!!」
足をバタバタと抗議してくる彼女は放っておいて床に落ちた冊子を手に取ると、幾つかの問題は飛ばしてあるがそれでも8~9割は埋めてあることが見て取れた。
しかも飛ばした問題はどれも難しいものばかり。少なくとも問題の取捨選択、そして基本はしっかりと抑えられているみたいだ。
思ったよりも勉強ができる彼女に感心していると、ブー!と怒ったような声が聞こえてくる。
「なによ~? 頭良くなったからって、できてない問題を見て笑ってるのぉ?」
「そんな事ないよ。ちゃんと難しいところは飛ばしてほとんどできてるのが凄いなって」
「でしょ~! ママに散々教わったもの!気付いたらベッドの上で朝になってたけど!!」
それはまぁ……マティのお母さんも根気強く教えてくれたんだろうな。
でもざっと見たところ間違ったところは殆どない。もしかしたら彼女も勉強を続ければ才覚が目覚めるのかもしれない。
さっきまで唸って爆発してたのに、褒められてからは鼻を高くして上機嫌に早変わり。
少なくとも鼻高な今では寝落ちする心配はなさそうだ。
「じゃあ今回は寝ることもなく、残りちょっとの問題を解いていこうか」
「え~!?もう~!? もうちょっと休憩しない?ねっ!」
休憩って、まだ始まって20分。問題も2問目までしかいってない。むしろここからだ。
「しません。 ほら、ペン握って」
「えぇ~。スタンのケチー」
ケチと言われようが構いません。
これまで前世でも妹の勉強を見てきた身として、2人目の生徒であるマティにもちゃんと勉強できてないと困る。今日中に課題を終わらせなくては。
「―――いいじゃないですかご主人さま。 ちょうどお茶も淹れましたし、ちょっとだけ休憩しませんか?」
「……シエル」
自身にスパルタ教師をインストールして泣き言を謳うマティを監督しようとすると、ふと背後からそんな優しい声がかかってきた。
そこにはお茶とお菓子が乗せられたカートを押した給仕服姿のシエルが。彼女の言葉によってマティの瞳に光が宿っていく。
「シエル!待ってたわ! このスパルタスタンに一言いってやって!」
「ご主人さま、あんまり詰め込みすぎても右から左に抜けていくだけですよ。もっと吸収するように一歩づつ進まないと」
シエルは今回の件、詰め込みには不賛成のようだ。いつの間にか抜け出したマティがシエルの背後に隠れてしまっている。
「シエル、詰め込むって言ってもまだ2問目だよ。もうちょっと進んでからじゃないと……」
「人には人それぞれのペースがあるものです。ゆっくり教えていったらいつか花咲くかもしれませんよ」
「そうだそうだ!もっと言ってやれ!」なんて副音声がシエルの背後から聞こえてきた。
声に出して言ってないが視線はそう告げている。
「でもなぁ、もう入学まで残り少ないんだし、今日中に終わらせないと」
「さすがに全部やるのは学校側も想定してないようですよ。ほら、最初のページに『できる限り』って書いてるじゃないですか」
「む……う……」
俺さえも優しく諭すように告げてくるシエル。
さすがにそれを言われると弱い。
課題の最初に書いてある注意事項。そこにはたしかにそう書いているのだ。
当然俺は全部解いたし、シエルも同じく。だからマティにもと思っているのだが……
「それにご主人さま、マティナールさんはまだ入学前なのです。今やりすぎて勉強嫌いになるのは避けたいと思いません?」
「それこそ、勉強嫌いになる前に入学前に教え込んでおいて後から楽になったほうが――――」
そうだよ。今後楽になるため、今頑張ったほうが絶対いいんだ。
俺が神山でそうだったように。勉強のみの生活を送ってきたように。
それを告げようと一歩前にでてシエルと距離を詰めると、最後まで言い切る前にマティが言葉で遮ってきた。
「…………ねぇ、あんたたち。 何で私の勉強で夫婦の子育てみたいな会話してんのよ」
「「…………えっ?」」
思わず出てくる二人同時の反応。なんら意識していなかったこと。
シエルの背後からジト目を浮かべながら告げられた一言に、何を言っているのだと二人して顔を見合わせてからすぐに意味を理解して同時に顔を逸してしまう。
「「~~~~!」」
そうだ……!たしかに……!
ようやく自覚した会話の流れにボッと顔に火がついてしまう。
なんで俺たちはマティの教育を巡ってこんな話し合いを重ねているというのだろう。
自分で思い返しても本当に子供の教育論で争っている夫婦みたいじゃないかと今更自覚する。
「と……とりあえず、お茶にしようか、シエル」
「そ、そうですね! せっかく淹れたのですしお茶にしましょ!」
なんだかギクシャクとした気まずい空気になりながらも、俺も立ち上がってそそくさとお茶の準備を始める。
突然夫婦なんて言われたせいで、何故か身体を動かしてないとソワソワする。
テキパキと二人がかりでやってしまえば準備も二倍の速さで進んでいく。隣で働く彼女が俺の邪魔をしないながらもきちんとフォローしてくれる姿に俺は目も合わせられず黙ってカップに視線を落とす。
「……ところでさ、シエルちゃん。 シエルちゃんも課題終わったの?」
「私ですか? もちろん終わりましたよ」
そんな準備の最中、マティに問われたシエルは普段と変わらぬ口調で返事をした。
まるでさっきの発現なんて気にしないかのように。なんだか俺だけ気にしているみたいだとほんの少しだけ淋しくも思う。
それはそれとして、シエル以前の休みの日に全部終わらせたはずだ。毎日の仕事と並行してやりきったのは俺としても脱帽である。
「へぇ……。それはスタンの答えを見て?」
「いえ、全部自分の力です。最後にはお互いに見直ししあって答えが合っているか確かめましたけどね」
コポコポとお湯を注ぎながらそんなこともあったなと懐かしむように思い出す。
幾つか間違いは見つかったものの彼女の正答率も相当高かった。あの学力なら学校でも十分やっていけるだろう。
「ご主人さま、お湯いただけませんか?」
「あ、うん。どうぞ」
「しつれいします――――あっ」
「―――あっ」
チョンと――――。
お湯の入ったポットを受け渡そうとした瞬間、俺の手が彼女の手に僅かながらにも触れてしまった。
普段一緒に就寝している身。抱きついたりもされているからさほど気にすることもない普通のやり取り。
しかし今日ばかりは違っていた。未ださっきのことを引きずっている俺はもちろんのこと、彼女も触れた瞬間小さな声を上げて即座に手を引っ込める。
「……ごめんなさいご主人さま」
「ううん、お湯、置いておくね」
どうやら彼女は平気だと思っていたが、俺と同じくまだ恥ずかしさを引きずっていたみたいだ。
自分と同じ気持ちであることにうれし恥ずかしな気持ちになりながら、ふと近くのマティに目を移す。
こんなことしていたらまたマティに変なことを言われかねない。
少し不安な気持ちとともに目を向けると、彼女は何やらテーブルに視線を落としながらプルプルと身体を震わせていた。
「マティ?」
「…………」
「? マティナールさん?」
どうやらシエルも不思議に思ったようだ。
さっきまで随分と静かだった彼女。どうしたのかと二人で様子を伺うと、その小さな口が僅かながらに動き出す。
「…………もん」
「えっ?」
「私だって一人でやってみせるもん! アンタたちの力なんて絶対借りてやらないんだから!!」
「えぇっ!? マティナールさん!?休憩は!?」
バンッ!と突然勢いよく立ち上がったマティは何を思ったか、そのままさっきまで座っていた机に向かっていってしまった。
どうやら俺達のことは全然目に入っていなかったみたいだ。
一人勉強を置いていかれていることに憤慨したマティは怒りとともにペンを強く握りしめる。
俺達のことは目に入っていないことにホッとしつつもその鬼気迫る表情に、シエルと目を合わせながら互いに笑みがこぼれていく。
「……じゃあシエル、お茶はちょっと中断して勉強しよっか」
「はい。ご主人さま」
揃って勉強を教えるべく、机に向かう彼女の内路に立つ俺達。
しかしそれでもなお、一向に解けない問題たちに彼女の熱はすぐに冷めてしまい、最終的にやっぱりお茶をしてから再び課題へと取り組み始めるのであった。
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