047.気高い女

「ひどい目にあった…………」


 一人自室のテラスにて手すりによりかかりながらうなだれる。

 いろいろな意味でひどい目にあった。直接手を下されたわけではない。ただ四方八方から向けられる視線に耐えられなくなった俺は避難した自室で夜風を浴びる。

 風呂上がり。火照った身体を程よく冷たい風で冷やしながら自らの服をつまんで持ち上げる。


 水玉のワンピース。

 昼間城下町にて冗談交じりで提案され、あろうことか夜になって本当に着ることになってしまった憎き服。

 まだ第二次性徴期を迎えていなかったことを心から喜ばしく思う。これがもう少し成長して筋骨隆々のままワンピースなんて着たら地獄絵図待ったなしだろう。自警団に頼らずとも自ら出頭するレベル。


 今にも脱いで普段の寝間着に着替えたいが残念ながらそれはできない。

 二人の王女様からの命令なのだ。一国民である自分が抵抗なんてできるわけもないだろう。

 そんなこんなで着慣れないワンピース独特の足元の涼やか感に苛まれながら夜の庭を眺めていると、ふと後方からコンコン、と窓を叩く音が聞こえてきた。


「涼んでるところ悪いわね。ちょっといい?」

「ラシェル王女?どうしてここに……」


 振り返った先に立っていたのは俺とはまた柄の違うワンピース姿に身を包んだラシェル王女だった。

 彼女は『何故?』と問いかける俺を待つことなく隣に立ち、同じように手すりに身体を預けながら空を見上げた。


「今日一日、あなたを探しながら城下町を見て回ったわ。やっぱりいい国ね」

「ラシェル王女殿下は何故わざわざ隣国から、遠出してまで私をお探しに?」

「ラシェルでいいわ。それに話し方もエクレールと話してる感じで」

「……ラシェルはボクに会うためだけにこの国へ?」


 星の広がる黒い海を見上げる彼女はチラリとこちらを見る。

 ほんの少しだけ伺うような、確かめるような視線。俺はそんな彼女の赤い目を真っ直ぐ見つめる。


「……なんだ。公務はウソってバレてたのね」

「確信はありませんでした。ですがボクを見つけたときの表情と状況から、なんとなく」


 観念するかのように大きく息を吐くラシェル。


 彼女が公務ついでに俺達に会いに来たという言葉。あの言葉は最初から疑っていた。

 昨日はエクレールと軽く通話用魔道具で話した。その時ラシェルの話題は一切でなかったし、今日一日つけられていた実績から考えるに公務らしい公務はなかったはずだ。

 エクレールにはアリバイがある。そしてラシェルはパーティーにエクレールだけを招待した間柄だと考えると、二人の仲は相当親密なもの。訪問する時には互いに一緒になることが自然だろう。

 明日の公務のための前入りと言われていたらそれまでだったが、どうやら賭けには勝ったようでホッとする


「あの時は本当に焦ったのよ。エクレールからあらまし聞いて、急いでワンピース全員分を買いに行ったら見失うんだもの。ちゃんと近くにいなさいよね」

「そんなこと言われても……」


 いわれなき非難に苦笑いだけが出てしまう。

 陰から見られていたことも知らないしその買いに行ったお陰で今俺は恥ずかしい格好をさせられているんだ。逆に抗議したい。


「で、どう?」

「……どう、とは?」


 本当に抗議してやろうかと考えていると、不意に疑問を投げかけられて首を傾げる。

 少々頭の良い自信はあるが主語も述語もない唐突な問いかけは首を捻ざるをえない。問いを問いで返すように問いかけるとまるで『分かってないわねぇ』と言わんばかりの勢いで大きくため息を吐かれる。


「これよこれ!私の衣装!みんなといっしょにワンピースにしたの!どう?かわいい!?」

「あぁ……」


 そこまで言われてようやく問いの意味を理解した。

 今の彼女は風呂上がりのようで金の髪は湿り気を帯びており、その服装は昼のアオザイではなく今俺が着用しているのと同じワンピースだった。


「似合ってると思うよ」

「具体的には!?」

「具体的……。例えば田舎に帰省した時に法事でやってきた活発金髪美少女に出会ったみたいな」

「なにそれ?どういう例え?」


 どうやら伝わらなかったみたいだ。

 ありのままを見たままに伝えたつもりだったが、どうやら日本的複雑怪奇な概念までは通じないらしい。


「つまり、なんというか……似合ってるよ」

「あら、今度はシンプル」

「あんまり例えても飾り付けた言葉よりシンプルな言葉のほうがいいと思って」

「それもそうだわ。いいでしょう。許して差し上げます」


 手の甲を口元に当ててホホホと笑う姿は王女様ではなく女王様のようだ。

 しかし自らの装いを褒められて楽しげに高笑いしてみせたのも一瞬のこと。すぐにその手を伸ばして俺の手をギュッと握りしめる


「ラ……ラシェル?」


 突然の行動に俺は目を白黒せざるをえなかった。

 真っ直ぐ手に向けられる紅い目は真剣味を帯びている。さっきの楽しげな表情はどこへやら、キュッと口を一つに結び眉を吊り上げまるで真剣な面持ちで真っ直ぐ俺の手元を一直線に見ている。


「……なんでこの国へって聞いたわよね」

「う、うん」

「スタンに会いにっていうのは本当。でも本当の意味はね……不安だったの」

「不安?」


 明るい雰囲気から一転。紡がれる小さな言葉は確かに不安の二文字を表していた。

 視線を下に向けて決して俺と目を合わせようとせず独白するかのように開く口に俺は静かに相槌をうつ。


「あのパーティーで言った婚約者の話。本当にあれで良かったのかなって思ったの。相手は見ず知らずの男の子。普段の私ってかなり疑り深いのよ?それなのにあなたを見た瞬間『婚約者にするしかない!』って思って気づけば口走ってて……。あの夜からずっと不安だったのよ。私は選択を間違ったんじゃないかってね」

「…………」


 それは後悔の吐露だった。

 パーティーで突然の婚約者への誘い。あまりにも唐突だったがそれは本人にも同じだったみたいだ。

 そして後悔に苛まれ、今に至ると。


「それでもう一度確かめようと思って父に無理言ってここに来たの。もう一度スタンとやらに会ってこの目でじっくり確かめようって」

「それで……結果は?」

「―――――」


 赤い目が真っ直ぐ俺を射抜く。

 燃えるような瞳。月光に照らされてまるでルビーのように光るその目が目の前にある。

 俺より少し慎重の高い少女。彼女は真剣な眼差しでこちらを見つめ、その後フッと笑みを浮かべる。


「あなた、今日従者の子とデートしてたって?」

「えっ?うん。誕生日の埋め合わせで……」

「そう。さっきお風呂でその子と話したけど概ね高評価ね。エクレールとマティナール?って子とも話したし……」

「はぁ……」


 突然の話題に切り替わりに呆けた声が出てしまう。

 いきなりそんな話をしてどうしたのか。結果は一体何なのか。そんな思いで彼女を見つめていると、俺の手をほどいた彼女はそっと頭に手を乗せる。


「――――私ね疑り深い上に気高いの。名前の呼び捨てなんてよほど気に入った相手くらいにしか許してないわ」

「……それって――――わぷっ!!」


 それはどういう意味だ――――。

 気高さ。呼び捨て。それはまさか。

 一つ思い当たる可能性に行き着いて問いかけようとした瞬間、俺の顔面をなにか大きな物に覆われて言葉が途切れてしまった。

 顔丸々全てを覆い尽くす柔らかなもの。突然押し付けられたそれを引っ剥がすと、愛用の枕が目に入る。


「どういう意味でしょうね。それじゃ、私たちの密談はおしまい。そろそろみんなお風呂出る頃だろうから合流してくるわね」


 そう言ってヒラヒラと手を振りながら部屋を出ていくラシェル。

 彼女の動きに合わせて揺れるスカートと俺より大きな背中を、ただ呆然と見つめるのであった。

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