007.ワガママ宣言

「いい天気ですねぇ」

「そうだねぇ……」

「暖かくて風も気持ちよくて、今にも眠っちゃいそうですねぇ」

「そうだねぇ……」


 燦々と降り注ぐ暖かな光。

 大空を自由に飛び回る鳥からはチュンチュンと楽しげな笑い声が聞こえ、サァと風が吹いて辺りの木々を揺らしていく。

 まさに心地の良い春の風。揺れる木の下に出来た木陰でシートを敷きながら芝生に寝そべり、外の空気を思い切り吸い込んだ。


 暑くもなく寒くもない。理想的な気候はまさしくピクニック日和である。

 自然の音以外の音がない心地よい空間。それはまるでこの世界に自分たち以外誰もいないような感覚を覚えた。

 俺はシートに寝そべり、彼女は横で座りながらゆっくりとこの空気を堪能していた。


「ご主人さま、もう少しそっちに近寄っていいですか?」

「そうだねぇ………いいよぉ……」

「ありがとうございます。 えへへ……」


 ピタリと寝そべる俺に引っ付いた彼女はほんの少しだけ恥ずかしそうにはにかんでみせる。

 まるで心地良い風が心の鎧も少し脱がせてくれたようで、普段と違う彼女の様子にほんの少しだけ驚いた。

 この一週間ほど彼女を見てきたが、幼いながらも公私を分ける人物だった。日中はメイドの仕事中だからと然となり、夜メイド服を脱がない限りひっついて来ない彼女が、今日ばかりは手が触れるほどの距離まで近寄ってきた。


 そんな彼女に驚きはしたが口に出すことはない。互いに吹き抜ける風を一身に受けて束の間の休日を堪能する。

 花々から香ってくる豊かな香り。芝生もターフのように程よい長さで切りそろえられ天然の布団と化している。

 そして木陰ならではの暖かさと風の涼しさが言いようのないほどの心地よさを与え、思わずたゆたう意識が夢の世界へと誘われかけてしまう。

 ほんの僅かでも気を抜いてしまえばグッスリ夕方寒くなるまで起きれなくなるだろう。


「それでもいいかもなぁ」


 一つ大口を開けてめいっぱい欠伸をする。寝たら寝たでその時だと心地よさに身を委ねかけたところで、ふと落とされる視線に気がついて薄っすらと目を開ける。


「………………」


 視界に入るのは揺らめく木々と、そしてシエル。

 微笑むように笑みを浮かべた彼女は黙ったままこちらを見下ろして手を動かしていた。

 どうやら俺の視線に気づいた様子はない。よくよく見れば彼女は俺の胸元に手を触れようとして、すぐに戻す、そんな動作を繰り返しているようだった。


「…………」

「……シエル?」

「っ――――! ご、ご主人さま、すみません!」


 手を伸ばし、戻す。繰り返す動作を不思議に思って思わず声をかけると、彼女は雷に打たれたように身体を大きく震わせながら頭を下げてきた。


 突然謝ってどうかしたのだろうか。

 身体を起こして胸元を見てみるも特に変わった様子はない。サスペンダー付きのシャツと普通の格好だ。


「どうかした?シエル。 変なものでもついてた?」

「い、いえっ! そんなことは無いですが……その…………」


 ピシッと背筋を伸ばして返事をするも、なにやらモゴモゴと引っかかる様子。

 なんだろうと様子を伺っていると、意を決したのか今度は視線を下げ、チラチラと上目遣いするような格好で口を開く。


「その……私も一緒に横になっても……いいですか?」

「横に?」

「はい……。ダメ、ですよね……メイドなのに……すみません、忘れてください」


 自らの言葉を撤回するように肩を落として顔を落とす。

 きっと頭に耳が生えていればシュンと折りたたんでいたことだろう。

 身体を縮め、落ち込んだように視線を完全に下げた彼女に俺はゆっくり首を振るう。


「――――なんだ、そんなことか。 ほら、おいで」

「!! いいんですか?」

「もちろん。 今日はオフなんでしょ?メイドだからなんて気にしなくていいのに」


 きっと彼女もこの心地よさにやられて寝転びたくなったのだろう。

 あえて先導するように再び起こしていた身体を倒してから、自らの隣をポンポンと叩いてみせる。


「じゃ、じゃあ……失礼します……!」

「うん、どうぞ―――――って、あれ?」


 隣で横になるかと思ってポンポンと叩いていたはいいが、いざ彼女が横になるとその身体は俺の上へと収まった。

 のしかかり……といえば言葉は悪いだろうが、俺の上に重なる形。彼女はギュッと抱きしめるように手を背中に回しながら、胸元を枕にするように頭をあずけている。


「シ、シエル?」

「ご主人さま……ありがとうございます。 私、これだけで幸せです」


 疑問の言葉を投げかけようとして、口を噤んだ。


 そんな幸せそうな笑顔をされちゃ”どうして”なんてあえて言うのも野暮だろう。

 俺も応えるように背中に手を回して抱きしめる形になると、彼女は更に身体を預けるように頬ずりをしてくる。


 言葉だけ見ればまさに甘えん坊の恋人のようだが、彼女も俺もお互い10に達していない。

 幼い彼女にとって甘えられる数少ない人物が自分なのだろうと理解してそっと柔らかな髪を撫でる。


「これくらい、いつだって。毎日一緒に寝てるんだし」

「そ、それは……オンとオフといいますか……。私だって元貴族ですので、落ちぶれたとはいえそれくらいはしっかりしないと……」

「貴族……?」


 おや、と思いもよらぬ言葉にピクリと耳が動いた。


「じゃあ、シエルは元貴族でスラムに……?」

「……はい」

「なんで……いや、なんでもない」


 思わぬタイミングで明かされる事実に、彼女は静かに目を伏せる。

 初耳だ。シエル、元貴族だったのか。

 だったらなんでスラムなんかに………そう聞きかけて閉口する。今は聞かない方がいいだろう。目を伏せる彼女は深掘りしてほしくなさそうに見える。


「……二人きりの時なら、いつでも甘えていいよ」

「ありがとうございます。 やっぱり、優しいのですね。ご主人さまは」


 悩み、頭を捻って絞り出した返答に静かに微笑みかけるシエルだったが、「あっ」とふと思いついたように声を上げる。


「でもご主人さま。 気をつけてください。メイドの方々からは嫌な噂が流れてますので」

「嫌な噂?」

「はい……。ご主人さまがあまりに優しすぎるって。まるで本当に別人に成り代わったんじゃないかって」

「…………」

「もちろんメイド長が気づいたらいつも叱責してます!ですが噂はーー」

「噂は止められないからね」

「ーーーーはい」


 人の口に戸は立てられない、ということだ。

 確かに事実だ。この一週間調べた結果、間違いなく俺はあの瞬間別人に成り代わった。

 もとのスタンがどうなったのかはわからないが、聞いたところによると当時スタンは脈拍的にも死んだと思われたらしい。その時に彼が死に、自分が入れ替わったというのが今の有力候補だ。


 どちらにせよ、以前のスタンの記憶はさっぱり無い。

 それを公表してもいいのだが……いかんせんみんながいい人すぎる。

 公表して以前のスタンが死んだと判断されたら悲しむだろうし、俺だってこの生活を手放すのは惜しい。

 元の世界に戻る手段もないし、みんな……特に父を悲しませたくない。


「ちなみにシエルはどっちのスタンがいい?」

「もちろん今です!……って言いたいのですが、以前のご主人さまを見たことがないので……。すごくわがままだったというのは聞いてますが……」

「ワガママってどのくらい?」

「お話によりますと、とてもやりたい放題だったみたいです。特にメイドの方々にはすごく尊大で、疎まれていたようで――――あ!今は好まれてるっていう人も増えてきてます!」


 周りの評価だというのにしっかりとフォローしてくれるシエル。

 噂の時点で随分と酷い人物だったようだ。それは確かに、相対する人みんなに驚かれるだろう。


「でもメイド長が少し心配されていました。もし何も変わっておらずワガママ言うのを我慢してるのなら……と」

「我慢、ね……」


 彼女の言葉にふと考える。

 我慢をしていない、といえば嘘になる。もともと神山の家に生まれ、次期当主として毎日勉学に励んでいた。

 それは一時の弛緩さえも許されない。ひとたびサボりだと判断されれば即座に父に報告され、叱責の後に殴打されるから。だからワガママを言うなんてこれまで頭にすらなかった。ただ『神山の人間たれあれ』と、それに相応しい人になるように毎日研鑽を――――って、あれ?


「……もしかして、ボクはもう神山とは関係ない……?」

「ご主人さま?」


 ふと、思考の旅があるところで立ち止まった。


 自分は誰だ。神山の人間である前にスタンだ。


 ここは異世界。日本と行き来する方法は未だ判明していない。

 俺はスタン・カミング。今はもう神山の名も無く、ただのスタン・カミングだ。

 つまりここで何をしようが神山の家に何も影響なく、わざわざ父が出てきて殴られることだってない。


「それだよ、シエル」

「えっ?」


 そうだよ。以前のスタンはワガママし放題だったみたいじゃないか。

 わざわざ戻れる見込みの薄い神山にこだわらなくたって、これからはワガママ放題の生活をしても許されるはずだ。


「ありがとうシエル。ボクのこれからの目標、出来た気がする」

「は、はい。それはよかった……です?」


 彼女の手をギュッと握りしめると、驚きと困惑の混じった声が聞こえてくる。


 決めた。新しい世界、新しい身体、新しい生活。

 1度は死んだ2度目の人生だというのにあの家に縛られて生きるなんて面倒くさい。

 だったらもう、この世界で好きに生きていこうじゃないか!


 そう決めて立ち上がった俺の目は、まるで縛られ続けてきた何かから解き放たれたかのように輝いてたと、後のシエルから聞くのであった。


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