007.ワガママ宣言


「いい天気ですねぇ」

「そうだねぇ…………」

「暖かくて風も気持ちよくて、今にも眠っちゃいそうですねぇ」

「そうだねぇ…………」


 さんさんと降り注ぐ暖かな光。

 こちらの世界にも鳥は居るらしくチュンチュンとした声が聞こえ、サァァと風が吹いて辺りの木々を揺らしていく。

 天高くからは太陽の光が降り注ぎ、その光を直接浴びないように木陰に移動した俺たちはシートを敷いた芝生に寝そべり、外の空気を思い切り吸い込んだ。


 暑くもなく寒くもない。理想的な気候はまさしくピクニック日和である。

 自然の音以外の音がない心地よい空間。それはまるでこの世界に2人以外誰もいないような感覚を覚えるようなもの。

 俺はシートに寝そべり、彼女は横で座りながらゆっくりとこの空気を堪能していた。


「ご主人さま、もう少しそっちに近寄っていいですか?」

「そうだねぇ………いいよぉ……」

「ありがとうございます。 えへへ……」


 その穏やかな空気は心の鎧も少し脱がせるようで、これまでメイドの仕事中だからと、寝間着にならない限りひっついて来ない彼女が、触れるほどの距離まで近寄ってきた。


 あぁ……お風呂やベッドも捨てがたいが、こういうのもまたいい。

 花々が近くにあるからか香ってくる豊かな香り。芝生もターフのように程よい長さで切りそろえられ、シートのお陰で天然の布団と化している。

 そして木陰ならではの暖かさと風の涼しさが言いようのないほどの心地よさを与え、思わずたゆたう意識が夢の世界へと誘われかけてしまう。

 もはやあと数分目をつむっていればグッスリとなって夕方寒くなるまで起きれなくなるだろう。


 まぁ、それでも良いかと心地よさに身を委ねかけたところで、ふと落とされる視線に気がついて薄っすらと目を開ける。


「………………」


 視界に入るのは揺らめく木々と、そしてシエル。

 木々は当然風に揺れ動いているが、シエルといえば黙ったままこちらを見下ろして手を動かしているようだった。

 薄目でだからか俺が見ていることに気づいた様子はない。よくよく見れば彼女は俺の胸元に手を触れようとして、すぐに戻す。そんな動作を繰り返しているようだった。


「…………」

「……シエル?」

「っ――――! ご、ご主人さま、すみません!」


 しばらく様子を伺ってもそれ以上何も進展しない動作に思わず声をかけると、彼女は雷に打たれたように身体を大きく震わせてその手を引っ込めながら頭を下げる。


 突然謝ってどうかしたのだろうか。

 身体を起こして胸元を見てみるも特に変わった様子はない。至って普通の格好だ。


「どうかした?シエル。 変なものでもついてた?」

「い、いえっ! そんなことは無いですが……その…………」


 ピシッと背筋を伸ばして返事をするも、なにやらモゴモゴと心に引っかかる様子。

 なんだろうと様子を伺っていると、今度は視線を下げ、チラチラと上目遣いするような格好でこちらを見てきた。


「その……私も一緒に横になっても……いいですか?」

「横に……?」

「はい……ダメ、でですよね……お仕事中に……すみません」


 きっと頭に犬耳が生えていればシュンと折りたたんでいたことだろう。

 身体を縮め、落ち込んだように視線を完全に下げた彼女は目を伏せる。


「――――なんだ、そんなことか。 ほら、おいで」

「!! いいんですか?」

「もちろん。 今は二人きりだし仕事中なんて気にしなくて良いのに」


 きっと彼女もこの心地よさにやられて寝転びたくなったのだろう。

 あえて先導するように再び起こしていた身体を倒してから、自らの隣をポンポンと叩いてみせる。


「じゃ、じゃあ……失礼します……!」

「うん、どうぞ―――――って、あれ?」


 隣で横になるかと思ってポンポンと叩いていたはいいが、いざ彼女が横になるとその身体は俺の上へと収まった。

 のしかかり……といえば言葉は悪いだろうが、俺の上に重なる形。彼女はギュッと抱きしめるように手を背中に回しながら、胸元を枕にするように頭をあずけている。


「ご主人さま……ありがとうございます。 私、これだけで幸せです」


 ――――まぁ、そんな幸せそうな笑顔をされちゃ”どうして”なんてあえて言うのも野暮だろう。

 俺も応えるように背中に手を回して抱きしめる形になると、彼女は更に身体を預けるように頬ずりをしてくる。


 言葉だけ見ればまさに甘えん坊の恋人のようだが、彼女も俺もお互い10に達していない。

 特に精神年齢が中学卒業レベルの自分にとっては、そんな彼女も年の離れた妹のようだ。


「別にこれくらいいつでもいいのに。いつも一緒に寝てるんだし」

「そ、それは……オンとオフといいますか……。私だって元貴族ですので、せめてそこだけはしっかりしないと……」

「貴族……? じゃあ、シエルは貴族だったのにスラムに……?」

「…………はい」


 思わぬタイミングで明かされる事実に、彼は静かに目を伏せる。

 初耳だ。シエル、元貴族だったのか。

 だったらなんでスラムなんかに………いや、今は聞かないでおこう。目を伏せる彼女は深掘りしてほしくなさそうだ。


「……二人きりの時なら、いつでも甘えていいよ」

「……ありがとうございます。 やっぱり、優しいのですね。ご主人さまは」


 悩み頭を捻って絞り出した返答に、彼女は静かに微笑みかける。

 

 優しい……優しいのかなぁ?

 日本だと至って普通のことだと思うんだけど。


「あ、でもご主人さま。 気をつけてください。メイドの方々からは嫌な噂が流れてますので」

「嫌な噂?」

「はい……。ご主人さまが優しすぎるって。まさか本当に別人に成り代わったんじゃないかって」

「…………」

「もちろんメイド長が気づいたらいつも叱責してます!ですが噂は……」


 人の口に戸は立てられない、ね。

 確かに事実だ。間違いなく俺はあの瞬間別人に成り代わったんだろう。

 もしくはバートランド・ラッセルの提唱した世界五分前仮説のように、俺は本当にスタン本人で記憶だけスッポリ入れ替わったか。


 どちらにせよ、以前のスタンの記憶はさっぱり無い。

 それを公表してもいいのだが……いかんせんみんながいい人すぎる。

 公表して以前のスタンが死んだと判断されたら悲しむだろうし、俺だってこの生活を手放すのは惜しい。

 元の世界に戻る手段もないし、みんな……特に父を悲しませたくない。


「ちなみにシエルはどっちのスタンがいい?」

「もちろん今です!……って言いたいのですが、以前のご主人さまを見たことがないので……。すごくわがままだったというのは聞いてますが……」

「ワガママってどのくらい?」

「お話によりますと、とてもやりたい放題だったみたいです。特にメイドの方々にはすごく尊大で、疎まれていたようで――――あ!今は好まれてるっていう人も増えてきてます!」


 周りの評価だというのにしっかりとフォローしてくれるシエル。

 ありがとう。でも大丈夫。全く想像つかなくて実感もなにもないから。


「でもメイド長は少し心配されてました。もしワガママ言うのを我慢してるのなら……と」


 我慢かぁ。

 でも俺がやりたい放題してたら神山の家に傷もつくし父に殴られ――――って、あれ?


「……もしかして、ボクはもう神山とは関係ない……?」

「ご主人さま?」


 ここは異世界。日本と行き来するのは不可能に近いレベル。

 そして俺はスタン・カミング。神山の名も無く、ただのスタン・カミングだ。

 つまりここで何をしようが神山の家に何も影響なく、わざわざ父が出てきて殴られることだってない。


 そうだよ。以前はワガママし放題だったじゃないか。

 そんなわざわざ神山にこだわらなくたって、これからはワガママ放題の生活だって……!!


「それだ」

「えっ?」

「ありがとうシエル。ボクのこれからの目標、出来た気がする」

「は、はい……。それはよかった……です?」


 彼女の手をギュッと握りしめると、驚きと困惑の混じった声が聞こえてくる。


 決めた。新しい世界、新しい身体、新しい生活。

 1度は死んだ2度目の人生だというのにあの家に縛られて生きるなんて面倒くさい。

 だったらもう、この世界で好きに生きていこうじゃないか!

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