第39話 それぞれの思い

 3年で人に戻れるという事実は5人の意識を変えた。空雄は傍観せずに戦うことを決めたが、誰もが簡単に答えを見つけられるわけではなかった。戸惑い、受け入れられない者。迷い、周りの様子をうかがう者、どちらでもよい者。中には、保証が提示された今、戦うことに意味を見いだせない者もいた。


 2日が過ぎ、悟郎が姿を消した。消えてしまえと言い、部屋を出て行って以降、空雄は彼のことが気掛かりではあった。感情を出すタイプではなかったし、面と向かって誰かと衝突することを避けるタイプにも見えたからだ。


 見回りに穴ができたため、その負担は当然他の猫戦士たちに降りかかる。見張りの目がない時間帯も増え、シフトは不規則になっていった。


 見回りから帰ったある日、空雄は仮眠するために自分の部屋で横になっていた。午前5時ごろ、目が覚めると隣の部屋に流太はいなかった。


 同時刻、流太は境内の外れにある洞窟の中で悟郎を見つけた。彼は直径3メートルほどの入り口をくぐってすぐの所におり、スイッチが切れた機械のようにうずくまっていた。


「そうやって、3年過ぎるまで閉じこもってるつもりか」


 流太は隣に腰掛けると持ってきた酒瓶に口をつけた。しばらくの間、悟郎は微動だにせず流太は1人で飲んでいた。徐々に外が明るみだし、流太は瓶を横にクイッと差し出した。


「まぁ飲めよ」


 悟郎は少し顔を上げると眉をひそめた。


「酒は飲まない」


「ミルクだ」


 悟郎は疑り深く茶色い瓶を透かして見ると、残っていたミルクを一気に飲み干した。最後にはぁと息を吐いて空になった瓶を地面に置いた。


「ここで生活するのも悪くない」


 流太は言った。


「ただ、寝床は柔らかい方がいい。戸は杉で作ろう。明かりはろうそくがいい。調理ができるようにいろりも作ろう……なんだか懐かしいな。何かあれば、あんたはいつもここに来てた。俺が桜の木に行くように、あんたはこの洞窟。なぁ悟郎、本気で3年間も籠城するつもりか?」


「退屈で死ぬ」


 思わぬ返答に流太はポカンと口を開け、やがて時差でもあるみたいに噴き出した。こんな洞窟で3年間も過ごせるわけがない。


「冗談だよ、冗談。俺はただ、あんたの意思を確認しにきただけだ」


 悟郎はどうしようもない感情の矛先が、どこを向いているのかさえ分からなくなったみたいに背中を震わせた。


「俺は……分からない。分からなくなったんだ。俺たちが戦ってきたことに、意味はあったのか? 人間に戻れるなら、死も厭わないとさえ思ってきた結果がこれか。何もかも、無駄だったのか」


 朝日が2人を包み込む。例え光が増そうとも、2人の未来が明るくなるわけではなかった。どんな未来を語ろうと、今を生きるしかない。絶望しようと、道に迷い、己の弱さに打ちひしがれようと。


「あんたは、認めたくないだけだ」


 流太は言った。


「全ては無駄で、意味がなかったと」


 悟郎は流太の言葉を否定しようとしたが、できなかった。


「意味があると思いたいのなら、俺と戦え。悟郎。最後に選ぶのはあんた自身だ。でも、これだけは言っておく」


 流太は悟郎の目を見た。


「後悔だけはするなよ」


 9月、空雄と流太は結界を調査するため町に出た。いつもは通らない場所も念入りに歩き、一つ一つ結界の様子を見て回った。結界は千枚。全て見るには丸一日要した。流太が結界の様子を観察し、空雄がメモを取る。地道な作業を繰り返し、全てが終わるころにはどっぷり日が暮れていた。


「これで完了」


 流太は空雄からノートを取り上げると一枚一枚確認した。


「一番損傷が大きかったのは中央部と南西部にある6枚の結界。どれも4~7割は溶けていた。結界の消滅は現在も進行中。溶ける速度を鑑みれば、あと半年で30枚は完全に消える」


 空雄は近くにあったベンチに腰掛けた。千本結界の消滅は、石井道夫を見つけ出すための目が少なくなるのと同義だ。いくら猫戦士が戦える状態にあっても、道夫を見つけなくては話が始まらない。千本の結界があっても自力で見つけ出すのは難しいのに、数が減る一方では今後も厳しい局面が予想される。


 にゃんこ様の力が弱まるたびに結界は溶けていく。つながり合った二つの存在は、この先確実に時間がないのだと伝えていた。


 流太は持ち帰ったノートで作戦会議を開いた。結界が溶けている箇所に見回りの重点を置き、ルートの再構築を練る。鈴音、条作も意見を出し、別の日に参加した悟郎とも話し合った。


 空雄にしてみれば、悟郎が見回りのメンバーに戻ったことは意外だった。正直、もう戻らないとすら思っていた。それが、数日後には何事もなかったように復帰。流太は物知り顔だったが、はっきりとした理由は教えてくれなかった。


 空雄は布団に入るたび時間が過ぎていく早さにむなしさを覚えるようになった。何も知らず過ごしていた時は、そんなこと思いもしなかったのに。どうしてこんなに胸が苦しいのだろう。


 夕暮れ時、空雄と流太は見回りで町を歩いていた。もう何度も2人で歩いた道。可視化された結界を見ながら、空雄はこれからのルートを頭の中に思い描いていた。


 進むべき道で進み、曲がるべき角で曲がった時、空雄は足を止めた。人通りが少ない長細い道。左側の空き地は猫がよく集まる場所なのだが、きょうは数匹の猫に囲まれ1人の男がしゃがみ込んでいた。一瞬石井道夫かと思いドキッとしたが、よく見ると別人だった。


 2人は通り過ぎ、再び人通りが多い道に出た。町は深い夜に閉ざされ、空雄と流太は相変わらず平穏な町を歩いていた。交代の条作が来るまでの間、誰もいない公園で待つことにした。ベンチに座りながらぼーっとしていると、子猫が茂みの中から現れた。


「遅いな。ちょっと見てくる」


 流太は公園の外に出て行った。空雄は茂みに歩みより、にゃーにゃー鳴く子猫を抱き上げた。どうやらけがをしているようで、右脚に血がにじんでいた。猫神社に連れていけば薬もあるし、治療ができる。空雄は連れて帰ろうと思い羽織りを脱ぎ子猫を包み込んだ。戻ろうとしたとき、後ろでヒュッと空気が切れる音を聞いた。


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