第29話 必ず迎えにいく

 自分の部屋に戻り、空雄は気が抜けて倒れ込んだ。遭遇確率が低いとはいえ、石井道夫がいつ襲ってくるかも分からない状況で見回りをするのは、ただ町を歩いていた時とはわけが違った。


 エネルギーを使い過ぎた。体力的にも、精神的にも。空雄はひとまず眠ろうと思って布団に入った。明日以降のシフトはどうなるんだろう。今さらだが、以前流太がグループチャットを教えてくれると言っていたのを思い出した。シフトもそこで共有できるみたいだし、教えてもらうのが手っ取り早い。


 ふすまが開いていたのでのぞくと、流太はすでに布団で丸くなっていた。起こすのは悪いと思い、空雄はふすまを静かに閉じた。うなり声が聞こえた。

 気付かないふりをして布団に戻ろうとした時、確かに聞こえた。小さな低い声で「熱い」と言うのを。しかも繰り返し、助けを求めるような声で。悪夢にうなされているところなんて人に聞かれたくないだろう。空雄は布団にもぐり込み目を閉じた。重い瞼を閉じればすぐに睡魔はやってきて、脳がまひしたみたいにふっと意識が飛んだ。


 再び目を開ける頃には外が明るんでいて、鳥のさえずりがした。空雄は猫みたいにうんと背伸びして、ぬるりと起き上がった。洗面所には明かりがついていた。ちょうどドアが開いて流太が出てきた。


「あ、おはよ。朝ご飯、もう食べた?」


「これからです」


 空雄は流太と話しながら廊下を歩いた。居間に入ると鈴音がテーブルの下で伸びていた。


「またこんな所で寝て、しっぽ踏まれるよ」


 流太は言いながら、鈴音をまたぎ座った。声に反応したのか、鈴音のしっぽはくるりと丸くなった。テーブルの下をのぞくと、他にも3匹の猫が集まってゴロゴロしていた。猫屋敷には境内にいる猫もやってくるので、部屋の中で見掛けるのは珍しくない。


「あ、空雄くん、お帰りぃ~。無事、見回り終わったんだ。お疲れ様」


 ゴンッ! テーブルに頭を打ち付けながら鈴音ははい出てきた。


「猫拳も上達してきたみたいだし、成長早いね。見回りで大事なのは、ちゃんと発見して足止めすることだからね。そうすれば、仲間がちゃんと駆け付けられるでしょ?」


「足止め、ですか」


 にゃんこ様も言っていたが、なんだかイメージが湧かない。


「足止めには結界封鎖を使うの。説明されるより、見た方が分かりやすいから、今度流太に見せてもらいなよ。それにしても、初めてだから緊張したよね。きょうはゆっくりして。シフトには流太が1人で入るし」


 流太は口に運ぼうとしたスプーンを止めた。


「シフトを決めてるのはにゃんこ様であって俺じゃない」


「流太さん。グループチャット、教えてくれませんか? シフトもそこで見られるんですよね」


「鈴音、教えてあげて」


 流太は鈴音に丸投げした。


 グループチャットは高校生の時にも使っていたアプリだったので、友達リストに追加するだけで参加できた。さっそく流太の顔がアイコンになっている「すず」という人から「ようこそ!」とメッセージが届いた。


「流太さん、アイコン自分の顔なんですね」


 よく見ると眠っている顔で、頰のところに猫ひげが書かれていた。


「それ、私のアイコン」


 鈴音は空雄に耳打ちした。


「ハロウィーンの時、寝ている流太の顔に落書きしたの。その時の写真。どう?」


 流太はため息を漏らした。


 グループチャットのメンバーを見ると、名前はそのままの「流太」が黒猫、「ジョー」は恐らく条作で、猫戦士たちと一緒に写っている集合写真、悟郎はフルネームの「山田悟郎」で自分の後ろ姿がアイコンだった。


 その日の晩、流太は1人本殿の地下にいた。夜の静けさが孤独をより強くする。流太は石にされた沢田麗羅の前にカリカリをのせた小皿を置くと隣に座った。


 麗羅は楽しいことを見つけるのが上手な上、共有したがる性格の持ち主だった。正月、ひな祭り、花見、七夕、月見……季節ごとのイベントも欠かさない。夏になると、よくスイカをみんなで食べた。普通に切って食べればいいのに、麗羅はスイカ割りまで企画した。


 流太は麗羅が猫戦士になる前のことを知らない。麗羅も流太のことを。他の猫戦士たちも同じだ。みんな、自分の過去を話さない。猫戦士同士、暗黙の了解だった。


 流太は麗羅の頭に手を置いて、心の中で語り掛けた。


”必ず迎えにいく”



 目覚めると午後4時半だった。空雄は布団から出て、いつもの白い着物をパーカーの上に羽織った。きょうは2回目の見回りだ。


「空雄」


 呼ばれて隣の部屋に行くと、流太が大きな地図を広げていた。


「これ、なんですか?」


「この町の地図。見回りに出るなら、町全体の構造をちゃんと把握しておかないとね。きょうの課題は、地図を頭の中にたたき込むことだ」


 空雄自身、なんとなくの町の位置関係は分かるが、つい最近までこんな所に猫神社があることすら分からなかった。自信のない顔でいると流太に地図を押し付けられた。


「出発は午後6時。それまでに見ておいて」


 空雄は地図とにらめっこすることになった。その間、流太はゴロゴロ漫画本を読んでいて、時々長いしっぽが地図にかかるので邪魔だった。


「この赤い丸印は?」


 空雄は流太のしっぽを払いながら言った。


「この町にいる猫たちのいわば縄張りだよ。それに頼り過ぎるのはよくないけど、重点見回り箇所だ」


「縄張りなんて、あってないようなものだと思いますけど」


「猫にも代々すんでいる土地というものがあるんだよ」


 まさか、猫戦士になって地図を覚えなければいけないなんて。空雄はあまりやる気がなかったが、いつの間にか集中して1時間もたっていた。


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