第27話 ともに戦える

 今冬は大雪だった。県南部では一部自衛隊が派遣されるほどで、夜中に停電する地域もあった。果樹被害も甚大で、冬の間は暗いニュースが続いた。もちろん、猫神社も例外ではなく、冬の間は雪のせいで石段も見えなくなり、本殿はつぶされそうだった。雪かきは宮司の茂和と猫戦士の役目だったが、降っても降っても終わりが見えない日には訓練よりも気が重くなった。


 だから雪が解け、緑が芽吹く季節になった時は解放された気分になった。神社の境内にある桜の木が満開になった頃、空雄はいつもの竹林で駆けていた。数メートル先には、同じように走り距離を保つ流太。お互い拳を堅く握り、エネルギーを内にためている。空雄は勢いよく竹に足をかけ表面に沿って上った。ぐいんと大きくしなった竹に身を預け、空雄は次の竹に飛び移る。


 いつ襲い掛かってくるか分からない。空雄は様子をうかがいつつ最大までためたエネルギーを抱え流太に詰め寄った。白い光が大きく膨れ上がる。


「白猫拳(はくびょうけん)!」


 空雄の迷いない一振りは流太の顔を捉えていた。向こうも黒猫拳を繰り出していた。2人の拳は空中でぶつかり、爆風が竹林全体を揺らした。空雄はこのまま振り切れると判断し、さらに力を込めていく。流太の左拳、第2の黒猫拳が横腹に飛んでくるのが見えた。空雄は左拳で受け止め直接のダメージを回避したが、流太の足に腹を蹴られ襟をつかまれると地面にたたきつけられた。体が半分地面に埋まった状態で青空を見上げ、またも敗北したのだと知った。


 流太は笑顔で手を差し出した。空雄は彼の手を取り起き上がった。流太との対人訓練では一度も勝ったことがない。勝てそうだと思った時は何度かあった。でも、結局隙を突かれやられるのは空雄の方だった。


「もう少しだったのに」


「あんたが言うもう少しってのは、どのくらい?」


 空雄はそっぽを向いた。


「ふてくされている時間は無駄だよ」


「ふてくされてません」


 2人は軽口をたたきながら桜の木の前を通った。桃色に明るく染まった木は実に見事で、辺りにはふんわり優しい春の香りが漂っていた。


「感想は?」


「きれいです」


 竹に囲まれた神社の境内に一本だけある桜。空雄はようやく満開になった姿を見られたことに感動していたが、い

ざ感想となるとそんな言葉しか出てこなかった。


 猫屋敷に戻り、2人は居間でご飯を食べることにした。居間では悟郎が1人窓辺に座っていた。彼はきょう、シフトに入っていないらしい。膝には灰色の猫が1匹丸くなっていて、どちらも目をつぶり心地よさそうに眠っていた。


「空雄ー、またいつもの猫缶? あ、ゼリーもある」


 台所から流太の声がした。2人はテーブルを挟んで猫缶を開けた。スプーンで丁寧に食べていると、空雄は間違って舌を勢いよくかんだ。ガリッ。嫌な音。じわりと血の味が広がる。気を取り直そうとスプーンを持った時、急に体が縮み始め、空雄はシュルリと白猫になっていた。テーブルから頭だけのぞいた空雄の姿に流太は「あ」とだけ言った。なんとも言えない空気が漂う中、空雄は口を半開きにした。この、クリームパンみたいな手は……


 えええぇぇぇぇ?


 猫になったのか?


 空雄は信じられず、クルクル回って自分のしっぽを追いかけた。


「こんなところで猫化できるようになるとはね」


 ほら、流太だって驚いている。背後で音がして振り返ると、寝ていたはずの悟郎がしゃがみ込んでこちらを見ていた。動揺する空雄の前で、悟郎はどこから取り出したのか、猫じゃらしを垂らした。空雄は白けた目で見返したが、ブラブラ動く猫じゃらしに目が奪われていた。ほとんど無意識に追い掛け、完全に遊ばれていた。さんざん猫じゃらしを振った後で悟郎は言った。「猫だな」


 カチンときた。そんなの見れば分かる。


「空雄、元に戻れる? 舌をかんでごらん」


 流太に言われるまま、空雄は慣れない猫の歯で自分の舌をかんだ。が、何も起こらない。ダラダラと変な汗が流れ

る。見かねた流太が空雄の舌をつまんだ。今度は猫戦士の姿に戻っていた。


「助かりました。俺……一生元に戻れないのかと」


「ははっ、大げさだな」


「でも、条作さんは猫化に3年、人化に1年かかったって言ってたような」


 驚いていると悟郎が鼻を鳴らした。



「そんなもの、人それぞれだ」


「そういう悟郎さんは、何年かかったんですか?」


「1年」


「ええっ?」


「うおほんっ!」


 突然のせき払いに一同ギョッとする。にゃんこ様が部屋の入り口に立っていた。


「自力で猫化できるようになったようだな」


「今のは偶然です」


「それだけ体に慣れてきたということだ」


 この体に? まったく自覚はなかったが、感覚的にこのアンバランスな体に慣れてきたということだろうか。猫にも人にもなりきれない”猫戦士”という存在に。


「こんな所にどうしたんですか?」


 空雄はやんわりと尋ねた。


「なに、おぬしと話したくてな」

 にゃんこ様に連れられて外に出ると、本殿の裏口に通された。こうして2人きりで話をするのは初めてだったので、何かまずいことでもしたのではないかと不安になった。空雄は座布団に座り、にゃんこ様と向き合いながら唇をかみしめた。


「明日から流太と見回りに出てほしい」


 唐突だったので空雄は拍子抜けした。


「おぬしがここに来て1年が過ぎた。流太が総合的に見て現場に出てもいいと判断した。要するに、流太のお墨付きじゃ」


 いつになったら見回りに同行できるのかと思っていた。流太はこの件に関してなにも言わないし、同じ訓練を続けるだけでは成長にも限りがあるのではないかと思っていたからだ。にゃんこ様ではなく流太が下した判断だと聞いて驚いたが、ちゃんと見ていてくれたのだと思い、素直にうれしかった。この1年、ただがむしゃらに前へ進んできた。これからは、自分もみんなと一緒に一つの目的に向かって戦える。

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