第24話 カノン

 まずは拳の中にエネルギーをためるため、時間をかせぐ必要がある。空雄はまず、回避へ行動を移した。流太は逃げることなく迫ってきた。いきなり蹴りをかまされる。なんとか両腕で受け止めたものの、すさまじい威力に数メートル吹き飛び背中から竹に体を打ち付けた。間髪入れず、迫ってくる次の蹴り。


 そうか、と気付く。流太はエネルギーをためる間も攻撃を緩めない。これじゃあ防戦一方で対抗できない。空雄も蹴りで返そうと思ったが、これまで拳だけ鍛えてきたので蹴り方が分からなかった。まるで、これまでの対人訓練とは違う。


 流太の両拳に黒い光がまとわりつくのが見えた。ガツッと思いきり腹を蹴られ、空雄は宙に浮いていた。衝撃のあまり拳が解け、せっかくためたエネルギーが空中に離散する。早い、早すぎる。こっちはまだ、光の具現化もできていないのに!


 宙にいる間は身動きがとれない。流太が大跳躍し迫ってくるのが見えた。


「黒猫拳(こくびょうけん)」


 大きく膨れ上がった黒い光。流太は右拳を振りかざした。


 殺され――


 目をつぶった瞬間、背中から地面に落下し鈍痛が襲った。確かにいま、顔めがけて拳が迫っていたはずなのに。恐る恐る目を開けると、雪の上で大の字になっていた。顔は殴られていない。そばには拳を解いた流太が立っていた。一気に脱力する。


「より実戦に近い形で対人訓練をしてみた。まぁこれが現場なら確実にあんた、死んでた」


 空雄はガバッと起き上がり、流太に詰め寄った。


「すごい! 今の、ぜんぜん反応できませんでした! どうやったんですか?」


「前にも言ったろ。大事なのは、こつをつかむこと。さっきのは黒猫拳。名前の通り黒い光。あんたはまだエネルギーの蓄積と放出のこつがつかめていないけど、体の中で感覚をつかめるようになれば、自在にコントロールできるようになる」


 どんなに優れた職人や戦士にその方法を聞いたところで、結局その人になることはできない。今すべきことは、自分を超えることだ。


 それから空雄はより高い精度で猫拳が使えるよう試行錯誤を繰り返した。流太はシフトに戻り、空雄と対人訓練する時間もめっきり減った。ちゃんとこの拳が使い物になって、流太たちに認められれば、町に出させてもらえるはずだ。他の猫戦士たちがそうしているように。


 過酷を極めた訓練に心が折れそうな時もあった。しかし、シフトが休みの条作や鈴音、時には悟郎とご飯を一緒に食べたり、流太と話したりする中で癒やしも感じていた。確かに現実はつらいものがある。でも、心の支えがないわけじゃない。母や小春たちも月に何度も神社に来てくれるし、空雄と流太が家に行って晩ご飯をごちそうになることもあった。


 ある昼、神社に母と小春がやってきた。その日は流太が休みだったので、猫屋敷でお菓子を食べながら談笑した。小春は毎回流太と会うことを楽しみにしているみたいで、よく2人で話しているのを見ることもあった。


「なんか最近のお兄ちゃん、元気になった。流太さんのおかげだね」


 空雄と母が神社の前に止めた車に荷物を取りに行っている間、小春は居間で寝そべる流太に言った。


「俺はなにも」


「謙遜しないで」


 小春は流太の手を引いて立ち上がると、古びたピアノがある隣の和室に行った。この部屋は普段、猫戦士たちが洗濯物を干したり畳んだりしている場所だ。


「前から気になってたんだけど、このピアノ、誰も使ってないの?」


「ピアノを弾く人なんて、ここにはいない」


「弾いてもいい?」


 流太は目をしばたいた。


「いいよ。でも何を?」

 小春はほほ笑むと椅子に座り、前かまちを開けた。埃が舞い上がって2人ともせき込んだ。


 流太は窓を開け、掃除機を持ってきて埃を豪快に吸い取った。ある程度きれいになって小春は椅子に座り直し、しなやかな指を鍵盤に重ねた。すっと息を吸うのと同時に演奏は始まった。


 滑らかなメロディーが流れ始めると、小春は大人びた顔になった。静かな猫屋敷の中に流れる調律の取れた音。どこか切なく、美しい。小春は両手を使い、肩を揺らし、全身で表現した。


 流太は小春のそばで心地よさそうに耳をピンと立てていた。曲は静かに幕を引き、小春は手を離した。


「曲名はカノン。私がお母さんのおなかにいるとき、よくこの曲を聞かせてくれたんだって」


「永遠に聞いていられる」


「ほんと?」


「葬式の時に流してほしい」


「もう、冗談言わないで」


 小春は頰を膨らませた。


「それくらい、心打たれたってことだよ」


 小春は頰をピンク色に染め、気付かれないように視線をそらした。


「このくらい、また弾いてあげる」


「今なんて?」


「うんん、なんでもない!」


 小春はパッと笑顔になって振り返った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る