第12話 猫を救うこと
ふと流太の言葉が頭をよぎった。
”俺たちも、首をやつにつかまれれば石にされる”
まさか、この男は――
空雄の体は軽々と持ち上げられていた。視界がかすむ中、鳥居を大きく飛び越え跳躍する流太の姿が見えた。一瞬真っ白になった頭の中で、唯一彼の存在が希望の光となって輝いた。長く伸びた黒いしっぽがむちのように揺れる。流太は殴った。
目にも止まらぬ早さで繰り出された右拳からはほのかに黒い光が漏れ、空雄の首に伸びた道夫の手に直撃した。力が抜けた一瞬の隙に、流太は空雄の襟をつかみ鳥居の向こう側に引きずり込んだ。2人は石段の1段目に転がっていた。
道夫は2人の目と鼻の先、鳥居の前に立ってこちらを見下ろした。どうして襲ってこない? 空雄は心臓をバクバクいわせた。男は標的を前に不気味なくらい微動だにしなかった。
「一歩も入ってこられない。鳥居の向こう側には」
空雄は返事もできなかった。全身に力が入らず、目を動かすだけで精いっぱいだ。
「私の白丸」
道夫は幸せそうな顔をして言った。
「久しぶりに再会できたのに、どうしてそんな怖がる。おいで。石にしてあげよう」
この男は異様だ。空雄は自分に憑依した猫の名前を呼び、石に変えてあげるとさえ言う男に、気味悪さを超えた違和感を抱いた。さっきまでの純朴な青年の雰囲気とはまるで違う。
「わざわざ神社の前に来るなんて、あんたはよほどのばかと見える。自分に不利な境目で無知の猫戦士に攻撃を仕掛けるなんて」
「そんなに怒るな、黒丸。きょうは君たちに贈り物をしにきたんだ」
道夫は黒い袋を開けると中身を2人の前に並べた。中から現れたのは、6体の猫の石像だった。腹部がぺちゃんこになった猫、しっぽが切れた猫、それから右目がつぶれた猫もいた。空雄は石のように重たい体を動かし恐怖に目を開いた。
「お前の目的は……なんだ!」
感情的になる空雄とは対照的に、道夫は楽しそうな顔をしていた。石男の存在を初めて知った時からずっと、彼の目的は何なのかと疑問に思ってきた。こうして、実際に石に変えられた猫たちを見た今も。
「猫を救うことだ。言っただろ。私は猫が大好きなんだ。だから傷つけない」
「さんざん生きた猫を石に変えておいて、何言ってるんだ! 全て、お前がしたことだろ。その事実から、逃げようっていうのか。目を、背けようっていうのか!」
「人間には救えない命を、私は救っている。白丸、黒丸。君たちはあわれな存在だ。死後も猫善義王の駒として使われ、人間に憑依している。いつか私が、君たちを楽にしてあげよう」
道夫は2人に背を向けた。
「……て。待てっ!」
空雄はわずかに動く手を必死に伸ばした。道夫は振り返った。何かを言った。けど、口の形を見ても分からなかった。
古びた道路を1台の白い車が通り過ぎる。再び視界が開けた時、そこには誰もいなかった。
猫拳
空雄は流太に担がれ石段を上っていた。
分からなかった。優しそうで、害がなさそうで、仲間だと錯覚するほどの親しみやすさ。空雄は疑いもせず石男である道夫へ近寄った自分の軽率さを恨んだ。
”私は猫が好きだ”
何の迷いもなく放たれた道夫の言葉。それまで空雄は、石男は憎悪を持っているがゆえに猫を石に変えていると思っていた。それがなんだ? 猫を救うため? 言動が一致しない。いや、待て。石に変えられた猫は体が不自由だったり、けがをしていたりする個体。
石井道夫は、不自由な猫たちを石にすることで、苦しみから救っていると思っているのかもしれない。そう思い至った。歪んでいるが、根底には猫への愛がある。だがそれは、いずれ死すべき生命への否定。どんな生き物だって、いずれは老いて死んでいく。彼は言っていた。それは、悲しいことだと。だったらなぜ、不自由な猫だけを?
「流太! 空雄!」
顔を上げると、石段を下ってくるにゃんこ様の姿が見えた。当初見た、あの威厳に満ちた表情とは百八十度違う。今にも泣きだしそうに眉をぐにゃりと曲げ、小さな拳はギュッと握られている。にゃんこ様は階段を一段下りるだけで息を切らし、歩く速度も遅かった。流太は彼女の姿を見た途端、階段を一気に駆け上がって小さな体を支えた。
「無理するなって言っただろ」
「けがはないか? 流太、空雄」
「空雄が首を触られた。でも、石にはなっていない」
胸をなでおろしたにゃんこ様は耳をシュンと下げた。まさか、こんなに心配されるとは思わなかった。
「おぬしの素早い判断に助けられた。流太」
「なに、新入りの面倒を見るのが先輩の役目だろ。それにしても、石男が鳥居の前まで来るとはね。ほら見て、にゃんこ様、やつは見せつけるように猫の石像を並べていった。また上の列に並べなくては」
にゃんこ様は石段の下にある鳥居を悲しそうな目で見た。猫の神様と言われなければ分からないくらい純真で美しい横顔だった。
流太は空雄を部屋に戻すとすぐに出て行った。1人きりになった空雄は、ただ布団の上でぼーっとしていた。今頃流太は猫の石像を広間まで上げているだろう。まったく、さっきは危なかった。首に触られたせいか体が重たい。あのひたりと冷たい手の感覚が首筋にまだ残っている。
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