第10話

 先に駅についた直央くんは、私に謝ろうと思い、駅で来るのを待っていたらしい。


「そしたらさ、千香ちゃんが来たんだ」


 彼の視線は、きれいになった窓ガラスの外に向けられる。


ここからよく見えるその定位置に、やっぱり広太くんが座っていて、そこへ駆け寄るアノ子の姿が見えた。


「俺さ、一回告白して、フラれてるんだよね」


 だけど、その時彼の前に現れたカノジョは、目を真っ赤に腫らし明らかに泣いた後だった。


「それで……。ちょっと話そうって……」


 もしあの時、広太くんが私に声をかけてなくて、そのまま駅に向かっていて、私と直央くんが先に会っていれば、彼はカノジョに声をかけることはなかったんだろうか。


それとも私は、それでもアノ子に惹かれるこの人を前に、また泣いたんだろうか。


「呼び止めて……。本当に、すぐ終わらせるつもりだったんだけど……」


 彼は私にカノジョの話しをしながら、頬を赤らめ恥ずかしげにうつむく。


「勢いでまた告って……。また断られた……」


「はは。千香ちゃんも頑固だね。他に好きな人でもいるのかな」


 直央くんはそれには答えなくて、ため息をつきながらやっぱり窓の外を見る。


「き、協力しようか? どうすればいいのか、やり方分かんないけど……」


 そんな思ってもないことだって、すぐに自分の口から出てくる。


「はは。ありがとう。でも、そういうのはちょっと違うと思う」


「そ、そうだよね」


 話しって、コレ? 


教科書とノートは広げているけど、直央くんはため息をついてずっと窓の外ばかり見ている。


「え……、えっと……」


「女子ってさ」


 直央くんが言った。


「しつこいのって、嫌いだよね。やっぱ」


「まぁね」


「二回も告ったのって、やっぱキモいと思う?」


「嫌な感じじゃなかったら、大丈夫だと思う」


 彼はため息をつき、また何かを考え始めた。


いま直央くんの頭の中にあるのは、昨日のカノジョとのことばかりだ。


「なんて……言ったの? どんな話しした?」


「うん。どこまで話していいのか、ちょっと分かんないけど……」


 彼は話す。


アノ子のことをポツリポツリと。


泣きながら駅の構内に現れたカノジョを、どうしても放っておくことなんて、直央くんには出来なかった。


「こっち来てって、駅の外に出て。どうしたのって聞いた。広太とケンカしてたのは、分かってたから……。あの子、広太に好きって言えないんだ」


「なんで?」


 好きなら好きって、さっさと言えばいいのに。


それで付き合えば、きっと直央くんも……。


「自分のこと、好きじゃないって分かってるからだって」


「でも、そんなの言ってみないと分かんなくない? どうなるかなんて」


「フラれるの、分かってるから言わないんだって」


 なにそれ。


そんなこと、誰だって同じじゃないの?


「でもそれだったら、直央くんだってフラ……」


 慌てて口をつぐむ。


しまった。


ビクリとした私を、直央くんは笑った。


「はは。そうだよ。それでもどうしても言わずにはいられないから、言っちゃった。ダメだって分かってるのにな」


 彼の視線を追って、窓の外を見る。


広太くんの隣にはカノジョが座っていて、やっぱり何かを話している。


「そういうのって、女の子的にどう思う? やっぱムリだったかな」


「いや、だから……」


 そんなの、嫌なワケないじゃない。


「いい……と、思う。私はね」


 直央くんはガバッと身を乗り出した。


「まだ俺にもチャンスあると思う? それとも、さっさと諦めた方がいいのかな」


 彼は真っ赤になっている顔を、恥じることなく私にさらけ出す。


「しつこいとは思ってんの。それは俺も自覚してるし、分かってる。あ……、諦めたくても、諦め切れないのは……どうしようもないよね。そういう気持ちって、いつか忘れられるのかな。どうやったらいいんだと思う?」


「本当だね。どうしたらいいんだろう」


 私はうつむいたまま、もう彼を見ていることすら出来ない。


「その気持ち、すっごいよく分かるよ。諦め切れないの、私も知ってるから」


 だからその顔を、真っ直ぐに上げた。


「私もね、直央くんのことが好きなの。それでこうやって放課後の宿題も一緒にやってるし、ゲームもダウンロードした。少しでも一緒になりたくて、側にいたくて。それは……迷惑だったかな」


 彼の顔が本当に驚いていることに、ちょっとウケる。


「だからさ、言っちゃった。どうしても言わずにはいられなくなるって、こういうことだよね。無理だって分かってるけど、言っちゃダメだって、知ってるけど。困らせようとか迷惑かけようとか、そんなこと思ってなくて……」


 泣きたくないのに涙が流れる。


こんなの本気でカッコ悪いし、女の武器とか思われたくないのに、勝手に出てくるものはどうしようもない。


「はは。ゴメンね。こんなの、ウザいよね」


 急いでそれを拭う。


こんなに必死で笑顔を作るのも初めて。


「別に付き合ってほしいとか、返事が聞きたいとか、そういうことじゃなくって……」


「ゴメン」


 彼の視線は窓の外ではなく、ようやく私に向けられた。


「悪いけど……。他に好きな人がいるから……」


「うん、知ってる! ゴメンね」


 ダメだ。


今日はもう、ここにはいられない。


広げていたノートをバサバサと閉じ、鞄に押し込む。


「ゴメン。今日はもう先に帰るね」


 返事はない。


彼は口元に手を当て、じっと動かない。


ガタガタと立ち上がる。


「じゃ、ゴメン」


 教室から逃げだす。


机に足をぶつけた。


残っていた数人が振り返る。


廊下に出た足がもつれて、それでも何とか動かして、階段を駆け下りる時には、もう涙があふれていて、自分がこんなにも泣き虫だったなんて知らなかった。


早くここから抜け出したい。


靴を履き替えようとして、また靴箱にぶつかった。


ガシャンと大きな音をたて、フワフワしたまま外へ出る。


「彩亜ちゃん?」


 広太くんだ。


隣にはアノ子もいる。


「どうしたの? 大丈夫?」


 カノジョの視線はずっと私に注がれていて、私もそんなカノジョから視線が外せない。


「アイツになんか言われた?」


 違う。


そんなことじゃない。


激しく首を横に振る。


彼の手が私の肩に伸びるのを、カノジョの手が阻んだ。


「だ、大丈夫? 話しなら私が……」


「悪い、千香。先帰る」


 広太くんの手はカノジョを振り払い、私の肩に乗った。誰かが飛び出してくる足音が聞こえる。


「……。じゃあ、そっちは頼んだ」


「え?」


 振り返ろうとする私の背を、広太くんはガッシリ押し進める。


「あっちで話そ」


 校門を出た広太くんは、泣き止めない私の手を引いて歩き出す。


「何があったの。さっきまで普通にしゃべってたでしょ、教室で」


「なんで見てんのよぉ~」


「見えるから見てんだよ」


 絡み合う指先が思いのほか力強くて、彼の背中が記憶より大きくて、もしこのままで許されるのなら、ずっとこのままでもいいと思った。


「ほら。ここならあんまり、人いないでしょ」


 学校から少し離れた所にある、小さな公園だ。


ドサリとリュックを地面に置いた彼は、滑り台を上り下りてくる。

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