ABYSS:4EVA

埜日人

プロローグ/傲慢なる異端者

 火の粉を撒き散らしながら激しく燃え上がる炎が夜闇に包まれた大広場を爛々と照らしていた。

薪の燃えゆく音がこの場にこだまする。


 まさに今一人の少女が火刑に処されんとする場面だった。


 齢19のまだ年端の行かぬ少女は口に猿轡を咥えさせられ、胴体と両手両足を麻紐で丸太に縛り付けられていた。

 端正な顔は歪み、足下から這い登りやがて全身を覆い尽くさんとする耐え難い痛みに悶えている。加えて、白煙を吸って息がしずらいのか金魚のように口をしきりにパクパクさせていた。

 つん、と鼻を突く異臭が空気を伝播し、思わず火刑を見届けていた二人の修道士の内の片方が鼻を指でつまんだ。

 その男は少女と歳もあまり変わらぬまだ新人の修道士だった。

 処刑の後見人としての初仕事が自分よりもふたつほど幼い少女の火刑とは惨いことをするものだ、と横の上司を見やる。

 しかし上司の顔は今まで見たことがないほど赤く激昂しており、とても話をできる雰囲気ではなかった。

 少女はただ呆然と己が皮膚の焼け爛れる様を眺めていた。


 「この憎き異端者め、まだその罪を悔い改めぬと云うのか」


 低く唸るような憎悪を孕んだ声色。上司の声だった。

 思わず新人の顔が曇る。

 何故ならば上司はこの少女に妻子を殺されていた。

 少女は戦争大罪人であった。

 神の声を聴いたという妄言を吐き、女の身でありながら、信徒の身でありながら戦場へ赴き罪なき民の大量虐殺を行った異端者である、と先日の魔女裁判にて判決されたのだ。

 しかしその判決とは裏腹に民衆の間では少女を称賛する声や崇拝する声が多く挙げられた。皆口を揃えて「彼女は魔女ではない。神に選ばれた奇跡の聖女である」と言い、中には武装した者が教会を襲撃するという事件もあった。

 そのことを考慮してか、民衆に処刑を邪魔されることがないように宵のうちに執行することが決まった。それでも炎の明かりに気付いた近辺の者たちが様子を伺いに来るであろうと想定はしていた…が、誰一人としてこの広場に足を運ぶ者はいなかった。住居の窓から溢れるランプの明かりはあるのに、未だ物音や喋り声の一つすら聞こえない。

 何かがおかしい。

 新人の修道士はその違和感を伝えようとしたものの、その声よりも上司の指示する声の方が早かった。


 「…おい油を足しに行くぞ。薪だけじゃ火力不足だ。」

 「は、はい。」


 なにか良くないことか起こるのではないかという小さな不安を抱えつつ、新人の修道士は上司の手から油が入ったバケツを受け取ると、共に少女の側へと歩みを進めた。

 近づくほどに異臭は鼻を刺激し、焼け爛れた肌は更に鮮明に目に映るものだから内心たまったものではなかった。

 まだ少女に息があるのが不思議な程、本当に酷い有様であった。

 ふいにその顔を見た時、一瞬だけ目が合ったような気がした。


 「さっさとしろ、お前も魔女と一緒に焼かれたいのか」

 「すっすみません。今終わらせますので」


 だがこれも仕事であり上司な命令も絶対である。新人の修道士はバケツの中の油を一気に注いだ。と同時に火の勢いは増し、少女の身体は完全に炎の海に包まれた。


 「グオオォォォ、ゥグァァァァァァ」


 獣のような悲鳴が細身の身体から発せられる。

 あまりの恐ろしさに新人の修道士は耳を塞いだ。

 正に断末魔と呼ぶに等しいものであった。

 少女は悲鳴を上げたあと一声も発しなくなり、力尽きてしまったのか首はぐにゃりと項垂れてしまった。

 その様子を合図に上司は腰のベルトに結び付けられていた携帯用のミニボトル(中身は濃度の高い酒と思われる)を手に取ると、口をつけ呷るように飲み始めた。仮にも火刑の後見人という職務中にもかかわらず、中々大胆な所業である。更にはゲラゲラと笑い出すものだから、横で見ていた新人の修道士は思わず顔を顰めた。


 「いいんですか?職務中に酒なんて」

 「いいんだよ。それになぁ…俺はようやくアイツらの報いが打てたんだ、その祝杯を上げないでどうする。」

 「…そうですか」

 「ほらお前も飲めよ」


 上司は同じく腰のベルトに結び付けられた携帯用のミニボトルを指差す。新人の修道士の口からため息が洩れた。新人の修道士は素直にボトルを手に取り、上司が持つボトルに合わせた。


 「それじゃあ、我が妻と娘、罪なき民衆への弔いに乾杯…」


 上司の声に合わせて「乾杯」と口にしようとした時、ミシミシという木が裂ける音とともに少女が縛り付けられていた丸太が根本付近から折れた。異変に気付いた二人はお互いに差し出していた手を引っ込めるとすぐさま少女の遺体の元へと近づいた。

 未だに火は燃え続けているものの、油を加えた直後よりも勢いは弱まっていた。そんな中で丸太が折れるなんて果たして有り得るのだろうか。丸太は表面だけ黒く焦げていたが、中身が燃えた様子はない。先程まで感じていた不安がまた新人の修道士を襲った。


 「やっぱり変ですよ。死亡確認も済んだことですし、早く帰りませんか?」

 「なんだ、ビビってるのか?」

 「いやそんなんじゃなくてですね…」

 「ガハハ!!まぁいいさ。このくらいの炎ならすぐ鎮火するだろうしなぁ。俺も早く帰って酒盛りをしたい。」


 つくづく自分の欲に忠実な上司である。このような人間が修道士なんて世も末ではあるが、酒好きの聖職者たちも少なくないと聞く。それもこれもあの“大穴”の発現をきっかけに教会側が“魔法導師”なるものを聖職者の一員として雇い始めたせいなのか。ある程度の規律が弱まったのも多分それが原因ではあるが。

 新人の修道士はそんなことを考えつつも、上司が踵を返し「帰るぞ」と言うので後に続いた。

 振り返りざまに少女の死体を見てみたが、両目には白く濁りが混じっていた。肌は所々が白くなったり黒くなったりしており、身体いっぱいに広がる大小の血疱がとても痛々しかった。やはり見るべきではなかったと後悔した。だがこれから先も後見人の職務があるのであれば慣れなければならないと思うのであった。


 「はぁ…重労働をしたわけでもないのに疲れた気がします。」

 「新人の頃なんてそんなもんさ。俺が若い頃なんてなぁ……ッ?」

 「…?どうかされましたか、?!」


 上司の声が途切れたので横に視線をずらした時、何故か上司の腹部には槍が刺さっていた。意味がわからない。頭の中は疑問符で埋め尽くされ一瞬にして真っ白になった。腰が抜け尻もちをつく。

 砂利を踏みしめる足音と鉄製品の擦れる重厚な音に女性の笑い声が重なる。


 「クハハハハッ!!」


 どこか狂気を孕んだ声色に、その声の主を視認してしまうことに恐怖を覚える。が、新人の修道士が視線を動かすよりも、声の主が視界に侵入する方が早かった。

 あぁ、やっぱりだ。

 頭の端に存在していた考えは当たっていた。

 声の主は先程死亡を確認した少女であった。その肌にあった痛々しい火傷痕はまるで嘘だったかのように消え失せ、全身は漆黒の鎧に包まれていた。

 少女が上司の腹部に突き刺さった槍を勢いよく引き抜くと、その口から大量の血液が吹き出す。力が入らなくなってしまったのか、膝から崩れ落ち地面に倒れ込んでしまった。

 少女はその様子をさぞ嬉しそうに眺めると、もう一度上司の身体に槍を突き刺した。何度も何度も、弄ぶかのように突き刺した。その度に臓器を抉るぐちゃぐちゃとい耳障りな音がこだまする。

 少女の口角は上がり快楽に歪んだ表情をしていた。それがあまりにも恐ろしくて、新人の修道士は二人を背に勢いよく逃げ出した。

 どうしたって上司は助からないだろう。であれば最優先は自分の命であり、どこか身を隠す場所を探さなければならない。幸いにも広場が近いこともあり少し奥まった路地を見つけた。

 丁度よく体が隠れるサイズの木箱もあり、身を隠すように体育座りの体勢で座り込んだ。先程の光景がフラッシュバックして口元を手で抑え込む。新人の修道士の顔は今にも嘔吐しそうな程青ざめていた。


 「ッング!!…ゲホッゲホッ!!」


 胃酸が逆流したのか、はたまた走りすぎたせいなのか喉が焼けるように熱い。口元に当てていた手を下にずらし喉を摩ったとき、僅かにピリッとした感触があった。どこかで手を怪我したのかと掌を見た時、何故か指先には炎が揺れていた。


 「…へ?」


 己の喉元が発火しているではないか。

 冷や汗が流れ始め更には呼吸が乱れる。遠くからはガシャンガシャンという悪魔の足音が近付いてくる。

 最後の抵抗だとばかりに、ガシガシと喉を掻きむしって火を消そうとするが、徐々に炎の温度が上がり痛みが伴ってくる。

 もう終わりだ。

 ふと木箱の影から頭部をのぞかせて大通りの方を見た。ヒュッ、という声にならない叫びが喉奥で鳴る。そこには真顔のままこちらを睨みつける少女がいた。


 「…主よ、どうか贖罪の炎を彼にお与えください」

 「待っ待て。俺は後見人の仕事として」

 「お黙りなさい。貴方は大罪を犯したのです。であれば、その贖罪を行うのは修道士として当たり前のことではないのですか?」


 全く話が通じなかった。


 「異論はありませんね。では主よ、お願いいたします」

 「ゥグァァァァァァ!!やめろ、やめてくれ、頼むから、火を、消、し、て、ゥグァァァ!!」


 発狂。

 一瞬にして炎の勢いは増し、数秒後には炭と化した修道士だったものが、ただの塊としてそこにはあった。

 その光景を見届けた少女は路地から立ち去る。鉄製の鎧を纏っているはずなのに足取りはやけに軽かった。


 「あぁ光栄ですわ。もう一度貴方様のお声を拝聴する機会を頂けるなんて。主よ感謝致します。」

 「……」

 「そんなこと仰らないでください。私の魂は主と共にあるのです。貴方様が望むのであれば、私はどのようなことでも必ずや成し遂げてみせますわ。」


 気分が高揚しているのか、少女はやがて鼻歌を奏で始める。


 オルレアンの乙女と呼ばれしかつての英雄の鼻歌は続く。

 どこまでも、どこまでも遠くまで。

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