9 エカチェリーナは生きている?
「ちょっと、平民さん? あんた入学式で泣いていたでしょう? 恥っずかしい~!」
「王太子殿下に見惚れていたわよ、この子」
「平民が王太子殿下のお言葉を聞くなんて生意気だわ」
式典が終わって教室に戻ると、すぐさまグレースたちが私を取り囲んだ。
私は否定しようと思ったがもうその気力もなく、なによりビーツのように赤く腫れた目は誤魔化せるわけがなく首肯するより仕方なかった。
「そうね……生まれて初めて王子様なんて身分の高い方にお目にかかれたから感動しちゃったわ」
「まぁっ! なんて図々しいの!」
「あんた、今日はたまたま王太子殿下のお姿を見ることができたけど、本来なら平民は王族の前では顔を上げたらいけないのよ?」
「わ、分かってるわよ……」
そう、私は平民。王族が目の前を通ったら過ぎ去るまで頭を下げ続けなければならない立場なのだ。 そんなこと、重々承知よ。
意気消沈した私の様子をグレースはじろじろと見てからプッと吹き出した。
「なに、あんた、もしかして王太子殿下に一目惚れしたの? でも残念ね。殿下には素晴らしい婚約者がいらっしゃるのよ?」
「こ、婚約者……!?」
不意の衝撃で頭がガツンと殴られた気分だった。
ついにこのときが来たか……と、私は愕然とした。矢庭に指先が冷たくなって震えが止まらなくなる。
でも、これは当然の流れだ。一国の王太子が婚約者がいない宙ぶらりんの状態のままなのは非常に宜しくない。だからすぐに新たな婚約者ができるのは仕方のないことなのだ。
「あら? あんた、本当に王太子殿下に惚れちゃったの?」グレースはくすりと笑って「平民が愚かだわぁ! ほら、帝国人ならあんたも知っているでしょう? 王太子殿下にはエカチェリーナ・ニコラエヴナ・アレクサンドル様という立派な婚約者がいらっしゃるのよ!」
「えっ……!?」
私は目を丸くした。
ど……どういうことかしら? 私たちは既に婚約解消になったのよ。連邦国から遠いリーズ王国にはまだ情報が届いていないのかしら?
「皇女殿下は死亡したから婚約は解消になったんだが……」と、セルゲイが口を挟む。
「はあぁ? あんた、帝国の高位貴族のくせになにも知らないの?」
「帝国じゃない。連邦国だ。……皇族はもういない」
「ふぅん。ま、どちらでもいいけど。いいこと、無知なあんたたちに教えてあげるわ。皇族の中でもエカチェリーナ様だけは死体が見つかっていないの。だから皇女様は今もどこかで生きているのよ!」
「皇女殿下の死亡は連邦政府より公式に発表されている」
「そんなの、本当かどうか分からないわ」
「公式では事実だ」
「はぁ? だって王太子殿下は今もエカチェリーナ様を探しているのよ。先日は長期休みを利用してはるばる帝国にまでご自身で捜索に行かれたらしいわ!」
「えっ……フレデリック様が……?」
私は動揺を隠せずに震え声で呟いた。
では、あのとき出会ったのは私を探しに行く途中だったの? わざわざ遠い連邦国にまで来て下さったの?
「ちょっと平民! 王族の名前を口にするなんで無礼よ! ちゃあんと王太子殿下とお呼びなさい!」と、グレースが怒鳴る。
「あ……ご、ごめんなさい……」
「全く。これだから礼儀を知らない平民は。いいこと? 王太子殿下にはエカチェリーナ様がいらっしゃるんだから、馬鹿な考えはおよしなさいよ!」
「本当、身の程知らずな平民」
「無様ね、平民」
グレースたちは勝ち誇ったように高笑いをしながら去って行った。
「ねぇ、セルゲイ。私とフレデリック様は婚約解消になったのよね……?」
放課後、私はとぼとぼと寄宿舎に向かいながらセルゲイに聞いてみた。
彼は少しの沈黙のあと、
「……あぁ。父上からは皇女の死亡により婚約は正式にお断りしたと伺っている。リナも副大統領から聞いているだろう?」
「えぇ。アレクセイさんからもそう言われたわ。だから、もう諦めたの。でも……」
「自分が皇女だって名乗り出るか?」
セルゲイまっすぐに私を見つめて問うた。その瞳は私の不安を表しているみたいに、憂いを帯びるように悲しく夕日を映していた。
私はその黄昏に吸い込まれるように彼を見つめ返した。
「いいえ……」目を伏せて、おもむろに首を横に振る。「アレクセイさんと約束したもの。絶対に正体を明かしてはならないって」
「そうか……。たしかに今、皇女が生存していたと分かったら色々と不味いかもな。新政府に移行して間もないから国内情勢も不安定だ。また内乱が起こる可能性もある」
「そうよね……。そうなると、また国民が苦しむわ。そんなの、私は望まない」
ぎゅっと胸が痛んだ。革命では多くの国民の命が犠牲になった。自分のせいでまた同じことが起こるなんて絶対に嫌だ。
「済まない」と、出し抜けにセルゲイは私に頭を下げる。
「えっ? なによ、いきなり。頭を上げて!」
私は彼の肩を掴んでそっと上に持ち上げた。
「俺は全く君の力になれていない。いくら高位貴族の称号を持っていても俺は無力だ」
「そんなことないわ! あなたは今の私の心の支えよ! お友達になってくれたし、セルゲイがいなければきっと今頃グレースたちにやり込められていたわ。いつもありがとう」と言うと、彼は肩を竦めてふっと力なく笑った。
赤い夕日の光がどことなく寂寥感を運んできた気がした。
「それにしても……まさかグレースが皇女殿下のことを慕っているとはな!」
しばらくして寂しげな空気を打ち壊すように、セルゲイは今度は打って変わって私をからかうようにおちゃらけて言った。
「もうっ! からかわないでよ! と言うか、私もびっくりしたわ。なんであんなに私に肩入れしてくれるのかしら?」
「それは皇女様の評判が良かったからだろう」
「あぁ、慈悲深くてお優しい皇女様、ってやつね……」と、私は自嘲した。
皇女時代、私は慈善活動に力を入れいていた。
それは幼い頃に皇族の教育の一貫で孤児院や貧困街の視察に行ったことがきっかけだった。
骨と皮だけの髑髏のような肉体に、もう衣服とは言えないボロボロの薄汚れた布切れを纏っている人々。虫だらけの異臭漂う壊れかけのあばら家。その凄惨な光景に衝撃を受けた私は彼らを救おうと一生懸命励んだ。
でも、今思えば暇を持て余した皇女の遊びだったのかもしれない。私は彼らのことを思っていたのではなくて、忙しく慈善活動をしている自分が好きなだけだったのかもしれない。
実際に自分が平民になって、気付いたことが多くある。これらは皇族のままだったら絶対に見えなかった面だ。上から目線で与えるだけではいけなかったのだ。
「そんなに自分を卑下することはない。実際に皇女殿下は処刑しないでくれって嘆願書が提出されたくらいだ」
「えっ? そうなの?」
「副大統領から聞いていないのか? あれがあったから君が生かされたのだと思ったのだが……」
「アレクセイさんからはなにも」
私は目を丸くした。そんな話、初耳だわ。でも、なんだか嬉しいかも……。
セルゲイはニコリと笑って、
「それだけ皇女殿下は慕われていたんだよ。君がやってきたことは無駄じゃない」
「うん……ありがとう」
寄宿舎の夕食は貴族の子女のために作られただけあって質が良くてとても美味しかった。
ただ、見知らぬ令嬢からスープにべしゃりと水を掛けられた。
全く、どこの貴族か知らないけど食べ物を粗末にするなんて……アレクサンドル皇家みたいに滅んでも知らないわよ。
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