第17話

 

 北の地は冬になれば雪と氷に閉ざされた極寒の地に変わる。気候の良い今の時期は、森や草原にも緑が茂り、わずかばかりの実りももたらしてくれる。

 そんな地にある修道院は、いわゆるわけありの貴族令嬢が赴く場所ではなく、本気で修道女になる覚悟を持った女性が目指す場所だった。

 規則は厳格に決められており、むやみに面会は叶わない。

 しかし、その分その身を守るには十分すぎるほどの砦となってくれる。



 レイモンドは馬を走らせながらアリシアの想いを受け止めていた。

 自分だけでは無かったと。あの日、名を呼んだあの想いは届いていたのだと。

 そして、彼女もまた自分を少なからず想っていてくれていたことが嬉しくて、それなのに守ってやれなかった自分が情けなく、腹立たしかった。

 このまま進み、もし会えたとしても修道院入りを止めることはできないことはわかっている。

 それでも、一目その姿を見て元気でいることを確認できたなら。声が聞けたなら。それだけで心から嬉しいと思えるだろう。

 

 途中、騎士隊で馬を変えながら休まずに馬を走り続けたレイモンドも、流石に疲労は滲み出てくる。馬の背に揺られながら記憶が飛びそうになる自分を、少しばかり痛めつけることでなんとか落馬せずにいられた。

 そんな風に走り続けて二回目の朝を迎えた頃、見覚えのある黒塗りの馬車をみつける。

 どこかで見たことがあるはずだ。と、記憶をたどれば、バルジット侯爵領地の宿で見かけた馬車に思い当たる。

 あれはやはりアーサーの手の者が使用する馬車なのだろう。だとすればすぐそばにアリシアの馬車もいるはずだ。

 レイモンドは黒塗りの馬車に見つからないように、茂みに隠れながらゆっくりと馬を走らせた。

 すると、少し離れた先に馬車が二台。その周りに護衛であろう者達が馬に乗り並走している。

 あの中にアリシアが? レイモンドは飛び出して行きたい気持ちを抑えつつ、様子を伺う。しかし、どうやっても黒塗りの馬車の目を搔い潜ることは難しい。ならば、正々堂々会いに行こう。彼女は修道院に身を寄せるが、まだ貴族の籍を抜けたわけではない。未だバルジット侯爵令嬢である。その父である侯爵から許しが出ているのだ。

 何も恐れることは無い。レイモンドは覚悟を決めた。


 勢い、馬を走らせ黒塗りの馬車を追い抜くと、すぐにアリシアが乗っていると思われる馬車の前に立つ。突然の怪しい男に護衛達の手が剣に置かれる。しかし、レイモンドは丸腰だ。

 馬から降りると、

「バルジット侯爵令嬢、アリシア様の馬車とお見受けいたします。私は騎士隊副隊長、レイモンド・オーサー。アリシア様にお会いしたく、侯爵殿からの許しはいただいております。

 どうか、私の声が聞こえましたなら、そのお姿を一目、一目だけでも……」


 馬車の窓から並走する護衛に声がかかると、馬から降りた護衛が馬車の扉をゆっくりと開け始めた。足台を置き、中に伸ばされた手を頼りにゆっくりと姿を現したその人は、夢にまで見た『白百合の君』、アリシアであった。

 少し痩せたその姿も以前と変わらず美しく、嫋やかで輝いていた。


 レイモンドはアリシアの元に駆け寄るとその手を取り、

「やっとお会いできました。あなたがお元気でいるかどうか、それだけが気がかりで。

 少し痩せられましたね。大丈夫ですか? そばでお守りできなかったこと、どうかお許しください」

「レイモンド様。私よりもあなたの方が心配です。とても疲れていらっしゃるようですわ。無理をなさらないでください。私はどこにいても、レイモンド様に守っていただけているとわかっております。こうして会いに来てくださったこと。生涯忘れません」


 握られた手を強く握り返すアリシアの手が、小刻みに震えている。

 レイモンドは堪らずアリシアをその胸に抱きしめてしまった。

 一瞬驚いたアリシアだったが、すぐにその手はレイモンドの背に回され、彼の胸にその身を沈めるように身を任せた。


「いつか必ず会いに行きます。あなたを諦めたりは決してしないと誓います。

 だからどうか心穏やかに過ごし、私を信じて待つと言ってください。その言葉があれば、その言葉だけで私はどんな苦難にも耐えられる」

「レイモンド様。私は最初からあなたを信じております。あなただけを、あなただけにこの想いを誓うと約束いたします」


 レイモンドはアリシアの髪に手を置き、ゆっくりとその艶やかな髪を撫で上げた。

 見つめ合うふたりに言葉はいらない。いつしか自然にその影が重なりそうになった時。

 馬の嘶く声と共に、馬車の車輪の音が聞こえて来た。

 反射的にアリシアの身を背に隠すと、レイモンドはその音の方向に顔を向ける。


 先ほど見つけた黒塗りの馬車がすぐそばまで来ると、中から男たちが降りて来た。

 剣を携える者もいたが、明らかに高位貴族風の男が前に進み出てレイモンドを下から舐め上げるように睨みつけて来た。その目は気味悪く、嘲るように弧を描いていた。


「あなたが『白百合の君』の周りをうろちょろするお方ですか? 名は確かレイモンド・オーサー殿……でしたか? 騎士隊副隊長と聞き及んでおりますが、そのような方がこのような地に何の用事でいらっしゃったのか? ぜひともお聞きしたいところではありますが。生憎、そんな時間は用意しておりません。一刻も早く『白百合の君』を修道院にご案内し、我が主にご報告をせねばなりません。あなたの相手をしている暇はないのですよ!!」


 黒髪に黒い瞳。貴族令息らしいいで立ちで、まだ若く見えるその男はレイモンドをひと睨みすると馬車に同乗していた男に目をやった。男はレイモンドの前に立ち、その腰にある剣に手を乗せていた。丸腰のレイモンドもさすがに敵うわけはない。


「お前の主に言ってやるがいい。俺はアリシアを攫うつもりはない。彼女が自らの意思で修道院に入ると決めたんだから、俺は彼女の意思を尊重する。それを止める権利は誰にもないはすだ。たとえ元婚約者であってもな」


 レイモンドの言葉に黒髪の男は一瞬ピクリと眉を上げた。だが、その表情が崩れることはない。

 さすが一国の王子が使うだけのことはある。細い体の線をしているが、剣の腕もそれなりなのだろう。自分の身は自分で守れるほどには。


「面白い事をおっしゃる。攫うつもりが無い方がなぜ彼女の手を取り、その身を腕に抱え込むのか? 我々の足が遅ければ、今頃その唇が合わさっていたというのに?

 この事、我が主に報告させてもらいます。如何様な事になろうとも、己の行動の責任は自分で受けるがいい」


 男が言うか早いか、木立の影がガサリと音を立てると馬の蹄の音が聞こえてきた。

 剣を腰に差した男が馬を操り走り去って行くのが見える。

 きっと物陰からずっと見ていたのだろう。何かあれば躊躇なくこの命切り捨てるまでに躾けられた者たち。アーサーの恐ろしいまでの執着を感じた。


 レイモンドの背に隠されていたアリシアが、その背から身を乗り出し

「あなたの主とやらにお伝えください。私の心はここにいるレイモンド様の物。たとえ何があろうとも、あの方の物にはなりません。レイモンド様にもしもの事があれば、私は自らの手でこの命散らす覚悟でおります!」


 アリシアは震える足を踏ん張りながら、やっとの思いで啖呵を切った。

 レイモンドはその肩を抱き、震えるその手を握りしめると、その髪にそっと口づけた。




 血を流したくはないと言うアリシアの願いで、レイモンドはその場を離れ王都へと向かった。せめて修道院に無事着くまではと言う懇願も、彼女は受け入れてはくれなかった。

 レイモンドがここに残れば必ず血を流すことになる。自分を守り付き従ってくれる護衛や従者、メイド達に危害が及ばないとも限らない。

 このまま戻り、父侯爵に無事を伝えて欲しいと、レイモンドの手を取り諭すように告げられた。彼女の思いを無下にするわけにはいかない。

 レイモンドは彼女の意をくみ、その馬車が見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた。


 急ぎ王都に戻り侯爵にアリシアの思いを伝えると、侯爵は安堵したように頷き、夫人は涙を流し謝意を示してくれた。

 アリシアとの間を繋ぐものは消えてなくなったように見えるが、その分心は温かく、今まで以上に彼女を近くに感じることができる気がしていた。


 アリシアも同じ想いでいてくれることを、唯々願わずにはいられなかった。



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