第3話
レイモンドの手からこぼれるようにグラスが落ち、パリンッと音を立てて砕け散った。
そのままゆっくりと床に吸い込まれるように、レイモンドの躰がスローモーションのように倒れていく。
「副隊長様!」
アリシアが倒れるレイモンドのそばに駆け寄り、その大きな体を支えようと手を伸ばす。
しかし、貴族令嬢の腕力では騎士の鍛え上げられた体を支えることは難しく、一緒に床に倒れ込んでしまった。
酔ったふりをしていたレイモンドもとっさに「アリシア様」と、白百合の君の名が口から漏れてしまう。
咄嗟の事とはいえ、アリシアに覆い被るようになってしまい、お互い固く身を縮め動くことが出来なくなってしまっていた。
周りの者も助け起こそうと手をさしだそうとした時、アーサーが大声を張り上げた。
「アリシア! 貴様、俺と言う婚約者がありながら騎士ごときに躰を預けるなど許されると思っているのか! この阿婆擦れが!!」
わなわなと握りしめた手は興奮のあまり震え、その顔は酔っているとはいえ赤く煮えたぎるようだ。
違うのだと、勘違いなのだと言っても聞き入れてはもらえない。
終いには、婚約破棄まで宣言されアリシアは黙って俯くしかなかった。
酔った足をふらつかせながら練習場を後にするアーサーを、第一隊の隊長がレイモンドに目配せをし護衛として側に付き添った。
酔ったふりをしていたレイモンドは「殿下にご説明を」、そう言い残しアーサーを追いかけようとした。
立ち上がろうとするレイモンドの腕を掴んだのは、アリシアだった。
「酔いのせいで、今は何を言っても納得されないでしょう。明日お会いして、もう一度話し合いをしたいと思います」
「しかし、それではアリシア様にご迷惑が。元々はこんなバカな事を思いついた私の責任です。私が責任を取って罰を受ければ済む話です」
レイモンドは床に座り込んだままのアリシアの肩を掴むとその場に立ち上がらせると、
「アリシア様。勝手をすること、どうかお許しください」
レイモンドはアリシアに騎士の一礼をすると向き直り、アーサーを追いかけようとしたその時、
「なあなあ、総隊長殿が酔っ払って歩いていたけど、なんかあったのか?」
この場に似合わぬ間抜けな口調で話しながら、隊長のデリックが練習場に入って来た。
緊張の糸を破るような彼の存在に、声を出すことも出来ずに立ち尽くしていた隊員たちも少しだけ正気を取り戻したようだった。
「え?白百合の君? どうしてあなたが? あ!殿下と一緒だったんですね?
本日は楽しんでいただけましたか?」
憧れの人を前にデリックは満面の笑みでアリシアに語りかける。
「隊長様。本日はとても楽しい時間を過ごさせていただきました。
殿下もお下がりになられたことですし、私もそろそろお暇したいと思います。
本日はありがとうございました」
淑女の礼をするとアリシアはその場を後にした。
その姿は凛として美しく、彼女の貴族令嬢としての矜持はどんな時も揺るぐことはないのだと、その場にいた者は皆思った。
「アリシア様、私がご案内することをお許しください」レイモンドの問いかけに
「副隊長様、私の護衛など必要ありません。あなたは酒に酔い潰れておられたのではないのですか? 守る相手を間違っておられます」
アリシアはレイモンドをひと睨みすると、一人去って行った。
レイモンドはその後ろ姿に小さく息を吐くと、すぐに女性騎士に護衛をするよう指示をだす。
そんな二人の姿を右に左に交互に見ながら、デリックが「何があったんだ?」と、つぶやいた。
アーサーとアリシアが去り、練習場の後片付けを騎士たちがしている中、執務室にデリックとレイモンドの影が二つ。
レイモンドから事の流れを聞いたデリックは腕を組み、天を仰ぎながら考えていた。
この事態の解決策を、着地点をどこにもっていくか、じっくり考えるも答えが見つからない。
「とりあえず、明日になったら行動に移すが、どうしたもんかな?」
「全て私の責任です。全ての罰は私が受け、あの方にご迷惑がかからないように何とかするつもりです」
「何とかって、どうするつもりだ? どうにもならんだろう?」
「いざとなれば、私の命に代えてもお守りしなければならない方です。あの方を、バルジット侯爵令嬢の幸せを奪う事だけは何としても……」
レイモンドは血がにじむほどに両手を握りしめ、苦し気な声で答えた。
「隊の出来事は隊長の俺の責任だ。お前が命をかけるなら、俺も死ななきゃならんだろうが。俺、まだ死にたくないからさ。違う方向で頼むわ」
デリックはいたずらっ子のような顔で笑った。
「想う気持ちも拗らせ過ぎたら何にもならん。せめて、酒に酔って覚えてないとか言ってくんないかなぁ?」
デリックの臣下としての本音が漏れた
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