第23話「巫女姫、霊獣の力を解放する」

 ──零視点れいしてん──




 俺たちはそのまま、鬼門の関所に向かった。

 兵士長は縛り上げて、そのまま連れて行くことにした。奴は副堂ふくどう沙緒里さおりのしたことの、貴重な証人だからだ。


 兵士たちは、俺たちに同行することを選んだ。

 彼らは皆、病気の子どもがいたり、年老いた家族がいる者たちだ。だから州候代理には逆らえなかったんだけど、でも、状況は変わった。


 州候代理と沙緒里──副堂親子は怪しい儀式を行い、魔獣を暴走させた。

 彼らは紫州を乱そうとしている。

 そんな連中に従い続けていては、逆に家族が危険になる。

 兵士たちは、そう考えたみたいだ。


 そうして俺と杏樹あんじゅ、執事の杖也老じょうやろうに小間使いの桔梗ききょう、『柏木隊』と兵士たち、それに商人の娘の須月茜すづきあかねを加えた一行は、鬼門の関所をめざしたんだけど──







「……ひどいな……これは」


 鬼門きもんの関所には誰もいなかった。

 あるのは、争った跡だけだ。

 地面には血の跡があり、黒い体毛がちらばってる。


 体毛は漆黒しっこく猿猴さる──【コクエンコウ】のものだろう。


 死体はない。

 兵士たちは早々はやばや撤退てったいしたのかもしれない。

 州候代理のせいで兵の数が激減げきげんしたからな。多勢たぜい無勢ぶぜいなら、しょうがないよな。


「これからどうなさいますか。お嬢さま」


 杖也老じょうやろうは言った。


「このまま関所を越えて鬼門きもんに入りますか? 村に戻り、周囲の村々から兵を集めるという手もございますぞ」

「関所の向こうに行かれるなら、オレが案内できます。ただ、どこが安全なのかは……わからねぇですが」


 柏木さんも戸惑とまどったような表情だった。

【柏木隊】の人たちも、兵士たちも同じだ。


 関所は無人。なのに戦いの痕跡こんせきは残っている。

 町の灯りはほとんど見えない。

 わずかに見える光も、人間のものか、魔獣が放った火なのかわからない。

 この状況じゃ、みんなが不安に思うのも当然だ。


 その上、日は暮れかけている。

 先に進むのか、戻るのか、すぐに決める必要があるんだ。


「皆の不安はわかります。では、少しお待ちください」


 杏樹は、皆を見回しながら、そう言った。

 表情にはゆとりがある。

 彼女は俺に向かってうなずき、優しい笑顔を浮かべて、


「まずはわたくしが、周囲の状況を確認いたします」


 杏樹が言うと、周囲に光の精霊『』が集まり始める。

 彼女は目を細めて、精霊たちに語りかける。


「周囲を見てきてください。安全な場所……あるいは、皆が避難している場所を見つけてきて欲しいのです」

『『『ふるふる、ふるふる!』』』


 うなずくように、光の精霊『』たちが震えた。

 彼らは勢いよく、四方八方へと飛んでいく。

 薄闇うすやみの中、花火のように光の点が、ばらけて、遠ざかる。


 それを見ていた杖也老じょうやろうは、不思議そうに、


「お嬢さま。『』は1文字の精霊ですぞ。戦闘能力はないはずでは?」

「はい。ですが、あの子たちはわたくしの目になってくれるのです」


 杏樹は狐の霊獣『四尾霊狐しびれいこ』を抱きながら、そう言った。


「『灯』は光の精霊です。なので光を発して……暗闇の中でも、周囲の光景を見ることができます」


 杏樹は、皆を安心させるような口調で、


「そして、彼らは霊獣れいじゅう『四尾霊狐』の眷属けんぞくです。つまり、『四尾霊狐』を通して、わたくしは精霊たちと繋がっていることになります。ですから、『灯』の精霊が見た光……光景を、わたくしも見ることができるのです」

「なんと!?」

「そ、そんなことができるんですかい!!」

「はい。できるのです」


 杏樹はうなずいた。


「今まさに、わたくしには『』の周辺の風景が見えております。鬼門の周辺でなにが起きているのか、ながらにして知ることができるのですよ」

「「「………………」」」


 杖也老も、柏木さんも、衛士の人たちも絶句ぜっくしてる。

 うん。まぁ、びっくりするよね。


 前世の知識で例えるなら、杏樹は、無数のカメラつきドローンを飛ばしているようなものだ。それらが送ってくる映像を、彼女は頭の中で見ている。

 前世の知識がある俺は別として、この世界の人たちは驚くよな。


『隠された霊域れいいき』には、たくさんの精霊たちがいた。


 光の精霊『』。

 水の精霊『ほう』。

 風の精霊『ハレ』。


 そのすべてが『九尾紫炎陽狐きゅうびしえんようこ』の眷属けんぞくだった。

『九尾紫炎陽狐』は彼らの視覚や聴覚を借りて、まわりの状況を把握していたんだ。


 その子どもである『四尾霊狐しびれいこ』と契約した杏樹は、同じ力を使うことができる。ついでに言うと、俺も。共同契約の副作用として。


 杏樹ひとりで数十体の分の視界をチェックするのは大変だから、ちょうどいいんだけど。


「杏樹さま」「零さま」


 俺と杏樹の声が重なった。

』を通して、同じものを見つけたからだ。


 それから杏樹は、柏木さんの方を見て、


「柏木さまにうかがいます。関所の近くにとりでがありますが、そこまでの道はわかりますか?」

「なんと!? ほ、本当に、見えてらっしゃるとは!?」

「柏木さま?」

「あ、はい。砦までですな。もちろん、道案内できますぜ!」

「お願いします。そこに兵と民が避難しているようです。合流いたしましょう」

「が、がってん承知しょうち!」

「もうひとつうかがいます。その砦に祭壇さいだんはございますか?」

「はいはい! お正月に来たとき、新年の儀式をやってるのを見たことがあります!」


 声を上げたのは、商人の娘の須月茜すづきあかねだった。


「砦は大事な防御拠点だから、結界を張れるように祭壇さいだんがあるそうです。父さんが言ってました!」

「ありがとうございます。茜さま。では、すぐに向かいましょう」


 そう言って、杏樹は俺の方を見た。

 巫女服姿みこふくすがたのまま、ゆっくりと近づいてくる。

 俺に、指示を出すために。


 俺と杏樹は『四尾霊狐しびれいこ』を通して繋がってる。

 口にしなくても、話はできる。

 でも、杏樹のことだから、きちんと皆の前で、言葉にしておきたいんだろう。


 ──それが州候しゅうこうの娘としての責任。

 そんなことを、杏樹は考えているのだろう。


れいさま。あなたには、危険なことをお願いしなければなりません」

「承知しております。杏樹さま」

「今回の事件には、邪悪な儀式が関わっております」

「はい。それが魔獣の邪気を強め、彼らを暴走させているんですね?」

「そうです。邪気の源はおわかりですか?」

「北東……文字通り鬼門の最奥さいおう。邪気払いの社がある場所ですね」


 鬼門の北東には、魔獣や邪気をはらい、封じ込めるための社がある。

 かつて『九尾紫炎陽狐きゅうびしえんようこ』はその社を利用して、鬼門の邪気をはらっていた。魔獣が現れたときには、住民に気づかれないように結界を張ったこともあるらしい。


 でも今、その社には──


「そうです。鬼門の最奥さいおう──北東にある『邪気払いの社』に、今回の騒ぎを起こしている、呪詛じゅそみなもとがあると思われます」


 杏樹は一言一言、はっきりと口にした。

『柏木隊』と兵士たちは、真剣な表情でうなずく。


 副堂沙緒里ふくどうさおりが鬼門で怪しい儀式を行ったことは、すでに兵士長が話している。

 その儀式について杏樹が口にしたことで、皆がその事実を実感したのだろう。


「零さまには、現地の様子を見に行っていただきたいのです」


 杏樹はまっすぐに、俺を見ながら、そう言った。


 ん?

『様子を見に行って』……?


呪詛じゅそみなもとを排除しなくてもいいのですか?」


 違和感に気づいたから、俺は問い返す。


「…………それは、砦の兵士たちと合流してからにいたします」


 ためらいながら、杏樹が答える。

 言葉と同時に、彼女の考えが伝わって来る。



『あぶないです』

『この呪詛じゅそは、危険』

『零さまに、もしものことが……』



 ──と。


二重追儺ふたえついな』の解き方は、杏樹が教えてくれた。

 儀式の場所にある召喚用の呪符を破壊すればいいらしい。

 そうすれば儀式は破壊されて、呪詛じゅそは解ける。


 兵士長は、召喚されたのは【鬼】だと言っていた。

 あいつは『沙緒里さまは【ヨミクラノヤミオニ】をばれた』と証言したんだ。【ヨミクラノヤミオニ】とは身長2メートルくらいの鬼で、派手な角が生えていて、しつこく追いかけてくる習性があるらしい。


二重追儺ふたえついな』は特定の人に対して行う呪詛じゅそだ。

 呼び出された【鬼】は、どこまでも杏樹を追いかけてくる。

 たとえ杏樹がここで逃げたとしても、呪詛は消えない。


 ただ……やっかいな存在ではあるけれど、その【鬼】に、魔獣に異常行動を起こさせるほどの力があるとは思えない。


 狼の魔獣【クロヨウカミ】が暴走して、猿猴さるの魔獣【コクエンコウ】が知恵をつけたんだ。「ただのしつこい鬼」が召喚されたにしては、影響力が大きすぎる。



『……召喚されたのは【鬼】ではありません。もっと、危険なものです』


 杏樹の思考が伝わって来る。 


『魔獣を変化させられるのは、神の領域にいるものです。できれば、多くの衛士と兵士、それに霊獣を連れて、集団で倒すべきものです』


『……でも、時間がありません』


『民は砦に逃げ込んでいます。周囲を、魔獣が囲んでいます。すぐに助けなければ……』


『ですが、それでは社にいる者を止められません。呪詛の中心にいる存在が、本格的に動き出したら……民と、鬼門の村々がどうなるか……』




 杏樹が迷っているのが、わかる。

 彼女は、俺ならば儀式の中心にある呪符を、破壊できると思ってる。

 でも、召喚されたものの正体がわからない。だから、危険もある。


 だから杏樹は心配してくれてるんだ。

 まぁ、そんな主君だから、恩給をもらえるまで仕えよう、って思ってるんだけど。


 だから、俺は杏樹を安心させるように、はっきりと、


「大丈夫です。無茶はしません」


 ──おだやかな声で、そう言った。


「呪符をこわせそうなら壊せます。でも、無理だと思ったら戻ってきますから」

「本当ですね?」

「俺は年金……じゃなかった、恩給おんきゅうをもらうまでは死にませんよ」


 ここで死んだら、恩給がパーだからな。

 それに、杏樹に危害を加える呪詛じゅそを放ってはおけない。

 最優先で破壊するべきだろう。


「そういうわけなので、行ってきます。杏樹さまは、砦に向かってください」

「承知いたしました。零さま」


 杏樹は、うなずいてくれた。


「わたくしは砦の祭壇さいだんを借りて、一差ひとさうつもりです。うまくいけば、魔獣の動きを抑えることができましょう」

「杏樹さまの舞いですか。それは……見たかったです」

「いつでもお見せいたしますよ。零さま」


 薄闇の中、杏樹はほおを染めた。

 そんな彼女に、俺は声を潜めて、


「……必要だと思ったら、すぐに『四尾霊狐しびれいこ』の力を解放してください。俺に負担がかかるとかは、考えなくていいです」

「……わかりました。零さま、霊獣はお連れになりますか?」

「……できれば『』を、十数体」

「……承知いたしました」


 俺と杏樹は、軽く手を合わせてから、別れた。

 まるで、ずっと一緒にいるとちかった相棒のように。


 それから、杏樹は皆の方を向いて、


「わたくしたちは砦に向かいましょう。こんなことはすぐに終わらせなければいけません。紫州ししゅう巫女姫みこひめ紫堂杏樹しどうあんじゅの名において、鬼門きもんをおおう呪詛じゅそはらってみせます!」


 その宣言は、杏樹の覚悟でもあったんだろう。

 杏樹は自分を『元巫女姫』ではなく、『巫女姫』と呼んだ。


 それは紫州も、巫女姫の地位も取り戻すのだという決意の言葉だ。


「がんばりましょう。杏樹さま」

『──はい。零さま』


 彼女の決意を背に、俺は鬼門の北東を目指して走り出したのだった。






 ──杏樹視点あんじゅしてん──




 杏樹は『柏木隊』と兵士たちを率いて、魔獣に包囲された砦へと突入した。

 包囲を突破するのは、難しくなかった。

 精霊『』は周囲を偵察ていさつして、魔獣の数が少ない場所を見つけてくれたからだ。そこに背後から火縄銃ひなわじゅうで攻撃を加えて、包囲網に穴を作った。


 そうして杏樹たちは、鬼門の砦へと入ったのだった。




 とりでには、多くの民が避難していた。

 民に指示を出していたのは村の代官だった。彼とも、話をすることができた。


 代官は杏樹の祖父の代から仕えている老人だった。

 彼はこれまで問題なく、周辺の村を治めてきたのだという。


 異変が起きたのは、杏樹が追放された日だった。

 邪気払いの社から、巨大な咆哮ほうこうが聞こえたのだという。


 調査に向かった者が見たのは、濃密のうみつ邪気じゃききり

 目の前も見えないような真っ黒な霧を前に、どうすることもできなかった。


 村の代官はすぐに、州都に使者を送ることを決めた。

 たが、その直前に、周辺は【クロヨウカミ】の襲撃しゅうげきを受けた。

 州候代理によって守備兵が引き上げられたため、魔獣の対処に時間を取られた。とにかく、住民を避難させるのが最優先だったのだ。

 なんとか砦に逃げ込むことはできたが、その砦を【コクエンコウ】に囲まれてしまった。


 幸い、砦は川に囲まれていた。

 地下の伏流水ふくりゅうすいから流れ出る、清らかな水だ。


 川は此岸しがん彼岸ひがんを分けるもの。

 水の流れが、簡易的な結界となり、魔獣の侵攻を抑えてくれた。

 だから、杏樹たちが来るまで、持ちこたえることができた。


 けれど、それもいつまでつかはわからない。

 度重なる戦闘の結果として、魔獣の血が、川へと流れ込んでいるからだ。

 それが邪気となり、川はにごりはじめている。


 浄化の力が消える前に脱出するか、留まるかを決めなければいけない。

 そんなことを話し合っていた矢先に、杏樹たちが囲みを破り、救援にやって来たのだった。






 

「状況はわかりました」


 ここは、砦の指揮官室。

 代官の話を聞き終えた杏樹は、納得したようにうなずいた。


 彼女の周囲には、無数の精霊がいる。

 代官や杖也老じょうやろう、柏木たちは慣れないようだが、杏樹は精霊が共にいることを、もう、当たり前に受け入れている。逆に、繋がっていることに安心する。


(『四尾霊狐しびれいこ』さんも、わたくしを受け入れてくださっていますから)


 杏樹は膝の上に乗せた、銀色の毛並みをでた。

 四尾の狐の『四尾霊狐しびれいこ』は、気持ち良さそうに目を細めている。


 この子がいつか成長して、再び『九尾紫炎陽狐きゅうびしえんようこ』になるのだろう。

 その頃には零に恩給を払える立場になっていなければ……そんなことを思いながら、杏樹は周囲を見回す。

 杏樹の言葉を待っている者たちの顔を見て、州候の娘としての立場を自覚する。覚悟を決める。


「まずは、状況を確認いたします」


 杏樹は『四尾霊狐』を膝に乗せたまま、告げた。


「代官にうかがいます。村人たちの状況ですが、今は落ち着いているのですね?」

「はい。杏樹さまがいらしたことで、士気も回復しております」


 代官の男性が答える。


「これで囲みを破れる。砦を出て、逃げることができる、と」

「確かに、協力すれば魔獣の囲みを破ることはできましょう。ですが、夜間の脱出は危険です。夜の間は防御にてっするべきでしょう」

「道理ですな」

「防衛の指揮は、柏木さまにお願いいたします」


 杏樹は、衛士の柏木の方を見た。


「霊獣『火狐かこ』の力があれば、弾丸に霊力を宿し、魔獣の『邪気衣じゃきえ』を貫くことができます。それを利用して、できるだけ遠距離で魔獣を倒してください」

「できるだけ遠距離で、ですか?」

「そうすれば川に血と邪気が混ざるのを防げましょう」

「承知しました。巫女姫さま」


 柏木は一礼した。

 それから、手を振って部下を呼ぶ。


 数分の間があり、銃を手に部下がやってくる。

 長い銃だった。柏木たちが使っている火縄とは違うものだ。


「これは『ミニエー銃』と呼ばれるものでして、異国の技術による『らいふりんぐ』……いや、とにかく射程距離が火縄の数倍あります。ただ、銃弾が高価なので、使用には巫女姫さまの許可が欲しいんでさぁ」

「使っていただいて構いません。でも、どうしてこのようなものが?」

「お父上の暦一れきいちさまが用意されたものだと聞いています」


 不意に、代官の男性が口を挟んだ。

 その言葉に、杖也老が、ぽん、と手を叩く。


「思い出しましたぞ。州候さまは鬼門の守りについて、常に検討されておられた。通常の銃では魔獣の邪気を突破することはできませんが、最新型の銃なら可能ではないかとお考えだったのです。これは、そのひとつでしょう!」

「……お父さまが」

「ご立派な方ですよ。暦一さまは」

「…………はい」


 杏樹は力強く、うなずいた。


 負けられない。

 自分にはれいと、父と、付き従ってくれる仲間がついている。

 沙緒里の呪詛じゅそひざくっするわけにはいかないのだ。


「わたくしは砦の祭壇さいだんを使って、鬼門に結界を張ります」


 杏樹は立ち上がり、皆に宣言した。


「周囲には『』の精霊がおります。彼らと繋がることで、巨大な霊力の網を作り出すことができるはずです。もしかしたら……鬼門の村々すべてを包み込めるかもしれません」

「それほどの結界を!?」

「できる……と、思います」

『きゅぅきゅぅ』


 杏樹の言葉に応じるように、『四尾霊狐しびれいこ』がいた。


「このことは皆に伝えても構いません。その方が、士気も上がるでしょう」


 杏樹は皆を見回して、宣言した。


「承知しましたぞ。杏樹さま」

「『柏木隊』は魔獣討伐にてっします」

「気をつけてください。お嬢さま」

「我々も、できる限りのことをいたします!」


 杖也老、衛士の柏木、代官、それに兵士たちが一斉に声を上げる。

 零の言葉がないのが、少しだけさみしかった。


(……大丈夫です。零さまとは、今も繋がっています)


 零は走っている。戦っている。鬼門の最奥さいおうにある社に向かっている。

 はっきりと見えるわけではない。

 主従の問題があるからだ。零との共同契約は、霊力の強さで主従が決まってしまった。

 結局、杏樹の霊力は零には及ばなかったのだ。


 でも、構わない。

 逆に零には、これから自分のすることを見ていて欲しい。


 杏樹がするべきことは、彼の援護えんご

 結界を張り、零の道を開く。それだけだ。


 そんなことを思いながら、杏樹は砦の最上階の部屋に入る。

 広く窓が取られた部屋だ。

 高台にあるのは、風と、陽の光が入りやすいようにするためだろう。

 

 壁には、大きな祭壇がある。

 土地神の名も、きざまれている。


九曜神那龍神くようかんなりゅうじん』──と。


 けれど、龍神は現れない。

 杏樹を助けてくれるのは零と、霊獣れいじゅう精霊せいれいたちだ。


 降臨こうりんしない神に頼ることはできない。

 今ある力で、人々を守らなければいけないのだ。


「お力をお貸し下さい。『四尾霊狐しびれいこ』さま」


 杏樹は優しく、霊獣の狐を床に降ろした。

『コンコン』──と鳴く霊獣に笑いかけながら、杏樹は、


「では、一差ひとさわせていただきますね」


 しゃらん、と、神楽鈴かぐらすずを鳴らした。



「──『邪気じゃきい、呪詛じゅそに。はらたまえ、きよたまえ』」



 踏み出す。鳴らす。

 息を吸い、吐く。



「『紫州候ししゅうこう紫堂暦一しどうれきいち一子いっし杏樹あんじゅの名において、この場を我らがやしろす。四方しほう護持ごじし、邪鬼じゃき邪気じゃきはらい、地の清浄せいじょうを守らんことを』」



 感覚が広がって行く。

 砦から飛び立つ精霊たちと、精神を同調させる。


 杏樹が舞っているのは、魔獣避けの舞いだ。

 先日街道で舞ったものと同じだが、今は呪符じゅふを使っていない。


 呪符じゅふの代わりをするのは精霊たちだ。


 鬼門のあちこちに配置した彼らが、霊力と術式を伝えるえだとなる。

 杏樹は彼らを通して、魔獣避けの術式を展開する。

 霊力の網を、鬼門いっぱいに広げていく。


 そうすれば結界は、周辺すべてをおおってくれる。

 魔獣たちは動きを止め、呪詛じゅその中心にいる者の力も弱まる。


 それは、零の助けにもなるはずだ。



「『──我が領地によこしまなる者は入れず、災厄の者は地に伏す。は巫女姫──紫堂杏樹しどうあんじゅの──っ』」



 身体が重い。

 霊力が急速に吸われていくのを感じる。

 村々をおおうほどの結界を張ろうとしているのだから当然だ。


四尾霊狐しびれいこ』も助けてくれている。

 杏樹の隣で、言葉にならない祝詞のりとを唱えている。

 けれど、苦しそうだ。


四尾霊狐しびれいこ』は、無数の『』『ほう』『ハレ』たちと繋がっている。

 霊力と、術を伝えている。

 そうやって結界を広げているのだ。


「……でも、波長はちょうが……少しだけずれております」

『……キュゥ』

「なるほど。わたくしと『四尾霊狐しびれいこ』さまが、ふたつであるからですね」

『……キュキュ』


 こくん、と、うなずく『四尾霊狐しびれいこ』。

 杏樹に訴えかけるように、四本の尻尾を振っている。


 感覚を広げると、周囲の状況が伝わって来る。




 とりで外縁部がいえんぶでは『柏木隊』と兵士が、魔獣と戦っている。


 柏木の『ミニエー銃』はいい仕事をしている。

 川を越えさせることなく、魔獣たちを倒している。

 杏樹の結界で動きがにぶった魔獣たちは、『柏木隊』のいい的だ。


 でも、銃弾には限りがある。

 魔獣の数は多い。銃弾じゅうだんが尽きれば、次は接近戦だ。

 その時になったら川は血と邪気にまみれ、守りの力を失うだろう。


 周囲の村々も見える。

 田畑は魔獣に踏み荒らされて、作物は無残な状態だ。

 斜面に作った段々畑だんだんくずれている。


 ひどい光景を目にして、杏樹の胸が痛くなる。

 鬼門周辺は、霊獣『九尾紫炎陽狐きゅうびしえんようこ』が守っていた。段々畑も、彼女の加護のもと、苦労して作ったもののはずだ。

 それを無残な姿にしてしまったことを申し訳なく思ってしまう。


 村の家が燃えている。【コクエンコウ】が火を放ったのだろう。

 魔獣は火を恐れない。だから獣とは異なる『魔の獣』──魔獣と呼ばれる。

 食らうためだけではなく、楽しみのためだけに人を襲う。


(……こんなことは、すぐに終わらせなければいけません)


 杏樹は意識を凝らす。

 北東──呪詛じゅそ中枢ちゅうすうが見えてくる。


 沙緒里がどんな思いで儀式を行ったのか、杏樹にはわからない。

 けれど、彼女が呼びだしたのは、この世界にいてはいけないものだ。


 邪気払いの社に、巨大な存在が立っていた。

 濃密のうみつな邪気を感じる。その存在の、異質さがわかる。


 どうして【コクエンコウ】が荒ぶっているのかも理解した。

 呪詛の中枢にいるのは、猿猴さるの姿をしている。

 あれは神──荒魂あらたま、あるいは禍神かしんと呼ばれるものだ。


 漆黒の身体。

 身長は10尺 (3メートル)以上。

 頭には、金色の輪をつけている。

 手には巨大な棍棒を持っている。


 胸に呪符がある。あれが、呪詛じゅそみなもとだ。

 呪符に書かれている名前は『──天大聖てんたいせい』。邪気が強すぎて、完全には読み取れない。


 奴はこちらの世界に出て来ようとしている。

 まだ、完全ではない。

 あと少し──1時間足らずで完全に出現して、この世界を荒らしはじめるだろう。


 その前に、呪詛じゅそを解除しなければいけない。


「迷っている場合ではありませんね」

『きゅうぅ…………ここん』

「わたくしとあなたがふたつであるから、力を十全じゅうぜんに使えないのでしょう? ならば、ひとつになりましょう、『四尾霊狐しびれいこ』さま!」

『きゅう!』


 杏樹は霊獣『四尾霊狐しびれいこ』を抱き上げた。


「『紫州ししゅうの巫女姫──杏樹が願いたてまつる』」

『キュキュ』

「『我が霊獣と我が身はひとつ。この身をうつわとし「九尾紫炎陽狐きゅうびしえんようこ」の力を解放す。魂魄こんぱく、霊力、心を合わせ、天地あめつち清浄せいじょうを守らんことを! 急々如律令きゅうきゅうじょりつりょう!!』」

『キューッ!』


 杏樹と、四尾の狐の姿が、重なる。

 光が周囲を見たし、膨らんでいく。

 それが消えて、現れたのは──



 狐耳と、九本の尻尾を生やした、杏樹の姿だった。


「これが『九尾紫炎陽狐』さまのお力──」


 あふれそうなほど、強い霊力を感じる。

 零のものだけではない。今まで感じたことのない膨大ぼうだいな霊力は、杏樹自身のものだ。

 人の身体では限界があったのだろう。これが、杏樹の最大霊力なのだ。


「紫州の守護者『九尾紫炎陽狐きゅうびしえんようこ』さまの名のもとに、結界を!!」


 言葉と、霊力が、広がって行く。

 光る球体──『』に似た粒子のようなものが、砦と、周囲を包み込む。


 それに触れた魔獣たちは──



『ギ、ギギッ?』

『ガ、ガガガガ!?』

『────!?』



 一斉に、その動きを止めた。

 光の中心近くにいる者は、こおり付いたように。

 光の周辺にいる者は、震えながらも動けなくなる。



「巫女姫さまの結界だ! 魔獣の動きが止まった!!」

「「「今だ! 撃て──────!!」」」



『柏木隊』の銃が火を噴き、魔獣をなぎ倒す。

 倒された魔獣たちは、動けない。

 致命傷を受けたものも、軽傷の者も、身動きひとつ取ることはできない。


『九尾紫炎陽狐』とひとつになった杏樹の結界は、魔獣たちを完全にしばっていた。


 そして──




「さすが杏樹さまだ」


 北東に向かって走る零の道が、開けた。

 邪魔しようとしていた魔獣たちの動きが、ゆっくりとしたものに変わっている。


 これなら『無音転身むおんてんしん』を使うまでもない。

 霊力展開して、『軽身功けいしんこう』で飛べば、魔獣との接触を避けられる。


「……でも、猿猴えんこうの魔獣で、超大型。金の輪をつけていて、武器は棒で、名前が『──天大聖てんたいせい』か」


 似たようなものは、前世の物語にいた。

 正式名称は『斉天大聖せいてんたいせい 孫悟空そんごくう』。

 西遊記さいゆうきに登場する存在で、最終的には神になるものだ。


 それがこの世界では魔獣──いや荒ぶる神になっている。

 というか、この世界にも『西遊記』の物語ってあるのか?

 ……読んだことないなぁ。


 でも、どうして『斉天大聖』がこの世界に出現しているんだ?


「……考えても仕方がないか」


 呪詛じゅその解き方は教わった。

 あとは、それを試すだけだ。


「でも、狐耳きつねみみで尻尾もふもふの杏樹は見てみたいな。精霊を通してじゃなくて、この目で直に……うん」


 そんなことを (杏樹に伝わらないように、こっそりと)思いながら、れいは『邪気払いの社』を目指すのだった。

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