第8話「護衛、対策を立てる」
「
ここは鬼門の手前にある、山間の村。
宿の部屋で、俺は杏樹さまと話をしていた。
商隊と合流してからは、何事もなく村に着いた。
村の人たちは、杏樹さまの到着を知っていた。
ここまでの道のり──元の世界風に言えば旅行ルートが決まっていたからだろう。
州候の娘が来るわけだから、当然、先触れも出ている。
宿の手配は終わっているし、村長たちも、出迎えの準備をしていた。
予定外だったのは、商隊が、魔獣に襲われたこと。
その商隊を、俺たちが助けたことだった。
だから、村についてすぐに、杏樹さまは村長と話をすることを希望した。
手配を済ませたあと、俺たちは宿に落ち着いた。
そうして、村長たちが集まるまでの間、今回の事態について、俺と杏樹さま、執事の
「杏樹さまの呪符のおかげで、
俺は杏樹さまに向かって頭を下げた。
お礼は重要だからな。
あと、これからも呪符は使わせて欲しい。
あれは法術──この世界での魔術のようなもの──を学んだ人にしか作れない。
便利だし、法術を学ぶ役にも立つ。
法術が使えるようになれば、頭脳労働に就くこともできるだろう。
「今後とも、杏樹さまのお力をお借りできれば幸いです」
「はい。零さま」
俺たちがいるのは、村の宿の大広間。
板の間で、障子戸の向こうは、板塀に囲まれた庭になっている。
塀の外には見張りの兵士がいる。
知らない誰かが、会話に聞き耳を立てることはできないだろう。
というか、和風建築って音漏れしやすいんだよな。
壁は薄い板で、扉は障子一枚だから。
『壁に耳あり障子に目あり』とは、よく言ったもんだ。
「零さまこそ、あなたの働きには、商隊の皆さんが感心していましたよ」
何度か姿勢を直してから、杏樹さまは言った。
「衛士の柏木さまは零さまを『
「すみません。衛士の
「そうなのですか? 太刀を扱う方は、
「『白鞘』『黒鞘』『朱鞘』ですね。故郷の人たちはこだわってましたけど」
この国は昔から魔獣と戦ってきた。
だから、魔獣を討伐する者を、
最低ランクが無垢木の鞘を使う『
次に黒塗りの『
銀糸で装飾された『
金糸で装飾された『
最上位が
ちなみに父さんは『銀糸鞘』。
祖父は先帝から『黄金鞘』をもらっている。
でも、将来頭脳労働をする予定の俺には、必要のないものだ。
上位の鞘を得るために身体を壊したら、なんにもならないからな。
「俺は『白鞘』のままでいいと思っています」
俺は答えた。
「もちろん、杏樹さまが、護衛にはそれなりの格が必要とお考えでしたら、黒か朱の鞘を取るようにいたしますが」
「今のままで構いませんよ。零さまにお力があることは、理解しておりますから」
杏樹さまはそう言って、笑ってみせた。
それから彼女は、杖也老を見て、
「それで、
「ございます。杏樹お嬢さま」
俺の隣で、白髪の男性──橘杖也さんが平伏した。
着ているのは、漆黒の洋装。俺の知識で言うと執事服だ。
見た目は老齢に近い。落ち着いた、貫禄のある人だ。
「商人どのの証言ですが、鬼門を守る兵士の数が減っているというのが気になります。お嬢さまが代官として鬼門を治めることになった以上、鬼門の兵は指揮下に入ることになります。それが数を減らしているということは……」
「叔父上の……いえ、州候代理のはからいでしょうね」
「おそらくは、杏樹お嬢さまの力を削ぐために」
杏樹さまは難しい顔になる。
杖也老は、腕組みをしたまま、うつむいている。
杏樹さまを鬼門の代官に任命したのは州候代理だ。
その州候代理が、杏樹さまから兵を奪うのは……あからさますぎるな。
力を削ぐためか。あるいは、鬼門で杏樹さまが死ぬことを望んでいるのか。
「……理解できません」
杏樹さまは、頭を振った。
「鬼門の兵が減れば、魔獣討伐に手が回らなくなります。困るのは民でしょう」
「
「……爺」
「後継者としての地位を奪い、霊獣を奪い、鬼門へと追い払っただけでは足りず、町を守る兵も奪う。そこまで州候の地位が欲しいのか、副堂めは!」
「爺。今は今後のことを考えましょう」
「……はい。お嬢さま」
難しい状況だった。
俺たちはこれから街道を北東に向かい、鬼門の村に入る。
杏樹さまはその地の代官として、鬼門の周辺一帯を治めることになる。
鬼門は魔獣が多い。それを討伐するための兵がいる。
関所や砦も、魔獣を鬼門周辺で倒すためのものだ。
なのに、兵が減らされている。
兵が減れば、魔獣討伐が追いつかなくなる。村人に被害が出るかもしれないし、関を越えた魔獣が州都に向かうかもしれない。そうなれば、杏樹さまの責任になる。
州候代理は、それを狙っているのかもしれない。
杏樹さまを処分するために。
「お話し中に申し訳ありません。杏樹お嬢さま」
障子戸の向こうから、小間使いの桔梗の声がした。
「杏樹お嬢さまの護衛の兵士たちが、面会を求めていらっしゃって──」
「失礼いたします。杏樹さま」
障子戸が開き、ここまで一緒だった兵士たちが、姿を見せた。
先頭には兵士長がいる。
兵士長は偉そうに胸を反らし、その後ろで、兵士たちがうつむいている。
「州候代理よりのご命令で、伝え忘れていたことがございました」
兵士長は薄笑いを浮かべて、告げる。
「我々がお送りするのは、鬼門の関所が見える場所までとなります。我々はそこで、引き上げさせていただきます」
「なんだと!?」
杖也老が兵士長に詰め寄る。
「お前たちはお嬢さまを鬼門の村まで送り届けるのが使命であろう!? それを果たさず、関所の手前でお嬢さまを放置するつもりか!?」
「そこからなら、鬼門の村までは十数時間でたどり着けます。問題はないでしょう」
澄ました顔で宣言したのは、護衛兵たちの隊長だ。
その後ろで兵士たちは、唇をかみしめてる。
彼らにとっては、本意じゃないんだろうな。
「これは州候代理の
「だから兵を引き上げると?」
「そうです」
「限度があるであろう! 護衛が零どのひとりになってしまうではないか!」
「民のためですよ。それが杏樹さまのご希望なのでしょう?」
兵士の隊長は唇をゆがめて、笑った。
「我らは民を優先するだけです。民ですよ。反対されるのですか? 杏樹さま」
「……いいえ」
「お嬢さま!?」
「民のための軍事訓練なら、致し方ありません」
杏樹さまは真剣な表情で、うなずいた。
「わかりました。鬼門の関が見える場所まで送ってください。その後は、州都への帰還を許します」
「お嬢さま!?」
「戻らなければ、兵士たちが
「「「…………!?」」」
杏樹さまの言葉に、兵士たちが、はっとした顔になる。
彼らは涙をこらえるような顔で、肩を震わせてる。
それでも杏樹さまが護衛を命じれば、彼らが従うだろう。
でも、それをしてしまったら、州都に戻ったあと、彼らが罰を受けることになる。
無理を言った杏樹さまの評判も落ちるだろう。というより、州候代理が広めそうだな。そういう話を。
「杏樹さま。ひとつ、確認したいことがございます」
俺は杏樹さまの方を見て、言った。
「それについて、隊長どのに質問してもよろしいでしょうか?」
「許します。どうぞ」
「では、隊長どのにうかがいます」
俺は兵士たちの隊長の方を見て、告げる。
「あなた方が州都に戻るのは、民のためですよね?」
「文句があるのか?」
「いえ、確認したかっただけです」
「いかにも、民のためだ」
隊長は胸を反らして、そう言った。
「紫州は強大な州に囲まれている。その他州とよしみを結ぶことは、州の平穏にもつながる。最終的に、民のためになるのだ。文句はあるまい」
「ということは、あなたは民のために働くことに賛成ということですね?」
「そうだ」
「では、民が助けを求めてきた場合、拒むことはありませんね?」
「……無論だ」
「杏樹さまと土地神に
「くどい! 誓えるに決まっているだろう?」
「では──」
俺は隊長と兵士たちを
「例えば、
「──な!?」
隊長が絶句する。
州都に向かっていた商隊は、この村に避難している。
馬車はこわれていない。馬を換えればすぐに出発できる。
ただ、護衛の『柏木隊』は、すぐには動けない。
隊長の柏木さんや、数名の衛士が怪我をしたからだ。
となると、商隊もしばらくは動けない。魔獣が荒ぶってる今、護衛なしで州都に戻るのは難しいからだ。
でも、州都に戻る兵士たちが同行するなら、話は別だ。
商隊は兵士に守られながら、安全に州都まで戻れる。州候代理の命令を受けている部隊といっても、すぐ側で商隊が魔獣に襲われるのを無視することはないだろう。
ここから鬼門の関までは半日の距離だ。兵士たちが俺たちを送ってから戻るまで、そう時間はかからない。
商人の須月さんたちは兵士たちが戻るのを待ってから、出発すればいい。
そうなれば、柏木さんの部隊の手が空く。
杏樹さまは彼らを雇えばいい。
幸い、杏樹さまは鬼門の代官に就任するための金を持って来ている。
それを使えば、柏木さんたちを雇うことができるはず。
商隊に恩を売れる──味方にできる。
怪我をした柏木さんの仲間に仕事をあげられる──味方にできる。
前世でいえばウィンウィンの関係だ。
もちろん、交渉は必要だろうけど。
「おっしゃいましたよね。『民のため』と。だとすれば、護衛を失った商隊を見捨てて、ご自分だけ州都に戻るのはおかしいですよね。土地神に誓われたのですから」
「……ぐぬ」
「いかがでしょうか、杏樹さま。杖也さま」
「大変よいお考えだと思います」
杏樹さまは、笑いをこらえるような顔だった。
それから、彼女は顔を上げて、
「州候の娘、紫堂杏樹が命じます」
杏樹さまは部隊の隊長に向かって、告げた。
「あなたの誓い通りになさい。州都に戻る際に、商隊と同行するのです。それならば、叔父さまの命令に背くことにはならないでしょう?」
「………………ぐ」
「いかがですか?」
「…………承知しました」
ぎん、と、兵士長が、人を殺しそうな目で俺を
彼は兵士たちを押しのけて、外に出て行く。
そして、隊長がいなくなったのを確認した兵士たちは──
「「「申し訳ございません。杏樹さま!!」」」
一斉に、平伏したのだった。
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