第27話 夢の終わり


「嘘!私は信じないから、絶対に信じないから」

俺は新井の父親との約束を果たすため、大学に近い喫茶店で亜由未と二人で、新井に今も好意を持ち続け、まだ何も知らされていない女の子と会った。名前は聞かなかった。聞いたところで何がどう変わるわけではないだろう。

「どうして純一君が死ななきゃいけないの?ねえ教えてよ!吉田君は友達だったんでしょ?どうして助けようとしなかったの?なんで気がつかなったの?」

俺は事実だけを伝え、何も言い返せなかった。

「ねえ、連絡をとろうとしたの?」

「・・・・」

「心配じゃなかったの?」

「・・・・」

「何とか言いなさいよ!」

「ちょっと落ち着いて。別に博司君に責任があるわけじゃないでしょ?」

「亜由未ちゃんだって純一君と仲が良かったのに私が連絡をするまで何もしなかったんでしょ?ひどいよ、薄情だよ」

「私は、そういうのじゃ・・・」亜由未も言葉に詰まってしまった。何も言えない。言い返せない。

「結局、二人とも自分たちが幸せならそれでいいんだ。他の人のことなんか考えないんだ」

「そういう言い方をしないでよ!」

注意しようとしてきた女性の店員を彼女はキッと睨みつけた。店員は恐れをなしたのか来た道を戻っていく。

「こんなことになるなら、私がどんなに嫌がれても純一君にくっついていれば良かったんだ。私だって何もできなかった。ごめん、本当はあなたたちと同じなのに」

彼女は大声で泣き「ごめん、ごめんね」と亜由未は泣きながら彼女の手を握った。

「ねえ、博司君は先に帰って。後は私が話すから」

「わかった」俺は亜由未に言われた通りに伝票を持って立ち上がり、会計のときに「すいませんでした」と頭をさげた。

喫茶店で人目も憚らずに大声をあげて泣く彼女にかける言葉が見つからず、俺は俯きながら店を出た。



「泣きたいのは俺も同じだよ。泣いて解決するなら俺も泣くよ」店を出たとき、俺はそう呟いた。



俺は責められた気がしてならなかった。新井が死んでしまったのは俺にも責任がある。新井の父親は「君が気に病むことはない」と言ったが、彼女の言葉が棘のように突き刺さり、どうやっても抜け落ちてくれなかった。

「友達だったんでしょ?どうして助けようとしなかったの?」と責められたことが、本当にその通りに思えてしまい、気が滅入り、どこかでまた会えると呑気に考えていたせいか、その反動があまりにも大きすぎた。

喫茶店で三人で新井の話をしてから数日経ち、俺は動くことや食事をとることさえ嫌になっていた。多分、俺は鬱になっていたのだと思う。

亜由未は電話を頻繁にかけてきたが、俺は出ようとしなかった。

メッセージの履歴には「お願いだから電話に出て」と亜由未の悲痛な叫び声が投影されているように見えた。



「ちょっと待っててくださいね。博司、電話だよ、横山さんって女の人」

お袋が呼んでいる。携帯にでないので亜由未は俺の自宅に電話をかけてきた。

「あんた、少しは物を食べなよ。頬がこけているよ」

受話器を受け取るとき、お袋は心配そうに俺を見た。

無言で受話器を受け取ると「なんで電話にでてくれないの」と今に泣き出しそうな亜由未の声が飛びこんできた。

「ごめん、なんだか力がはいらなくて、動きたくない」だらけた怠け者の言い訳に聞こえるだろうが、亜由未は全てを知っている。

「ご飯、食べていないの?」

「食欲がなくて」

「そう」亜由未は「無理にでも食べなきゃダメだよ」とは言わなかった。

「それで何?」受け答えがつっけどんになっていても俺は気にならなかった。

「一つだけお願いを聞いて欲しいの」

「何、お願いって?」

「今度の日曜日、私に付き合って。私が車で迎えにいくから」

「うーん」面倒臭いと思った。出かけたくない。家で寝ていたい。そう思っていた。

「ねえ、博司君の気持ちは私もわかっているつもり。無理はさせないからお願い」

「わかった。それでどこに行くの?」

「ちょっと一緒に行きたいところがあるの」

「人混みは嫌だよ」折れるしかあるまい。俺は渋々亜由未の願いを聞き入れた。

「大丈夫、見たいのは景色だから」



日曜日になると、亜由未は時間通りに俺の家に来た。

「乗って」

俺は黙って助手席に乗りこみ、そのまま口を開こうとしなかった。

亜由未は無理に会話をしようとせず、しっかりとハンドルを握って車を走らせた。

夕陽が差し込み俺の顔を照らす。眩しいとは思いながらもサンバイザーで隠さず目を閉じた。

気持ちが沈みながら、亜由未に何の責任もなく、俺は「玩具を買って」と迷惑を顧みずに床でジタバタと暴れている子供と同じだなんだという感覚だけはもっていたが、心がそれに追いつかずにいた。

20分ほどで走ると小さな丘が見え、車はそこへ向かって走っているのだと気づいた。



「着いたよ」自然公園入口と書かれた駐車場に車を停車すると、真紀は俺の手を引き「こっち」と歩き出した。

その公園の手すりはボロボロに錆びてはいたが、住宅街が一望でき、ベンチが4つ設置してあった。こじんまりとしていたが、景色を眺めるのには充分なほど見晴らしが良く、俺は夕陽が目線が重なり、眩しさよりも、夕陽がもうすぐ消えてしまうことに悲しさを覚えた。

「座ろう」 

亜由未に手を取られ、ベンチに腰を下ろす。

「良い景色だと思わない?」

「思うけど、なんだか寂しくも感じる」

「そうかあ・・・」と亜由未は小さく呟いた。

亜由未は黙って、ときおり吹く風で髪をなびかせ、沈みゆく夕陽を見つめていた。

「俺さ、亜由未に謝らきゃいけないことがあるんだ」

「謝るって何を?」

「正直に話すよ。俺は真紀と寝たことがある」

「え?突然なにを言い出すの?ねえ、それっていつのこと?本当なの?」亜由未は明らかに動揺していた。

「本当のことだよ。正月を過ぎてすぐぐらいかな、亜由未が新潟に行っているとき」

「そう・・・なんだ」

俺は亜由未に罵声を浴びされ、軽蔑される。でも、それも仕方のないことだと思って話すことにしていたので、亜由未の反応に少し戸惑った。

「それって継続中、それとも1回だけ?」亜由未は人差し指を立てて俺を見た。

「1回だけだよ。それでも亜由未を裏切ったことに間違いはない」

「だったら、それだったら今回は目を瞑る」

「え?」今度は俺が動揺した。

「本当は嫌だし、許せないけど、それを別れる理由にはしたくないから」再び風が吹き、再びショートボブに戻した亜由未の髪がさらさらと風になびく。



「亜由未にずっと聞きたかったんだけど、そもそも何で俺みたいな奴と付き合ってくれたの?」

3年生になる手前から付き合い始めて2年が経過しようとしている。俺は聞いてみたかったが、返ってくる言葉を聞くのが怖かった問いを初めて投げ掛けた。

「俺みたい、とか言わないでよ」

「だって、亜由未は入学当初から人気があったし、俺だって亜由未のことかなり前か知っていたけど、高嶺の花だと思って諦めていたから」

「高嶺の花はないかなあ」と亜由未は小さく笑った。

「私が博司君のことを知ったのは2年の秋ごろだと思う」

「俺は亜由未と違って花じゃなくて雑草だよ。よく気がついたね」

「自虐しすぎだよ。あのね、博司君を見たとき、上級生が食堂のところでキャッチボールしていてね。危ないなあと思って見ていたの」俺は黙って亜由未の言葉の続きを待った

「それで、博司君が『こんなところでキャッチボールするの危ないからやめてくれませんか』って言いに行って。この人凄いなあって思ったんだ」

そんなこともあったと思い出す。確かに3年の上級生だった。注意したのも覚えているし、その後「おい、やるのか、てめー!」と喧嘩をふっかけられた。

俺は俺で「ガキじゃないんですから、そういう言い方はやめましょうよ」といなしたが、態度は確かに悪かった。

ただ、大学生にもなって「やるのか!」と凄む上級生を見て恥ずかしくなった。だからあそこの学生は馬鹿だと言われるんだ。いい加減に自覚しろと言いそうになって止めた・・・いや止めたのは新井だ。



「もうやめませんか、こういう不毛な争いは」新井は仲介に入って、上級生はバツが悪そうに喫煙所に向かって行った。

「まさか、きっかけってそれ?」

「きっかけはそれでも、私はそれで博司君の存在を知って、そして」亜由未は少しためらい「私と新井君はもともと知り合いだったから」と無理に笑ってみせた

「じゃあ、新井がいなかったら、俺たちは互いに存在は認識していても、こうやって付き合うことはなかったんだ」

「そうかもね」

「でも」亜由未は言葉を繋げた「私のほうから付き合ってくださいってお願いしたかもよ?」

「それはないなあ。そもそも俺がそんなことを信じると思う?どうせ性質の悪いドッキリだと疑ったはずだよ」

「そのマイナス思考は治したほうがいいよ」

「治すなら顔も治したいね」俺はこけた頬を摩った。

「私もずっー--と言おうと思っていたんだけど、どうしてそんなに自分の顔を卑下するの?博司君は瞼が二重でまつ毛も長いし、顔立ちだって決して悪くないよ」亜由未は熱弁をふるっているように見えて、その姿が可愛らしくて、少し滑稽で笑ってしまった。

「笑わないでよ。せっかく褒めているのに」

「なんだろうね、俺はなんだか自信がもてなくて」

「それがマイナス思考ってこと」

「そうなんだ」

「そうだよ」珍しく二人で笑った。新井が逝ってしまい、笑うことを不謹慎に思い、笑わないように常に心掛けていた。その結果、俺の生活は崩壊した。



「渡したいものがあるんだ」亜由未はそう言って鞄から綺麗にラッピングされた正方形の箱を取り出した。

「受け取ってくれる?」

「もちろん。開けてもいい?」

「いいよ」

箱の中にはモスグリーンの財布が入っていた。

「博司君、緑色好きでしょ?だからどうかなと思って」

「ありがとう。でも、いつ買ったの?」

「あのショッピングモールに行ったとき」

「もしかして俺が煙草を吸っている間に?」

「うん、それで上映時間を忘れちゃって」



「ありがとう」の言葉と同時に俺は嗚咽を漏らした。

「私のほうこそいつもありがとう」亜由未は目に涙を溜めていた。

「ねえ、私と出会えて幸せさだった?楽しかった?」

「勿論、亜由未のおかげで、いや亜由未じゃなければダメだった」

「そうか、私はあなたの特別になれたんだ。これからも私を特別にしてね。約束だよ」

「もちろん、亜由未は特別。いや、亜由未だけが特別だから」

亜由未は嬉しそうに立ち上がると涙が止まらない俺に手を伸ばした。

「ねえ、帰ろうよ」



                 ✦



真っ暗な空間に光が灯される。エンドロールは流れない。

夢が終わる。嫌なこと、忘れていたこと、忘れようとしていたこと、そして嬉しかったこと、楽しかったこと、幸せだったこと。

亜由未、やっぱり君は俺には勿体ないよ。勿体なさすぎて誰にも渡したくなくなる。

表示されていた数字は38にかわる。

戻ろう、今の俺に。

そして亜由未と会わなければ。聞きたいことは山ほどあるが、まずは「ありがとう」とお礼を言いたい。

長い、長い夢がやっと終わる。


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