第26話 別れ
亜由未と何もせずにラブホテルを後にして3日後。亜由未は切羽詰まった様子で電話をかけてきた。
「今、大丈夫かな」
「大丈夫だよ」俺は亜由未から着信があるとびくついていた。何か責められるのではないか、真紀とのことがバレたのでないかと、悪いことばかり考えた。
「それで、どうしたの?」俺は務めて平静を装った。
「うん、新井君のことなんだけど」
「何かわかったの?」
「ううん、何もわからない。だから博司君に電話をしたの」
「どういうこと?」亜由未の言っていることがよくわからない。
「あのね、新井君の話をしたときのことって、まだ覚えている?」
「覚えているよ、亜由未と新井の共通の友達がいて、その子が自宅に電話をかけたんでしょ?」
「そう、それでね、私も知らなかったんだけど、その子、新井君のことが好きなんだって。だから物凄く混乱していて、私もどうにかしたくって」
「それで俺に何ができるの?」まだ掴めない。俺はもう一歩踏み込んでみた。
「単刀直入に言うと、博司君が電話をして欲しいの、新井君の自宅に」
「俺が電話をしたとして、ご両親は話してくれるかなあ」俺は新井の家には行ったことがない。勿論、両親とも面識はない。
「わがままを言ってごめんね。でもダメもとでお願いしたいの」
「わかった。電話番号を教えてくれる?」亜由未に負い目を感じている以上、できることなら力になりたい。「いい、番号を言うからね」俺は亜由未から聞いた新井の実家の番号を、落ちていたレシートの裏に書きなぐった。
深呼吸を繰り返す。手が震えそうになっているのがわかる。事態が事態だけによく言葉を選んで話さなければならない。
俺は亜由未から聞いた番号を、おそるおそるスマートフォンの画面にタッチした。
コール音が鳴る。1回、2回、3回、電話にでない。切ろうとしたときに電話は繋がった。
「もしもし新井です」弱弱しい女性の声がする。多分、新井の母親だろう。
「すいません。わたしは新井君と同じ大学に通う吉田と申します」
「吉田さん、ですか?どういった御用でしょか?」
「わたしは新井君の事情を知っている者の1人です。その後の話をどうしてもお聞きしたくて」
「・・・・・」返事がない。電話を切られてしまう、そう思ったとき、電話越しに2人の声が聞こえた。新井の母親が誰かと相談にしているように思えた。
「もしもし、電話を代わりました。私は新井の、新井純一の父です。君は吉田君でいいのかな?」
「は、はい」まさか父親に代わるとは思わなかった。勝手に背筋が伸びる。
「それで息子のことで電話をかけてきたそうだね?」新井の父親は威厳のありそうな低い声で、普段は厳しそうだが、とても優しい口調で丁寧に答えてくれた。
「正直に申し上げますと、最初にそちらに電話をかけた女の子がいたと思うのですが、その子が、新井、いえ純一君に好意を抱いていたらしく、ひどく落ち込んでいるようで」うまく舌が回らない。敬語使おうとすると会話がちぐはぐになってしまう。
「そうだったのか・・・可哀そうなことをしてしまった」そういって新井の父親はしばらく黙り込んだ。
「ええと、それでですね、あの」無言に耐え切れない。俺は戸惑いながら言葉を選ぶのに必死だった。
「それで吉田君が代わりに電話を?あの子ではなく、君が?」
「ええ、まあ代わりというわけではないですが・・・俺、いえ私自身気になっていたのは事実です。それと伝え聞きで申し訳ないのですが、その子がだいぶ混乱しているようで、私が話を伺ったほうが良いと判断させて頂きました。
「いいですよ、無理に畏まらくて」
「はい、恐れ入ります」
「吉田君はどこまで知っているのかな?」
「ええと、言い難いのですが自殺を図ったというところまでは知っています」
「実は息子から君のことは聞いてことがあるんだよ」
「え?」
「吉田君のことを気が小さいけど良い奴だって。面倒がかかるとも言っていたかな?」父親は昔を懐かしむように小さく笑った。
「そう・・・だったんですか・・・」
「吉田君だけじゃなくて、横山さんでいいのかな?その子のことも聞いたことがあって。あと何人かの名前も聞いたことがあったなあ。確か卒業旅行に行く予定だったんだよね?」
「はい、そうです。特に亜由未、いえ、横山さんとお付き合いできたのは、間違いなく純一君、いえ、新井のおかげだと思っています。もし新井がいなかったら、俺は・・・」言葉に詰まる。どう気持ちを伝えれば良いのだろうか、と迷う。
「そう、それは良かった。息子は困っている人の力になりたいと言っていてね」
「はい、俺も助けられました」
「純一は親の贔屓目もかもしれないが、できた息子だと私も思っていた。よく親子で話もしたよ」
「だから俺のこともご存じだったんですね?」
「ああ、そうだよ」
「お願いします。今の新井のことを教えてください」俺は電話の向こうのいる、見たこともなお新井の父親に深々と頭をさげた。
「じゃあ、きちんと説明しよう。ただ他言無用でお願いできるかな?約束できる?」
「はい。もちろん」
息子は死んでしまったよ。去年にね。私たちよりも先に
思考が追い付かない。「え、でも未遂で済んだと聞いていますが?どうしてそうなるんですか!」つい責めるような口調になってしまう。
「どこから話せばいいのか、息子は重度の鬱病だったみたいでね」
「え、でも一命はとりとめたんじゃ」
「1回目はね」1回目ってなんだよ。1回目ってことは続きがあるってことだろ?
「ただ2回目はダメだった。私たちがみつけたときはもう・・・」
「じゃあ、新井は本当にもう」涙が溢れ出て止まらない。新井が笑う顔、新井が怒った顔、新井が授業を真剣に受けていたときの顔。新井が亜由未と俺を取り持ってくれて喜んでいた顔、そして煙草を吸いながら苛ついていた顔。もう二度と見ることはできない。
「君や横山さんの話をしているときは本当に元気だった。でもいつからかな、塞ぎこむことが多くなってね」
「俺も煙草を吸う姿をみて違和感を覚えていました。でも、どうしてなんですか?」
「正直言って私たちにもわからないんだ。就職活動がうまくいっていないのは知っていたし、私たちもそんなに必死にならなくても良いっていったんだけどね」
「俺は新井の違和感に気づきました。気がついたのに、それなのに何にもしなかった。俺がもっと・・・」
「吉田君、それは違うよ」責めるでも叱るでもなく、諭すように父親は話し始めた。
「息子が悩んでいたのは私たちも知っていた。それを君が病む必要はない。結局、私たちも何もできなかったのだから」
亜由未から言われた「それは奢りだよ」という言葉を思い返す。そうか、俺には何もできなかったのか、きちんと見ようともしなかったせいだ。俺は傍観者でさえない。そもそも見ていないのだから。
「あの、遺書とかは残っていないんですか?」
「何も残さなかった。残さないから私たちにも原因が何なのかわからないんだ」手からスマートフォンが滑り落ち、ゴンと鈍い音が響き渡った。
「すいません、失礼しました」慌てて拾い、すぐに謝る。だが電話を持つ右手がブルブルと小刻みに震えているのがわかった。
「大丈夫だよ。ごめんね。君にも辛い思いをさせて」
「いえ、とんでもないです」辛いのは俺よりも両親のはずだ。それなのに俺が動揺してどうする?俺はスマートフォンを耳と左肩で挟み、震えている右手を左手で抑えた。
なあ、新井、人が死ぬ理由ってなんなんだよ?何か言わなきゃ、何か残さなきゃわからないだろう?
何か言いたいことはなかったのかよ?悩んでいることや、愚痴や、文句でも何でいいから、思っていたことを教えてくれよ。そうじゃなければ俺にも何もわからない。知りようがないよ。
「じゃあ、もう葬儀は?」
「うん、去年、内々で済ませたから、息子は、もう灰になったよ」
「そんな・・・」体から力が抜け落ちる。
「ありがとう。わざわざ電話をくれて。息子も喜ぶと思うよ。私も君のことを聞いていなかったら電話を切るつもりだった」
「どうしよう、どうすれば・・・」新井に好意を抱き、新井のことを心配をしている見たことのない女の子ことを考える。
「吉田君、図々しいと承知でお願いしたい。あの子には正直に話してもらえないだろうか?私にはうまく説明ができないと思う」
「はい。わかりました」新井の両親が直接話したら、その子は錯乱し、我を忘れて息子を失った両親に迷惑をかけることになってしまうはずだ。
「あの・・・」
「なんだい?」
「すいません、俺もなんだか実感がわかなくて・・・でも、ちゃんと向き合って受け入れることができたら、お線香をあげに行ってもいいですか?」
「かまわないよ」
「ありがとうございます」俺はもう一度、姿の見えない新井の父親に、それから母親に深々と頭をさげた。
✦
「嘘でしょ?」
「こんな嘘を吐いてどうするんだよ!」俺は珍しく亜由未に高圧的な態度をとった。
「そんな・・・」
「俺はもうよくわからない。あまりにも色々ありすぎて頭がどうにかなりそうだ」
「なんで、どうして」亜由未は嗚咽を漏らし、我慢できなくなったのか大声をあげて泣いた。
「親父さんの話だとはっきりした理由がわからないんだって。ただ重度の鬱だったってこと以外は」一呼吸をおいてから、俺はゆっくりと口を開いた
「亜由未、申し訳ないんだけど、しばらく俺を独りにしてくれないか?少し考えたい」
「嫌だよ」亜由未は泣きながら、はっきりと答えた。
「絶対に独りにさせない。博司君が辛いなら私は絶対にあなたから離れない。あなたが楽しいときは一緒に笑って、あなたが悲しいときは一緒に泣く。だから私から離れようとしないで。お願いだから・・・」
✦
亜由未は俺には勿体なさすぎた。
優しくて、可愛くて、強くて、真っすぐで、人から好かれて、数え上げるとキリがないが、俺なんかには相応しくなかった。
だから君から逃げようとした。自分の弱さが醜さが嫌で嫌でどうしようもなくて逃げたんだ。
それともそれを承知で傍にいてくれようとしてくれたのかな?
だとしたら、やっぱり君に俺は似つかわしくない。君ほどの女性が勿体ないよ。
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