第11話 嘘つき
夜間診療ということで、病院内は全体的に暗い。俺がタクシーで病院に着いたときは、8か所も受付があるのに誰もいない。俺は右から一つずつ「すいません、誰かいませんか?」と、カウンターに身を乗り出して、とにかく誰かいないのか探してみた。
「はい、どうされましたか?」4番目の受付の奥のドアが開き、とっとと帰りたいのか、不機嫌そうに若い女性が姿を現した。
「いえ、診察のお願いではないんです」
理由を簡潔に説明する。事故で友人、彼女とまでいえなかったが、二人がこちらの病院に搬送されたということ。どうすれば会えるのか、どんな怪我を負っているのか、質問攻めをした。
「ちょっと待ってください」受付の女性は俺に気圧され、内線をかけて何やら確認していた。「ええ、そうです。はい、わかりました」
「横山さんと千葉さんで、お間違えないですか?」
「そうです、その二人です」自然と前のめりになる。
「大変申し訳ありませんが、もう面会時間を過ぎています。明日改めてお越しいただけますか?」
「そこをなんとかできません?」しつこく食らいつく。電話も通じない。焦燥感だけが募る。一目でいいから会いたい。
「規則なので特別扱いはできません」事務的な答えが返ってくる。
「それにお二人とも命に別状はありません。余程のことでもない限り、この時間での面会はお断りさせて頂いています。どうかご理解ください」
「じゃあ、明日になれば会えますか?」
「面会はできるはずですが、面会時間も決まっています。はっきりとしたことは申し上げられません」
「はい、わかりました。ご迷惑をおかけしてすいません」
受付を離れると対応した女性は疲れているのか、大きな欠伸をして受付の奥にある事務所のような部屋に戻って行った
ここで帰るわけにはいかない。タクシー呼んで自宅に戻り、面会時間になったらまたタクシーで病院に戻るなんて金がかかりすぎるし、例え帰ったところで眠れないだろうし、何も手につかないだろう。大石さんに電話をかけ、病院にいることを伝え、まだ会えていないことも伝えた。
疲れた。自動販売機を探し、俺は缶のホットコーヒーを買うと五人はかけられる長椅子に腰をかけ、手に持っているコーヒーを一気に流しこんだ。喉が焼けそうに熱い。俺はコーヒーを飲み干すと、スニーカーを脱いで横になった。
「こんなころこで寝ちゃだめですよ」年配の警備員に声をかけられたとき、俺は「すいません、親族が危篤なんです」と平気で嘘を吐いた。警備員は「そうなんですか」をまるで聞いてしまったのを悔いるように足早に俺から離れて行った。
寝ようにも眠れない。寝返りを何度も繰り返していると、夜が明けてきた。
何をどうやって聞き、実際どうなったのか、物事を順序立てて考えるが、ジェンガに小さな虫が当たったくらいの衝撃で崩れ落ちる。
考えたところで始まらない。でも、考えずにはいられない。グッと下唇を噛み締める。わかっているのはこの状況が最悪だということだけだった。取返しのつかないどうしようもない状況だと。
早朝、診察は9時からだというのに、受付は8時の時点ですでに混みあっていた。スマートフォンの充電を気にする。あと20パーセントしか残量がない。急ごう、再び受付に向かう。昨晩の女性は帰ったのだろう、8つある受付カウンターでお揃いに制服を身に纏った一人の事務員におそるおそる声をかけた。
面会にきたが、今は行かない。ただ、どの部屋なのかを知りたいと、また嘘を吐いた。もう待っていられない。見つかって怒られてたらそのときはそのときだ。
「横山亜由未さんなら、5階の501号室です。昨日、緊急搬送されてきたようですから個室ですね。但し面会は10時からですからね」
「はい」念を押されたところで暖簾に腕押しだ。守る気なんてさらさらなかった。
エレベーターに乗って誰かに見つかると面倒だ。階段を探して5階まで上ることにした。ぜえ、ぜえ、苦しい。運動不足と煙草の吸いすぎだ。手すりを両手で掴み、一段一段、確実に上っていく。
5階に到着したとき、看護師が忙しなくフロアーを歩き回る姿が見えた。急いで501号室を探す。おそらく「01」がついているのでフロアーのどちらかの端のはずだ。
入院経験があるせいか、変な豆知識だけはもっていた。生きていくうえで必要のない知識であることはわかっていたが。
前屈みで辺りを見回し、神経を尖らせる。だが、亜由未の病室は呆気ないほど簡単に見つけることができた。5階の階段を右に曲がった突き当り、そこが亜由未の病室だった。
横に開閉する大きなドアノブに手をかけて、そっとドアを開く。嫌な緊張感で手が汗ばむ。個室だから亜由未しかいないはずだと思いながら、泥棒のように周りをキョロキョロと確認して足音を立てないように恐る恐る室内を進む。緊張感と罪悪感が徐々に募っていく。ベッドがあるのはわかるが、ベージュ色のカーテンで中が見えないように覆われていた。
そっと仕切られているカーテンに手をかけ、「亜由未、起きている。俺だよ」「う、うん?」寝ぼけているのか、怪我で痛いのか、弱弱しいが確かに亜由未の声が聞こえた。
「ごめんね、失礼するよ」俺はカーテンにかけていた手を放し、屈んでカーテンをくぐり抜けた。
「あ、博司くん?」夢うつつなのか、亜由未は俺の顔を突然見ても驚かなかった。
「大丈夫?痛みはどう?」
「うん、ああ」無理に上半身を起こそうとした亜由未の肩を優しく抑え「大丈夫だから」とベッドにゆっくりと戻す。
「本当にごめんね」亜由未の瞳に涙が溜まり、寝ているせいで頬を伝いシーツへ流れ落ちていく。
「大丈夫だって。でも、本当に生きていてくれて良かったよ」心の底からそう思った。こんな形で亜由未を失っていたら、俺はどうなってしまっただろう?廃人になっていてもおかしくはないだろう。
「本当にごめんなさい」亜由未は泣き続ける。こんなとき紳士的な男なら自前のハンカチで優しく涙を拭うのだろうが、あいにく俺は紳士的でなければ、ハンカチも持ち歩いていなかった。
「ちょっと待ってて」上着のポケットをまさぐる。あった、昨日、真紀と行った居酒屋で貰ったポケットティシュだ。全く恰好がつかない。俺はよれよれのポケットティシュを取り出し、亜由未の涙を拭き取った。
「それで怪我はどんな感じ」一通り涙を拭き終えると、俺はゴミ箱にティシュを音が立たないようにストンと落とした。
「左足の、えーと、確か
「骨折か・・・」思っていた以上の大怪我だ。リハビリを含めても卒業式までには治るはずだ。完治はしないだろうが。
「今日は帰るよ、顔を見て安心した」
「もう帰っちゃうの?」亜由未は寂しそうな顔で、訴えかけるように俺を見た。
「うん、まだ相手側との事故の話が全然進んでいないし、慰謝料とか、亜由未の入院代、あとは修理代もそうだし」
「だから・・・」と言い掛けたところで、亜由未は右手で俺の左腕を掴み「ごめんなさい」とまた泣いた。
「だから、大丈夫だって」俺の左腕を掴んでいる亜由未の手を取る。気がつかなかった。亜由未の右腕は傷を負ったのか、痛々しそうに包帯で巻かれていた。
涙が込み上げてきてグッと堪える。もうポケットティシュは使い果たしてしまった。泣いているのを悟られないように上を向く。
「面会って本当は10時からなんだって。だから、見つかるとヤバいんだ」
駄目だ。無機質な天井を見ているのに頬を涙が伝うのがわかる。
「ねえ、博司君」泣いているを承知で亜由未は俺の腕をもう一度掴む。
「本当は聞きたいことがあるんじゃないの?どうして何も聞かないの?」
「いや、今は・・・」
聞きたいことだらけだ。確認したいことだらけだ。本当なら「どうしてだよ!」と問い詰めたいくらいだ。
「いや、今はいいんだ。明日また来るから。車の名義が俺だからさ、色々と面倒な手続きがあってさ」微笑んでみせたつもりだったが、顔が引き攣っているのがわかった。嘘ばかり吐く。強がりは美徳ではない。わかっている。
「私には謝ることしかできなくて本当にごめんなさい。でも金銭的なことは自分で負担するから」
「それは、保険でどうにかなるとは思う。今は休んで早く体を治さなきゃ」
亜由未の体を心配していたのは嘘ではない。傷ついた姿を見て泣いた。それも間違いない。
ただ、確認しなければいけないことを確認できない。もどかしい。
「千葉君の病室にはもう行ったの?」
「いや、病室には行っていないし、そもそも何階に入院しているのかさえ知らない」吐き捨てるように言う。千葉なんてどうでもいい。
「私たちが、ううん、私が一番悪いのはわかっている。でも千葉くんも怪我をしているんだから、あまり冷たくしないでね、お願い」
怒りに似た悪意が芽生える。なぜ亜由未が全部悪いのか?
私たちってなんだよ?
どうして千葉を庇う?
亜由未に猜疑心を抱きそうになるのをぐっと堪える。このまま疑いの芽が開花されたら俺は自制心を失うだろう。何度も何度も何度も自分に言い聞かせる。
病室を出ようとして冷たいドアノブに手をかけると「もちろん、千葉のところにも行くよ。今日じゃないけどさ。あいつにはとれるだけの責任をとらせるつもりだから」と顔を顰めて冷たい声で答えた。
「お願いだから、喧嘩をしないで」
「それは・・・」無理だね。亜由未に聞こえないように呟く。
「いっそのこと」ドアを静かに開く。
「あいつなんか死ねばよかったんだ」聞こえてはいないはずだ。この際聞こえても構わないと思った。
✦
激昂していたな、と俺は過去の俺に思いを馳せる。でも、死ねばよかったなんて思っちゃいけない。
後ろ手に両腕を組んでシートにもたれかかる。
寛容、寛大であれ、嫉妬をしない、常に冷静沈着か・・・馬鹿らしいよなあ、と自虐的に笑う。
できないことやないものねだりをするから、無理が祟る。
目指すものはあってもいい。でも掴もうとするとすぐに落ちる。高すぎる目標は破滅のもとになる。
俺のそれは芥川龍之介の「蜘蛛の糸」ではない。
あれはカンダタが自分だけ助かろうとしたせいだ。お釈迦さまの慈悲を台無しにした。
俺は違う。そもそも糸なんか最初から掴めなかったんだ。掴んでいたのは糸ではない別物だ。「希望」と呼ぶのも違う気がするが、感覚的にはシックリくる。
まったく歳をとったものだ。でも案外歳をとるのも悪くもないのかもしれない。考え方や物の捉え方は成長するものだ。勿論、変わらない人間もいるが。
そう思いながら、再びスクリーンに目を戻す。
いつの間にか緑色の非常口は消えていた。
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