第8話 真紀


駅の近くにある大手居酒屋のチェーン店のカウンター席に、俺と真紀は並んで座った。18時過ぎだというのに店内は閑散としていて、俺と真紀の他に2組ほどしか客がいなかった。



「先輩は何を飲みますか?」真紀は嬉しそうにメニュー表をペラペラと捲っている。

「いや、俺はあんまり強くないから、飲めてもビールで中ジョッキだけだよ」

「そうなんですか?」真紀は意外そうに俺の顔を覗き込む。

「なんだよ?」

「いや、先輩ってわりと男っぽい感じがしていたから、結構飲むのかと思っていました」

「嬉しいんだか、悲しいんだか、残念ながら俺は下戸だよ」

よく言われていた。それしか飲めないの?意外だね?ゼミの飲み会でもお酌されそうになっては慌ててコップを手で隠して「ごめんね」と愛想笑いをした。

よく酒を飲めない人は人生を損しているとか言う奴や、酒は百役の長とかぬかす奴がいる。それも煙草は百害あって一利なしのおまけつきで、だ。


持論を展開させてもらうなら、飲酒をするから事故がおきる。煙草は確かに有害だ。副流煙で周りの人にも迷惑をかける。でも人殺しのスピードで言ったら酒なんかのせいで飲酒事故が起きてしまう。そして罪もない命が失われ、当事者は「酒のせいで覚えていません」とまるで自分には責任がないかのように平然と答える。俺にはそれがたまらなく許せなかった。

ただ、こういう屁理屈を言うと面倒臭がられ、嫌悪感を剥き出しにされるので極力言わないように我慢していた。



グビ、グビ、決して上手いとは思えない、茶色の苦い炭酸を喉に少しずつ流しこむ。ビールを上手いと思えないのは、成長していないのか、そもそもアルコール自体に興味がわからないが、俺はポケットから煙草を取り出して火を点ける。

「そういえば、なんで俺なんかに興味があるの?」

ストレートに聞けるのは本当に疑問で、その理由が何であれ、さして自分にダメージは受けないとわかっていたからだ。



「先輩って本当によく煙草を吸いますよね」と真紀は前置きして「知らないと思いますけど、先輩ってそこそこ人気があるんですよ。顔は決して悪くないし、服装や髪形にも気を使っているし、なんだかんだ言って先輩の顔が私の好みなんです」真紀はいつの間にか、中ジョッキのビールを半分まで一気に飲んでいた。

「それって素直に喜んで良いことなのか?」

服装に金をかけているのは本当のことだった。大学に入学したとき、キャンパスの男女比が男3、女7でビックリしたのをよく覚えている。

女子校が共学になったほどのハーレム感はないが、自分次第、もちろん外見に重きををおけば損はしない、そんなことばかり考え、バイトに明け暮れてはそのバイト代を交際費や服装に費やしていた。モテないと思う男がとる典型的なパターンだ。「モテるためには」とかいう教材にも載っていそうなことをあらかた試していた。



「もちろん、素直に喜んでください」ペースが早いのか俺が遅ぎするのか、真紀は次の酒を注文していた。

「そう、それならいいんだ」

「私は個人的に先輩に興味があったんです。どうですか?嬉しいですか?」

「ああ、そうだね、どうもありがとう」

「なんですそれ?私も女の子なんですけど」俺は平然を装いながら心臓の音が聞こえないか心配だった。嬉しくないわけがない。それは彼女がいても同じことだ。

「ただ」そこまで言って真紀は店員が持ってきたばかりの枝豆を、リスのように顔を細めて齧りながら言葉を続けた。

「ただ、亜由未さんと付き合っているっていうことはプラスでもありマイナスでもあると思いますけど?」

「そうなんだよなあ・・・」俺は大きな溜め息を吐いた。

それはわかっていることだった。彼氏だから贔屓目にみているわけではなく、確かに亜由未は可愛いらしかった。人気があるのも知っていたし、俺と付き合ったことで、俺は亜由未のファンから、夜な夜なあちこちで藁人形に五寸釘に呪いでもかけられていないかと心配になった。



「それは人気があるのではなく悪目立ちだな」苦手なビールを我慢して少しずつ啜る。無理してビールなんかを頼まなければよかったと後悔するが、特有の歪曲した人生観が「とりあえずビール」という注文以外を許さなかった。

「まあまあ、そういうのも抜きにしたって、私みたいに先輩に興味を持つ子もいますから」

真紀は気を落とさないで、とでも言いたげに俺の背を軽く叩いた。

やっぱりこいつも人気があるはずだ。以前、聞いてもいないのに千葉が真紀を口説こうとして、けんもほろろでとりつく島もなかったと言っていたのを思い出す。

まあ、千葉じゃ無理だよ、俺は真紀に聞こえないように独りごちた。



店内の時計を一瞥する。18時半を過ぎたところだ。亜由未たちはまだだろうか、気が逸る。

「先輩、私といるのにそういうのって失礼ですよ」

視界が真紀の顔で遮られる。

「お前って決して太っているわけじゃないのに、丸顔だよなあ」真紀は亜由未とは違うが可愛いと思う。本人はしたたかなので、そのことも自覚しているかもしれないが。

「それって酷くないですか!」

「ごめんごめん、悪気はないんだ」

ふふふ、ははは、狭い店内に俺たちの笑い声が響き渡る。咎めるほどの声量ではなかったし、嫌な顔をするほど人もいなかった。



「今日は誘ってくれてありがとうな、いい気分転換になったよ」

「お礼はいいですけど、私は亜由未さんの代わりじゃないですからね」

「わかっているって。でも、お礼に今日は奢るよ」

「本当ですか!やったあ!」真紀は木製の椅子から立ち上がり握り拳をつくっている。俺は一度立ち上がり、財布の中身を確認するため、上着にしまってあるはずの財布を取ろうとハンガーに掛けているミリタリージャケットのポケットの中の手を伸ばした。



チカチカチカ。蛍のような点滅が見える。そうだった、音を消してバイブレーションにしていた。財布よりも先にスマートフォンに手を伸ばす。亜由未かもしれない。



スマートフォンを取り出して画面を確認する。なんだこれ?知らない番号が3回連続で表示されている。

「先輩、どうかしましたか?」

「大丈夫、何でもない」

「追加で注文してもいいですか?」うん、うん、振り返らずに首を縦に振る。正直言って、それどろこではなかった。

留守番電話に何か吹き込まれているかもしれない。亜由未と付き合うまで留守電サービスに加入していなかった俺は、よく使い方がわからなかったが「先輩、いつまでスマホとにらめっこをしているんですか?」と真紀に問い掛けられたとき、ようやく吹き込まれていたメッセージを再生することができた。



「もしもし、こちらは吉田博司さんの携帯でお間違えないですか?私は警察のものです。至急折り返し電話をください。所有者はあなた名義なんですが、あなたの車が事故を起こしました」  



                



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