本編
プロローグ、或いは眠田ねねこのお目覚め
眠り姫が目を覚ましたら、優しい眼をした王子様が目の前にいたという。
だけど、私にそんなミラクルは絶対に起こらない。
今日も今日とて眠れぬ夜を過ごしながら、そんなことを考えていた。
▼
ごく普通のアパートの一室。ネットで適当に購入したベッド・ふとんセットの上。
「はあ……」
もう何度目か分からない寝返りをうって、私は大きな溜息を吐いた。
苛立ち紛れに布団を跳ね除けて、体を起こす。
枕元にあるスマホを手に取り画面をタップすると、しょぼしょぼの眼球に差し込むようなブルーライト。
目を細めながら確認した時刻は午前三時すぎ。それを見てまた大きな溜息。
何気なく視線をやった机の上には、寝る前に飲んだビールの空き缶がそのまま放置されていて。ここはどこのおっさんの部屋なんだと虚しい気持ちになる。
片付けようか……いや、でもめんどくさいな。
重力に引っ張られるみたいに、再び布団に倒れ込む。
外資系機械メーカーの総務課で働く、普通のOL。
会社から徒歩二十分程度の場所にある1LDKのアパートで一人暮らし。
趣味は特になし、特技もなし。ここ数年恋人もいない。
平日は普通に仕事をして、休日はお昼まで寝て、気が向いたら散歩がてら近所のお気に入りのパン屋さんに行く……
特別良いこともなければ、特別嫌なこともない。
良く言えば平和、悪く言えばちょっと退屈。それが私の日常だ。
とはいえ、普通の幸せを感じることすら難しいかもしれないこのご時世。
家があって、職があって、好きな食べ物を食べることができる。友達も家族もいる。
きっと端から見たら私は、毎日のんびり生きているお気楽OLに見えるのだろうなと思う。
が、そんな私には、ひとつの大きな悩みがあった。
「眠れないよ……」
言葉のまんまである。
眠れない、眠れないのだ。
そう、私、眠田ねねこは——重度の不眠症なのであった。
▼
寝なきゃと思えば思うほど、眠れなくなるというもの。ならもう今日も徹夜でいいや。週末に寝だめしたところだし。
眠ることを諦めた私は、ベッドに横たわったまま適当にスマホを操作する。
朝までの数時間。手っ取り早く時間を潰すならサブスクの映画かドラマも見ればいいのだろうけど……生憎私は長時間映像とかを見るのが苦手だった。よって選択肢から除外。
スマホで小説を読むと目が痛くなるから、それもなし。
パズルゲームはやりすぎて飽きた。
音ゲーは下手過ぎてやりたくない。
最近のRPG系はグラフィックも動きも綺麗すぎて吐きそうになっちゃうからできない。
こつこつ系シミュレーションゲームは大好きだけど、真剣にやり込みすぎて余計に眠れなくなってしまったから泣く泣くやめた。
乙女ゲームも嫌いじゃないけど……所詮は画面の中の紛い物じゃん、と気づいた途端に心が冷めていく感覚が辛いんだよね……。眠れぬ夜にわざわざそんな虚しさは味わいたくないしなあ……。
なんかもっとこう、お手軽に、ほのぼのと。
毎日のささやかな楽しみが増えて、ついでに規則正しい生活を送れるような、そんな素晴らしいアプリがあればいいのに。
一ミリくらいの期待を胸に、プレイストアを開く。
特に検索ワードは指定せず、新着おすすめのタブを選択して、画面をスクロール、スクロール、スクロール——と、ひとつのアプリが目に留まった。
【二十四時間あつめ ~おはようからおやすみまで~】
なんだそれ。何を集めさせるつもりなんだ。
クソゲーの予感……なんて考えつつも、一応アプリの説明欄を見ることにする。
【このゲームについて】
私達には見えないだけでこ、この世界にはたくさんの時間が存在しています。
もしかしたらあなたの想い出の時間も、すぐ傍にいるのかもしれません。
このアプリを使えばそんな二十四時間たちを目視できるようになる!?
「ええ……なにそれ……」
思わず驚きの声が出た。
二十四時間の意味がまさかのやつだった。
二十四時間集め続けよう、とかじゃなくて、ガチで二十四時間を集めるのね。
戦艦も刀剣も競走馬も——何でも擬人化させちゃう世の中だってことは知ってたけどさ。遂に時間にまで手を出したかっていう。予想の遥か上をいってたわ。
目が自然と続きの文章を読み進める。
【時間を見つけよう】
位置情報をONにしてアプリを起動してみよう。
フィールドマップ上に現れたマークをタップすると、時間と遭遇します。
【マップを確認してみよう】
ゲーム内のフィールドマップは、現実世界と連動しています。
プレーヤーさんがいる場所、天気、時刻によって、出現する時間が変化します。
あなたのお家の中にも、既に時間はいるかもしれません。
【いろんな機能が充実】
見つけた時間と会話を楽しんだり、好みの服に着せ替えたり、他のプレーヤーと交流したり……AR撮影機能を使えば時間を写真を残すことも可能。
各時間に用意された多彩な専用ストーリー。
更に二十四時間全て集めると特別なルートが展開するかも!?
(集めた時間の詳細はマイルームで確認できます。)
あなただけの時間を見つけて、素敵な時間を過ごそう!
「……なるほど」
とりあえず色々詰め込んだすっごい気合が入ったゲームだということは分かった。
位置情報を活用してキャラを集めるって……あの有名なポ*モンGOみたいな感じか……いや、専用ストーリーってことはノベルゲーム要素もあるのだろうか。
ちょっとやってみたい気もしてきたけど、位置情報を活用したフィールドマップとかAR撮影とか……なんか色々重そうだ。
配信元も全然見たことない会社名だし、システムはちゃんと機能するんだろうか……。ていうか、このゲーム人気あるのかな。
累計ダウンロードを確認しようと画面上部に戻ろうとして——ふとリリース日時が目に入る。
「今日の二十四時……!?」
ほんの数時間前。
めちゃくちゃ新しいアプリじゃん……!
驚いた拍子に指が動いて、すぐ傍にあったゲームの紹介動画を再生してしまった。
★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★
このアプリで、あなたの毎日が変わる——!?
時間をいっぱい集めて、おはようからおやすみまで二十四時間、二十四人の時間たちと過ごしてみませんか?
日常生活のさまざまな場面で知り合った時間たちを集めて毎日を楽しく♪
中には一定の条件下でしか出会えないレア時間も!?!?
集めた時間を放置して眺めるだけでもよし、積極的にコミュニケーションをとってもよし。
あなただけの時間を見つけて、毎日をハッピーに!
★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★
白い背景に黒文字で、紹介文だけがが流れていく。
いやいや……一応宣伝動画なんだからさ……。実際どんな風にスマホを操作するのか、時間はどんな姿してるか、そういうのを見せてくれないと。
やっぱり所詮は小さな会社が作ったよく分かんないアプリなのか。
余りにも質素な仕様になんだか一気に白けてしまって、終わりを待たずに再生画面を閉じようとした——その時。
紹介動画のラスト十秒程……というところで、ようやく白い画面から実際の映像に切り替わる。
誰かが操作するスマホ画面を、後ろから一緒に見ているようなアングルだ。妙な臨場感に、思わず画面を食い入るように見つめてしまう。
映像の中の人物が誰もいない空っぽのベッドにスマホを向けると——
そこには、ベッドに頭をもたれかけるようにしてこちらを見詰める男の子の姿。
ビロードの夜空みたいに真っ黒なさらさらの髪。お月様みたいな金色の瞳。
画面越しに目が合うと、薄く唇を開いて子供みたいに悪戯っぽい、でもどこか妖艶な笑みを浮かべて——ぞくりとするような甘い声でこう言った。
★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★
『君の一時間、俺にちょーだい?』
★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★
その言葉を最後に画面がホワイトアウトして——紹介動画は終わった。
「え……やばいんですけど……」
辛うじて言えた言葉がそれだ。
瞳を閉じて、スマホを額にくっつけて、大きく深呼吸をする。
いや、これは反則でしょ……。
名もない会社のアプリかと思ったら……かなりリアルな美麗映像に、まさかのボイス付き!? 映像も声もめちゃくちゃリアルだったんだけど!? 最近はスマホゲームでもこんなことになってんの!?
時間あつめって名前的にもっとこう……ミニキャラ的なのを想像してたら……本当の人間みたいなサイズなのね!?
予想外のクオリティに、不覚にもめちゃくちゃドキッとしてしまった。
もうアラサーだし……とか、夢見てる場合じゃないし……とか。
そんな言い訳をしてみても、未知のものが見えるとか言われたら心が弾んでしまうあたり、どうやら私はまだ中二病を引きずっていたらしい。
レベル上げとかアイテム集めとかを必死にやらなきゃいけないゲームでもなさそうだし……自分のペースでのんびり楽しめるならありかもしれない。
しかも集めた時間がイケメンや美少女なら目の保養にもなるしね、うんうん。毎日のやる気が上がりそうだよ!
眠れない夜の暇つぶしだったはずが、今やがっつりスマホに夢中になってしまった私は、何の迷いも無くアプリをダウンロードをしてスタートボタンをタップ。
すると……少しの間をおいて制作会社のロゴが浮かび上がってくる。
—— Cosmic Diver ——
ゆっくりと画面が移り変わり、星屑が散りばめられたコズミックブルーの美しい背景に太陽系の惑星がくるくると回り出す。
普段全く宇宙に興味なんてないんだけど……こうして見るとやっぱり神秘的で美しいなあ……なんて。
そんなことを考えているうちに惑星が花火みたいにパアッと弾け、数秒かけてじんわりと滲むように消えていったかと思うと——
「あれ……?」
——なんと。いきなりスマホがフリーズしてしまった。
一次的な電波障害かと思ってそのまま数分待てみたが、画面は全く動かない。
「ええ、嘘でしょー? 期待させといてこれって……」
つい先日スマホを買い替えたばかりなので空きはたくさんあるはずなのに。
位置情報も使用するって書いていたし、グラフィックも超綺麗だったし……かなり容量の大きいアプリなのだろうか。
だからって、こんな序盤で固まるようじゃさすがにだめだ。重いゲームほどストレスのたまるものはない。
期待から一転。まさかのところでおあずけを食らって、急激に気持ちが萎んでいく。
「はあ……、もういいや」
未だ何の反応もないスマホを枕元に放り投げようとする……が、突然今まで聞いたこともないような派手な音が鳴り始めた。もちろん、スマホからだ。
慌てて画面を確認すると、真っ白な背景にぴかぴかと文字が点滅している。
★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★
おめでとうございます!
あなたはプレミアムユーザーに選ばれました!
アプリの機能を特別な形でお届けします!
★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★
「えっ!? プレミアムユーザーって何!? どうするのこれ……ちょっ、まぶし——」
すぅっと文字が消えると同時に、今度は画面から物凄い光が溢れ出す。
あまりに突然のことで反応できず、もろにその光線を直視してしまった。
真っ白い光がぶわっと眼球に染み込んでくる感覚。
頭がぐらぐら揺れて、途端に吐き気が込み上げる。
ああ……これは、ヤバイ。
そう感じたときにはもう、目の前が真っ暗になっていって。
抗う術もなく、私は意識を手放した。
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