二度寝どころではない

 ある日の朝。


 スマホのアラームを無視して二度寝をキメようと布団をかぶり直したところで、一人暮らしのOLの部屋で聞こえるはずのない男の声がした。


「ちょっと、いつまで寝てんの?」


 二度寝どころではない。私は光の速さで飛び起きた。


 時刻は午前七時。

 開け放たれた窓から、清々しい朝の空気が鼻腔に流れ込んでくる。


 本日は晴天なり。


 そして——


 ベッドサイドに、超イケメンがいた。


「ったく……起きる気ないんならアラームセットするのやめなよね」


 へぇ……誰かと思ったら、超イケメンか。

 

 私はとりあえず目の前の状況をとりあえず受け入れた。


 その上で、もう一度ベッドに横になってみる。

 なんと肝の据わった女だろう。そう、私だ。皆さん惚れてもいいわよ。

 

 ベッドに横になって、瞳を閉じて、また開けて。

 少し顔を傾けてベッドの傍を確認。


「……俺は起きろって言ったんだけど。 喧嘩売ってんの?」


 あ、やっぱりいるな。


 やはり先ほどと同じ超イケメンがベッドサイドに立って私を見下ろしている。

 なるほどな。この状況は一体なんだ。


 まず初めに『異世界転移』とういうワードが脳裏に浮かんだ。

 近年、あらゆるところで起こりまくっている流行りのやつだ。

 最近は異世界転生する主人公が中年化しているというから、アラサーOLの私の身に起こってもなんら不思議ではないだろう——が、その説はすぐに却下した。

 だってここは間違いなく私の部屋だし、目の前のイケメンはごく普通の現代的な服を着ていたから。

 ラノベの異世界転移先は中世ヨーロッパ風と相場は決まっている。

 

 続いて自分の髪に触れてみる。

 先日パーマを当てたばかりのショートボブ。毛先は……少し傷んでいる。

 ——うん、私も私のままだ。よし、『悪役令嬢転生』も却下であります。


 ならば、私はまだ夢を見ているのではないだろうか。

 そう思って思い切り頬をつねってみた。あっ、超痛い。夢じゃない。 


 ひりひりと痛む頬をさすりながら、もう一度ベッドサイドに視線を戻し、ツンデレ美少女がやる『もう、バッカじゃないの!?』って言うときのポーズ(腰に手を当ててるあれね)をしているイケメンを上から下まで眺めてみる。


 けぶるような白い髪はやや重めにカットされていて、襟足が刈り込まれた今風な仕上がり。光が反射すると少し水色にも見える不思議な色だ。

 くどすぎない二重幅の涼し気な目元に、思わず見とれてしまうような淡い淡い空色の瞳。少し薄めの形の良い唇。両耳には瞳と同じ色の石のピアス。


 私と同年代くらい……だろうか。自分のお粗末な表現力を総動員して言葉で表してみて思ったが……超イケメンだ。結構タイプでまじでやばい。むりつらい。


 そんな超イケメンがイケボで言う。


「明日からは俺が起こす前に起きなよね」


 なんか色々とワケが分からない。

 

「分かったの!?」

「あ、は、はい……」


 ワケが分からないが、勢いに押されてとりあえず返事をした。


「ほら、起きたんならさっさと顔洗って支度してきなよ」


 言われるがままベッドを出て、着替え一式を持って洗面所へ向かう。

 

 転移でもない転生でもない。こうしてしっかり動けているあたり、どうやら夢でもなさそうだ。……とすると、これは二日酔いもしくは不眠症による幻覚。そう考えるのが妥当だろう。

 こんな幻覚が見えるようになるなら不眠症も悪くないじゃんね、へへっ。

 なんて考えながら着替えていると、リビングからイケメンの声が聞こえてくる。


「あんた、朝ごはんは何食べてんの?」

「あ、えっと……パンです!」

「パン!? 朝はご飯でしょ!?」


 イケメンは、朝はご飯派らしい。


「……まあいいけど。で、飲み物は?」

「あ、えっと……コーヒーです」

「コーヒー!? 朝はお味噌汁でしょ!?」


 イケメンは、朝はお味噌汁派らしい。


 一通りの質問に答えたあとは、いつも通りに顔を洗って、歯を磨いて、髪を整えて。そうして洗面所から戻ると、小さなダイニングテーブルの上に私のいつもの朝食が出来上がっていた。なんとも至れり尽くせりな幻覚である。


 イケメンが私の前にコーヒーの入ったカップを置く。


「砂糖とミルクは?」

「あ、なしで大丈夫です」

「ふーん、結構大人じゃん。意外」


 1LDKのアパートのダイニングで見知らぬイケメンと向かい合ってとる朝食。

 絶妙な焼き加減の食パンを齧りながらイケメンをちらりと盗み見た。

 

 本当にすごくイケている。


 ……いやこの女さっきから語彙力なさすぎないか? と、皆さんに思われているのは重々承知なんだけども、でも。このイケメン、うっかり語彙力が無くなってしまうほどの超イケメンなのである。だから仕方ない。


「何見てんの?」


 私の視線に気づいたイケメンが、少し眉を顰めて聞いてくる。


「あ、いや……イケメンだなあって」


 反射的にそう返すと、イケメンは挑戦的な笑みを浮かべて「まあね」と言った。

 わお……清々しいほどに自信満々。でもいいね、そういうの。嫌いじゃない。そして笑った顔も爆イケだ。



 ▼



 そうこうしている間に時刻は午前八時前。

 出勤する私を、イケメンは玄関まで見送りに来た。


「今日は午後から雨降るよ、傘持った?」

「あっ、持ってない……」

「ちょっとー、しっかりしなよ。取ってきてあげるから、場所どこ?」

「ええと確か……リビングのドア開けてすぐ右にある棚の上かな」


 イケメンは溜息を吐いてリビングに戻り、そして折り畳み傘を持って戻ってきた。「はい」と差し出され、受け取る。

 と、手フェチの私。そこでさりげなくイケメンの手をチェック。すぐに脳内で始まる採点タイム。


 折り畳み傘の収まり具合から考えて、私の手よりも一回りは大きく見える。

 ……いいですねぇ。ちょうどいい具合に透けて見える血管が大きな加点となります。

 

 すらりと伸びた指は、繊細そうで綺麗な形。

 ……いいですねぇ。ピアノとか弾いてもらいたいですねぇ。今後、芸術点と技術点も狙えそうです。

 

 もちろん爪の形も自然で美しい。

 ……いいですねぇ。自然に、というところがポイントですね。余りにも整いすぎていると逆に女性は気後れしてしまうこともありますから。

 

 ではここで、イケメンの得点が出ます。得点:三百万点。


「ちょっと、聞いてんの?」


 ハッとして我に返ったら、イケメンが呆れ顔で私を見ていた。


 いっけね、好みの手だったからつい興奮してしまった。想像を膨らませすぎるのが私の悪い癖だ。

 えへへと笑ながら受け取った折り畳み傘を鞄にしまう。

 イケメンはまた軽い溜息をひとつ。

 

「今日は気温が上がるらしいからこまめに水分とりなよ」

「うん」

「濡れた傘は放置しないでちゃんと乾かして」

「うん、了解」


 私はイケメンの言葉に何度か頷いて、それからイケメンに背を向けて玄関ドアに手をかける。

 ……あ、そうだ。幻覚とはいえせっかく見送ってくれてるんだし「いってきます」くらい言っておいたほうがいいのかな。

 そう思っておずおずと振り返ったら


「いってらっしゃい」


 イケメンはちょっと優しい顔をしてそう言った。


 はあ~? なんだその顔。天才か?

 結構冷たい感じのイケメンなのかと思ったら、ふいにそんな笑顔見せるとか……無理。ほんとに無理。天才としか言えない。というか、この幻覚を作り出してる私が天才か?


「い、いってきます……!」


 なんとか心を落ち着けて言葉を発したつもりだったけど、声はめちゃくちゃ裏返ってしまっていた。



 ▼



 いやはや、超イケメンに見送られて出勤する朝は最高ですな。


 そんなことを考えながら玄関を出て、階段を下りて、道路に立って、アパートを見上げて思う。


 

 いや……あれ、誰?

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