2.きれいな電車
私が五才だった半世紀以上も昔のこと、山陽電車の
私たちの家は、その山陽電車の板宿駅から少し南側に下った
当時の寺田町には、下町らしいご近所どうしのつながりや楽しみが当たり前に生きていました。
毎週「月光仮面」の時間になると、私は、弟や、家にまだテレビのなかったご近所の子供たちと一緒に、お隣の「やっちゃん」の家に見せてもらいに行くのでした。月光仮面は空飛ぶ白バイに乗って来てサタンの
やっちゃんは私と多分同い年だった男の子で、年中、青ばなをたらしていて、着ている服の
近所の子供たちのなかでは年下の方だった私のふだんの遊び相手は、もっぱら二才ちがいの弟でした。弟は私などよりずっとやんちゃな性格で、どこかで見つけてきた死んだドブネズミのしっぽをつまんで、「ママ、これ」と戦利品のようにぶら下げて来て、始終、母をなやませるようなことばかりしていました。私たちは、ひもで腰に結わえ付けた磁石をひきずったまま近所中を歩き回り、クギや鉄くずを集めてみたり、地べたにしゃがみ込んで道路の上にろう石で落書きしたりするような遊びももちろん大好きでしたが、何よりの楽しみは宝さがしでした。私たちの家は、もう一方のとなり側が、申し訳ばかりの細いドブをはさんだ町のゴム工場になっていて、すぐ先の表通りの道ぞいに、ふたのない大きなコンクリートのゴミ捨て場が設けられていたのです。私と弟は年上の子供たちの真似をして、そのゴミの山の中に勇敢にも分け入ると、不思議な形のゴムがたや、色々な種類の牛乳の紙ぶたや、わけのわからないプラスチックのいれもののかけらなどを発掘し、その戦利品でいろいろな遊びを工夫しておりました。そのなかでも私たちチビ兄弟の一番のお気に入りだったのが切腹ごっこです。と言いますのは、いつでしたか、板宿駅の北側の商店すじの一角にあった映画館へ家族みんなでチャンバラ映画を見に行った帰り道でのこと、「どこがおもしろかった?」と母にきかれた私が、「切腹するところ」と答えたところ、「いやだわ … 」とつぶやいた母の言い方や困ったような顔つきから、切腹というのはとても恥ずかしい、エッチなことなのだろうという気がして、それ以来、すっかり、私たちふたりの秘めごとの一つになってしまっていたからでした。私たちはまわりにだれもいないのを確かめてから、路地のものかげへもぐり込み、掘り出してきたばかりの細長いゴムきれの刀で、かわりばんこにお腹を切って死ぬまねをして見せます。そして、だれかの足音が近づいて来るのが聞こえると、大あわてでおヘソをズボンの下にもどすのでした。
ご近所のおとなのなかでは、
はじめてと言えば、いつもおつかいに行っていた近所のパン屋さんのことも思い出します。眼鏡をかけた
寺田町の思い出の中のおとなたちはみな優し人ばかりです。怖かった人など一人も思い出せません。おねえさんたちは特に優しくて、斜め向かいのメッキ工場のおねえさんには夏にドラム缶のお風呂に入れてもらったことがありますし、冬には、あまり体の強くなかった私のために母の注文してくれたホットミルクを、近所の喫茶店のおねえさんが歩いて持って来てくれるのでした。おねえさんたちのことはもう名前も面影もすっかり忘れてしまいましたが、ドラム缶のお風呂のような、ホットミルクのような温かさは体の底に今も優しくくすぶり続けています。
一方、母は母で、口では「やっちゃんは汚い」とか何とかぼやいていても、本当の所は大の子供好きでしたので、よく当のやっちゃんや近所の子供たちを招いては
「福は内」
赤や緑の銀紙に包まれた半球がたのチョコレートや、あめやヌガーや水羊かんや、風船ガムや細長いクリームビスケット 。
「福は内」
わたしたちは四つん
他にも書いておきたい思い出は山ほどあります。いつも
ですが、いくら
さて、その日は、駅に着いたのが少し早すぎて、いつもより一台早い電車がもうすぐ来る頃でした。
「あら?」
誰かを見つけた母がうれしそうに声を上げます。
永井先生でした。受け持ちのおねえさん先生です。
私は優しい永井先生が大好きでした。先生は駅のすぐ裏側の線路沿いの
なのに、私は恥ずかしくて、母が先生とあいさつするのをただ黙って眺めていたような気がします。
電車が来ました。私の
「先生と一緒に乗る?」
母が私に聞きます。
「きれいな電車で行く」
私はそう言いました。
母が先生にちょっとおじぎします。
先生もおじぎして電車に乗りました。
とびらがしまった向うから、先生の笑顔は私を見つめたまま遠ざかって行きました …
そうそう、同じ年長組の
やがて、わたしたち年長組は六才になって卒園を迎えることになりました。卒園の音楽会の練習中、指導がかりの先生が、「もっとそろえましょう。ちゃんとできているのはトモミくんとツキジさんだけですよ」と注意されたので、自分のことよりさっちゃんのことが得意になりました。その時、自分の楽器が何だったのかはちっとも覚えていませんが、さっちゃんが大だいこをたたいていた真剣な姿ははきり思い出せます。なのに卒園式の当日は、風ぐるまを持って歌いながらみんなと運動場を行進するわたしの頭からはさっちゃんのことなどなぜかすっかりぬけ落ちていて、少しも寂しくなかったような気がします。
小学校に上ったその年の暮れ、となりのゴム工場が火事になりました。さいわい、わが家は無事でしたが、わたしたちはもっと安全なところをさがして、学期の途中から、わたしにとっては人生で三番目になる
ですが、それはまた別のお話です。
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