第22話 追記:バロンの懊悩

 やってしまった。

 俺はダメだ。わかっていたのに。どうしようもなく、身体が動いてしまった。


 最初は、冷静だったはずだ。“覆面貴族”の体面を守るため、堂々と登場し、堂々と名乗り、堂々と見栄を切って、堂々と対峙した。

 そのつもりだった。

 真っ直ぐに向かってきた巨体を受け止め、力押しにも負けずに耐えた。その後に振り抜かれた力任せの拳を、避けたところまでは覚えている。至近距離で視線を合わせたグンサーンの目の奥で、何かを狙うように光が瞬いて。


 そして、どうなったんだったか。記憶が朧げだ。緊張と興奮で視界が狭まって。胸の奥に熱が宿って。前の試合のように、自分が光の中にいるような感覚があった。内なる恍惚に引きずられて、冷静になれと自分に言い聞かせた。

 そうだ。鼻の下の急所に、額を打ちつけてこようとしたんだ。意図はわかった。最も硬い部位で、最も脆い部位を狙う。あれは有効な攻撃だった。人間相手の戦いに慣れない自分にとって、初めての経験。見事な駆け引きだと思って。

 それを返した。敬意を込めて。あれは、正々堂々だった、はずだが。


 相手が飛び退いて、金切り声を上げながら暴れ出したのではなかったか。手負いの獣のように。俺は条件反射で、仕留めなくてはと思った。苦しめず楽にしてやらなければいけないと。

 そのまま進めば危ないところだったが、途中で冷静になった。殺してはいけない。観客に喜んでもらわなければ。一進一退の攻防で緩急の波を作り上げなければ。できることならば、遺恨を残さず手打ちで終わるような好勝負にするべきだとも、思っていたのだが。


 なのに再び、喜びに我を忘れて。気付けば、終わっていた。対戦者グンサーンは血塗れでピクリとも動かず、殺してしまったかと自分の……そして王国の破滅に思わず蒼褪めていたが、なんとか一命は取り留めたようだ。

 選手生命までは不確定だが。いまさらどうすることもできない。


「……」


 試合前、まったく時間がないなかで必死に身体と技を調整していた俺たちは、前日になってようやく及第点と言える程度になっていた。とても仕上がったとは言えんまでも。なんとか客に見られるものにはなる、はずだったのだ。


「おい。俺の試合は、どうすればいい」


 どうもこうもない。やるだけだ。それはわかってはいたが、俺はもう、タイトがを見据えているのを知っていた。

 奴は身体を動かしながら、頭のなかで何かを組み立てている。それは、勝利以外の何か。俺にはわからない、いや闘技場の誰にもわからない何かだ。


「最初は様子見、後はで」

「お、おい流れってなんだ。ちゃんと教えろ!」

「無理いうな。相手は身内じゃないから、手加減は難しい。下手に考えてたら不覚を取るぞ」


 途中、“打ち合わせ”とやらで少し抜けた後、戻ってきたタイトは吹っ切れた顔になっていた。思えば、そのとき試合での俺の扱い方を決めていたんだろう。

 正確には、俺の力に頼らない方針を。


「大きな怪我はないようにな。お前はもちろん、相手にもだ」

「……努力は、する」

「最悪、お前は勝っても負けてもいいから、格好良く見せることだけを考えろ」


 格好良く勝つか、格好良く負けるか。

 いまになってようやく、以前タイトの言っていた言葉を理解した。


“上手く負けるのは、上手く勝つより遥かに難しい”


 最初に対戦した日の、夜だったか。そのとき俺は、愚かにも答えたのだ。負けることなど誰にでも出来ると。

 それがこのザマだ。上手く負けるどころか。負けることさえ


「よくやった」


 ベローズが俺に声を掛けてきた。

 怒鳴りつけ、命令し、脅し叱責し罵倒する。常に戦奴を締め上げ統率する興業進行管理人ブッカーが、褒めることは珍しい。少なくとも、いままで俺はそんな姿を見たことがなかった。


「俺は、勝つべきじゃなかった」

「かもしれん。それでも見事に“バロン”を演じ切った。客も沸いたし、金貨用賭け札くろふだも舞った。お前の仕事としては、上出来だ。これ以上ないほどの結果だ」

「タイトは」

「あいつなら上手くやる。心配は要らん」


 ベローズの言葉を、俺は黙ったまま聞き流す。闘技場から伝わってくる凄まじい歓声に心を騒がせる。心配、などではない。

 認めよう。これは嫉妬だ。

 あいつは俺に見えないものを見て、俺の届かない場所に立ち、俺に出来ないことをやる。それが悔しくて堪らない。

 涙が出そうになって、いまだけは覆面の存在をありがたく思った。

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