第19話 vs異世界の常識
「始め!」
試合開始の合図とともに、飛び出したのはグンサーンだった。対する我らがマスク・ド・バロンは前後に足を広げ、両手を上げて正面から迎え撃つ構え。
ドンと重い肉同士が打ち付ける鈍い音がして、バロンの足がわずかに押し込まれる。そこで均衡は保たれ、両者は組み合ったまま中央で動きを止めた。
「ほう……?」
俺の隣でベローズが感心した声を上げる。エイダは身体能力も反射神経も優れているが、上背に比べて体重がない。超重量級のグンサーンと正面から当れば不利なことくらいはアホでもわかる。それを理解しつつ、あの男は逃げずに受け止めることを選んだ。
誇りの問題であり、信念の問題でもある。が、最大の理由は見栄えだ。初お目見えのマスクマンとしての初戦、その初当たりで逃げたり
器用な
「お前、ずいぶん
「ええ。あいつ、
打撃だけで試合を進める前提なら、重心を下げすぎるのは移動の速度と自由度を下げる。でも今回は相手がベテラン、組み投げが得意な
「膝の使い方が良くなってる。受け流しの勘も良い」
バロンがキッチリ腰を引き
「ハッ!」
強引に拘束を解いて後退したグンサーンは、短距離の突進で大振りのパンチを繰り出してきた。頭を下げながら、見えない角度のフック。
ノックアウトパンチのように見えて、狙いは違う。
ゴッ!
骨と骨がぶつかり合う鈍い音。鼻を狙っての頭突きだ。地下闘技場ではもちろん、中央闘技場でも反則ではない。そもそも戦奴の戦いには、反則という規定がない。文字通りの
ゴッ! ゴッ‼︎
何度も響き渡る音がして、観客席からは溜め息と悲鳴が響き渡る。俺とベローズは感心した顔で頷くだけだ。
バロンは逃げずに顎を引いて、自分から額で受けてる。理屈でわかっても、それが最初からできる奴は少ない。
「あれもお前が?」
「いえ。あいつのクセじゃないですかね」
前に試合を見たというエイダは、グンサーンが頭突きを使うと知っていた。正面から受けたのは、クセというより狩りの経験からだろう。
「ぐッ」
「「「おおおおおおおおぉ……ッ!」」」
バロンがグラリと姿勢を崩す。膝をついたのとほぼ同時に、グンサーンもよろめいて顔を押さえた。
上手いなエイダ。打ち負けたフリをして、頭突きで相手の鼻を潰したか。これはデカい。痛みも屈辱も試合運びを乱すが、なにより呼吸を阻害されるのが
「があッ!」
鼻を押さえていたグンサーンが、大振りのフックから踏み込んでバロンの首を刈る。
だがバロンはクルリと半回転してグンサーンの手をいなし、勢いを利用してあっさりと投げ捨てた。技というよりもタイミングと身体能力による反応だ。
振り払われた格好になり、転がったグンサーンは憎しみを込めた唸りを上げる。ダメージこそないものの、観客からは“相手にされなかった”ように映るのだ。
反撃のため立ち上がろうと膝を立てた瞬間、バロンの身体がギュンと距離を詰める。タックルでも狙うような低い姿勢。だが身構えかけたグンサーンの前から、バロンの姿が消える。
「うぇッ⁉︎」
俺は思わず、おかしな声を漏らす。
相手の膝を駆け上がっての、横薙ぎ膝蹴り。あいつ、俺の見せたシャイニング・ウィザードを。それも、前の試合で自分が喰らった一発だけを元にして再現しやがった。
身体能力に関しては化け物レベルのマスク・ド・バロン。踏み込みも腰のキレも半端ない。完全に芯を喰った音がした。
「げぅっッ、ぶ」
グンサーンは顎を砕かれ、呻きながら這いつくばる。口は半開きになって、血と歯とヨダレを垂れ流していた。シャイニング・ウィザードって、ガチで当てに行ったときの威力は自分の身体で思い知っていたけれども。
無防備なまま全力で食らうと、ここまで凄惨な結果になるのか。
「これ、お茶の間で放送されたらダメなやつじゃん……」
ベローズからは、なに言ってんだこいつ、みたいな顔されたけど。こっちの話ですお気遣いなく。日本人の感覚ではドン引きするが、こちらの観客たちは拍手喝采、会場は熱狂の渦に包まれている。
この辺りはカルチャーギャップなのかな。ライオンと戦奴を戦わせた古代ローマみたいな。
必死に立ち上がろうとするグンサーンだが、完全に足に来ている。頭が揺らめき、膝が笑っている。それでも、震える脚で立ち上がる。血と唸りと呪詛の言葉を撒き散らしながら、両の拳を握り締める。凄まじい気迫とタフネス。噛ませ犬どころか、一流の格闘家だ。
その姿を見下ろしながら、覆面貴族はまっすぐに、天へと指を立てる。
「「「おおおおおおおおおおおおおおおぉ……ッ‼」」」
説明など要らない。誰が見てもわかる。これは。
「マスク・ド・バロン! 地下闘技場からの刺客に、いま……処刑予告だーッ!」
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